45歳、独身。私が選んだ「自由」の正体
筆者:かおり(45)
金曜日の夜20時。 最寄りのコンビニで買った、少し高めの輸入ビールと、デリコーナーのパスタ。それが私の「華金」のすべてだ。
1LDKのマンションは、静かすぎる。 テレビをつけると、幸せそうな家族のCMが流れる。思わずチャンネルを変える。最近、この「反射的な回避」が癖になってしまった。
私は今、45歳の派遣社員だ。 かつて、私は「結婚なんてナンセンス」と本気で思っていた。
「自由」という名の麻薬
20代の頃、私はまさしく「クロワッサン」を選んだ側の人間だったと思う。
友人たちが次々と「適齢期」という見えない号令に従って結婚していくのを、私はどこか冷めた目で見ていた。「所帯じみるなんてごめんだわ」「私は私の人生を生きるの」。そう言って、仕事に打ち込み、海外旅行に行き、ブランドのバッグを買った。
当時の私にとって、結婚は「自由の墓場」であり、専業主婦や共働きで育児に追われる友人は「生活感にまみれた敗者」のようにすら見えていたかもしれない。
あの頃の私は輝いていた(つもりだった)。 「かおりは自立していてかっこいいね」 その言葉が、私の最高の勲章だった。和食の朝ごはん(=平凡な結婚生活)よりも、カフェで食べる焼きたてのクロワッサン(=洗練された自立した生活)の方が、ずっと価値がある。そう信じて疑わなかった。
35歳の分かれ道、40歳の断崖絶壁
雲行きが怪しくなったのは、35歳を過ぎたあたりからだ。
「かっこいい」と言ってくれていた友人たちは、子育ての悩みという、私には踏み込めない共通言語で盛り上がるようになった。女子会に呼ばれる回数が減った。 それでもまだ、「私はキャリアがあるから」と自分を保てた。
けれど、40歳を超え、会社の事情で正社員から派遣という働き方を選ばざるを得なくなった時、足元が崩れ落ちる音がした。
「自由」を選んだはずだった。 でも、手元に残ったのは何だろう?
夫もいない。子供もいない。 そして今、誇れるほどのキャリアも、老後を支える十分な貯蓄もない。 あるのは、更新のたびにビクビクする「派遣」という不安定な立場と、漠然とした、しかし巨大な「老い」への恐怖だけ。
クロワッサンの欠片(かけら)
ふと、昔流行った「クロワッサン症候群」という言葉を思い出す。
人生の選択肢として結婚を拒絶したのに、適齢期を過ぎてから、自分の生き方に自信を失い、焦燥感に駆られる葛藤。
まさに、今の私そのものだ。 あんなに軽蔑していた「普通の幸せ」が、今は喉から手が出るほど欲しい。
誰かと「おかえり」を言い合う生活。 子供の成長に一喜一憂する日々。 スーパーの特売日に、夫と相談しながら食材を選ぶ時間。
かつて私が「ダサい」と切り捨てたそれらは、実はとてつもなく温かく、強固な「人生の地盤」だったのだ。
サクサクと音を立てて崩れるクロワッサンは、美味しいけれど、毎日の主食にはなり得ない。お腹にたまる、あたたかい白米のような生活を、なぜ私はあの時選ばなかったのだろう。
取り返しのつかない時間の中で
「今からでも遅くないよ」 無責任な人はそう言うかもしれない。でも、生物学的なリミットや、婚活市場でのシビアな現実を、私は痛いほど知っている。
鏡に映る自分を見る。 目尻のシワ、ハリを失った肌。 そこには、「自由を謳歌した勝利者」ではなく、「選択を間違えた迷子」が立っている。
来週、また契約更新の面談がある。 「かおりさん、いつも助かってます」という上司の言葉は、いつまで続くのだろう。
部屋の隅に置かれた観葉植物に水をやる。 私に残された「守るべきもの」は、これだけだ。
あの時食べたクロワッサンの味は、今の私には、少し苦すぎる。
