労働脳を捨てて5年が経過した私がお金の価値について考える
起業したり、投資をしたり——かれこれ5年間、誰かに雇用されるということから距離を置いて生活してきた。
徹底的に資産を運用し、持ち物も減らし、投資脳に切り替えたら、資産はあっという間に膨れた。
ただ少し前から、ずっと頭の中にあることがある。
お金って、これからどうなるんだろう。
FXのトレーダーをしている私がこんなことを言うのも変な話かもしれないけど、正直に書いておきたくなった。
「働く」とはどういうことか
ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』に、人間の経済的な立場を4つに分類する考え方がある。
従業員(Employee)、自営業者(Self-employed)、ビジネスオーナー(Business owner)、投資家(Investor)。
日本の就業者のうち、約87%が従業員として誰かに雇われている。自営業・フリーランスは約10%、ビジネスオーナーや投資家となると数%以下だ。
つまり日本人のほとんどが、「従業員」か「自営業者」の枠の中で生きている。
そしてこの2つに共通しているのは、自分の時間の対価としてお金をもらっているという構造だ。
花を売っているのは?
たとえば、お花屋さんで働いている人がいるとする。
その人は毎日花を仕入れて、ラッピングして、お客さんに渡している。でも本当に「花を売っている」のは誰か。
卸先との契約を持ち、店舗を構え、集客の仕組みを作り、お客さんに商品を提供しているのは会社だ。
従業員一人ひとりは、その仕組みの歯車として自分の時間を会社に提供している。

会社が消費者へ価値を生み出している。
個人はその会社に、自分の人生の時間を売っている。
この感覚を持てるかどうかが、お金の考え方を変える最初の一歩だと思っている。
人生の時間には、限界がある
時間を売ってお金をもらう構造の根本的な問題は、時間が有限であるということだ。
1日は24時間で、そのうち働けるのはせいぜい8〜10時間。
体力にも、集中力にも、年齢にも限界がある。
どんなに頑張っても、自分一人が売れる時間の量には上限がある。
だから労働だけで大きく稼ぐことは、構造的に難しい。
これに気づいたとき、私は「労働とお金を切り離して考える」ことを選んだ。
そもそも、お金とは何か
ここで一度、お金の成り立ちに戻りたい。
もともと人間は物々交換をしていた。
でもそれには根本的な問題があった。保存が効くものと効かないものでは、対価として成立しない。
魚は明日には腐るが、穀物は来年まで持つ。
価値の「重さ」が時間によって変わってしまう。
だから価値を腐らせずに保存できる媒介として、お金という概念が生まれた。
自動販売機の飲み物が150円だとしたら、その150円の正体は何か。
それを作った人の時間と労力、そして材料となった水や農作物、運ぶための燃料——つまりお金とは、人間の時間と、地球上に限りある資源、その両方を数値に変えて持ち運べるようにしたものだった。
金属、金、紙幣、デジタル通貨へ。
形は変わっても、本質はずっと同じだった。
でも今、その前提が崩れようとしている
AIやテクノロジーが、この構造そのものを書き換え始めている。
労働の価値とは何か、お金の価値とは何か。
5年間投資と向き合ってきた私が、今改めて考えていることを書きたいのだが、少し長くなりそうなので次の記事で書こうと思う。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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