変わるものと、変わらないもの—神戸モザイクと、尊敬する先輩のこと
GW明けの土曜日、神戸に行ってきた。
観光地はきっと空いているだろうという読みは正解で、モザイクの観覧車も待たずに乗れた。
青い空、青い海。爽快感が体中に広がった。
前に座っていたのは、11歳年上の先輩だ。
久しぶりに訪れた神戸の街は、少し変わっていた。
外国人向けのお店が増えて、聞こえてくる言葉も様々だ。でも、古くからの建造物はちゃんと残っている。日本らしさを失わないまま、訪れてくれる人が喜ぶものを差し出す。
そのバランスが、神戸という街の品のよさだと思った。
諸行無常、と先輩がぽつりと言った。町並みも変わる。人も変わる。でも、と続けた。変わらないものもあるよね、と。
観覧車の上から見えた空と海の青さは、昔と何も変わっていなかった。

この先輩と出会ったのは、ある学校に転勤してきたときのことだ。
転勤してすぐ、やたらと近寄ってくる人がいた。親切心からかと思ったら、そうではなかった。「あの先輩のせいで自分は病気になった」という話を、会うたびに吹き込んでくる。
でも私は、その先輩を普通に見ていた。普通に接していた。
そうしているうちに、自然とわかってきた。子どもたちがその先輩を信頼している様子が、態度の端々から伝わってくるのだ。
一人ひとりの学力も、性格も、家庭の背景も、きちんと把握した上で関わっている。そういう先生は、子どもには伝わる。
あるとき、その先輩が特別支援学級を担任されたことがあった。
しばらくして、保護者からこんな話を聞いた。
「子どもが家に帰って、学校で習った歌を楽しそうに歌っているんです。今までこんなことはなかったので、家族みんなで喜んでいます」
その話を聞いたとき、ああ、この先生は本物だと思った。
養護教諭という仕事は、少し変わった立場だ。
教諭でありながら、授業を持つことはほとんどない。成績をつけない。
だから、職員室の中では少し浮いた存在になることもある。教諭同士の派閥や争いに巻き込まれにくいのは、ある意味で利点でもあった。
でも一番大きいのは、子どもを評価しなくていいということだと思う。
勉強ができる子もそうでない子も、課題のある子も、保健室に来たらただの一人の人間だ。良いところを見つけて褒める。頑張ったことを認める。
子どもが気遣いをしてくれたら、ちゃんと感謝を伝える。先生だからといって、偉いわけじゃない。人間対人間として、対等に尊重する。
それを教えてくれたのも、あの先輩だった。
働いていて気づいたことがある。子どもを傷つけるのも子どもなら、癒やすのも子どもだということだ。だから保健室に来た子どもの周りにいる、優しい子どもたちのことも、見逃さないようにしていた。
その先輩は、今も変わらない。
退職されてからも、週の初めには必ずラインが届く。短い挨拶だったり、励ましの言葉だったり。それだけで、月曜日の朝が少し軽くなる。
今日、車で神戸に向かう道中、先輩がふとこんなことをおっしゃった。
「もし交通事故になりそうやったら、ハンドルをきって助手席側にぶつかってくれたらいいからね。」
一瞬、言葉に詰まった。
「ご一緒に😊」
そう言って、二人で笑った。
11歳年上の先輩が、さらっとそんなことを言える。その言葉の裏にある愛情を、私はちゃんと受け取っている。
観覧車を降りて、焼き肉を食べて、チョコソフトも食べた。
よく晴れた、最高の一日だった。

街は変わる。時代も変わる。でも、本物の関係は変わらない。
空と海の青さと同じように🌿

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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。今日の気づきをあなたと共有できたことに感謝します。