ダマーニナの青い足
愚痴という形のアウトプットが苦手だ。
友人が少なかったので、家で母親に延々あったことを話す期間が長かった。
だから母親ならわかってくれる、という幻想を持っていた期間も長かったと思う。
「クレヨン王国 月のたまご」に、ダマーニナという女性が出てくる。
長い、青い髪をソバージュにした美しい女性で、月のたまごを守るためいつも座っているのだけど、それは彼女の下半身が腐っているからだと後で判明する。人間のにくしみを飲み続けた結果、彼女の体は蝕まれてしまった。足は腐り、癒着して一つの塊となり、まるで人魚のようにも見える……そんな設定だったと思う。
幼い頃、わたしにとって彼女はある種の理想だった。わたしは当時家のなかでもろくに喋らない子どもで、辛くてもそれを一人で抱えられる人になりたかった。だって誰も助けてはくれないから。
友人に話したら、打ち明け話さえできたら何かが変わるのではないか、と思っていた時期もあった。打ち明け話をしあって理解が深まるみたいなことがなきゃ関係として駄目なんじゃないか、とか。
結果、期待が高すぎて何も言えなくなっていた。
言おうとすると喉が詰まって、沈黙だけが長く続くことがよくあった。
経験が浅い劇作家志望の人が書いたドラマには、たびたび、この『何も言わなくても分かってくれるもう一人の自分』が登場します。
自分の事情を誰かに話す、という行為について考えるとき、いつもこの言葉を思い出す。
わたしはいつも、生乾きの傷を助けてもらいたがって、勝手に期待して勝手に失望している気がする。止めたいけれど方法がわからない。
ある時は、誰かに話すことで苦しいことが明確になって余計苦しくなって、どっと疲れてしまう。
あるいはインターネットを見ると友人にこころよく愚痴を聞いてもらうためにはどうすればいいかなんて記事が出てくるから、ちゃんと話せるようになるまで黙っていようと思ってどんどん辛くなったこともあった。
何も言いたくないのに期待してしまう。あるいは辛くなってしまう。
*
自問自答ファッション教室で、有名になりたいですか? という問いがされることがあるらしい。
ユズカオさんのレポ(とてもかわいい)で、目立つという言葉についてどう思うかという問いにユズカオさんが「目立ちたくない……」と眉をぎゅっとして呟いているのを見るたび、いつもうんうんと共感していた。
オリジナルの物語を書くよりも洋楽の歌詞翻訳をずっと趣味でやっていて、匿名性というテーマに惹かれメゾンマルジェラの5ACを買うような私だ。
主役は憧れる。素敵だなと思う。でも人の注目を浴びるし、手を挙げるのも、その結果失敗するのも怖い。何より、関わる人が増えることは面倒くさい。環境が変わるのは苦手だ。
それでも手を伸ばさなかったことを後で何度も悔いたから、もっと自分は手を伸ばさなきゃと思ったのは3月のこと。
わたしは主役になりたいんだろうか。
匿名性に憧れたり、誰かのフォローをして嬉しく思う自分は自分を誤魔化していただけなんだろうか。
でも、何の主役に?
とりあえず何があったのかだけを書いてみる。
わたしは話すより書く方が断然楽だ。
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