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ほのぼの生きる  036_20230210

死と向き合う

若い時、死にたいと思ったことが何回かあった。
それって普通のことだと思う。

若い時分って「死ぬ」ことについてあまり真剣に考えていないよね。
失礼!本人はいたって真剣に考えているのだけれど、「死」を理解していないというか・・・深く考察できていないというか・・・
少なくともあの頃、私は簡単に死ねると思ってたし、逆に生きていくことの尊さを知らなかった。若かったのね~
(やっぱり若い時に哲学するのって大事だなぁと思う)

最近うちの母はよく「あー早く死にたい」という。96歳になる義祖母もそう。93歳で亡くなったじいちゃんもそうだった。老いてく体と向き合うと生きるのがとっても辛くなるんだろうね。

今、私は49歳。死ぬのはとても怖い。身近な人が亡くなるのも耐えられない。
私は普段から死について考える。本人の意志とは関係なく明日突然死ぬことだってあるのだから、今日を一生懸命生きたいと思う。もし一年後に死ぬとして・・・と有限な時間の使い方を改めるために想定したりもする。今は「生きていたい」という気持ちの方が強いようだ。

お医者さんとか看護師さんとか、高齢者福祉施設で働いている方は、普段から死と向き合う機会が多いのだと思う。身近に病気をしている家族や知人がいる場合、自身が病気している場合。生きるとか死ぬとか考えている時、自分の存在そのものがあやふやなものになり、途端に恐怖に襲われたりする。

私は今とても幸せだ。恵まれているといった方が正解かな。そういう恐怖や別れの悲しみから少し離れたところにいるから。

最近読んだ記事で、少し心が痛くなった。愛犬を亡くされた方の悲しい記事だ。
私はペットを飼っていないから、どこまで理解できているかはわからないが、ペットを家族だと考えておられるのは少なくとも理解できる。一緒に暮らしていたら家族だと思う。よって、犬だろうが猫だろうが鳥、カメ、ハムスター、なんであろうがこの闘病日記は人間と同じ目線で読んだ。

虐待は動物だけでなく人間にもある。
とにかく一緒に暮らしている家族を大切にしてほしいと願う。
子どもがいない私には幼児虐待をする親の気持ちは全くわからないし、ペットを飼っていない私は動物を虐待する気持ちもわからない。
もしかしたら他人の命に責任を持てなくて避けているだけかもしれない。

「きれいごと」さんの記事を最近読むようになった。名前に惹かれてお邪魔してみた。
そしたら、本当に「きれいごと」が書かれてあった。
すっごく真面目な印象。だから私のようなふざけた輩はきっとお気に召さないだろうと思い、コメントに触れたりするのがちょっとだけ怖い(笑)
普段のスパイスのめっちゃきいた記事は、私の好物である。スカッとする。
ところが最近は愛犬「ごん太くん」の体調が思わしくなく、余命と闘っておられる二人の姿を読んでとても心が痛くなった。
ごん太くんは数日前に天国に召されてしまったが、家族おもいのきれいごとさんの想いを少しでも共有したくて、今日は記事にしてみました。
昨日はnoterさんたちとの交流で少し気が紛れたみたいでよかったです。



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