本屋B&B「ファッションと人生〜制服化で“なりたい自分”を実現する方法」 ( #あきやさん講演会 ) 感想
です。当日はイベント帰りでへろへろしてたので翌日に聞きました。
下北沢B&B、結構前にイベントで行ったことがあり、自分の同人誌を委託したこともあるのですが、その頃はまだ移転前の店舗で、今はこんな感じなんだな……と思いながら対談するお二人の背後の、天井まである本棚を見つめていました。
入った瞬間、ああこれはとても良い書店だと確信できるあの空間。
そんなわけで対談は配信で聞きました。拡散と集中の話だったな、と思います。ということはつまり、「編集」の話だったのかもしれませんが。
広げなければ絞り込めないし絞り込んだところがフックになってまた広がっていく……。ファッションも仕事もそうだったね、そんな話だった気がします。
年代の話
竹村さんが「三十代で色々幅広くやっていたが四十代で絞り込んだ」というのにあきやさんも「ですよね!」と頷いていたくだり、わたしも自身の仕事や年齢を思い出して遠い目をしていたのですが、同時に、配信を見る直前に読んだこちらの記事を思い出したりもしました。
「悪役令嬢もの」というジャンルを描き始めたこと、それでバズったところまでは偶然なんですけれど、一発ネタで終わらないで次々展開させていけたのは、これは30年間漫画家を続けてきて培った技術あってのことなので、そこに関しては……ある意味での、自信みたいなものを持っていますね。
(中略)
いいものも悪いものも、やっぱり積み重ねたものは見えてくる。特に50歳を過ぎた頃から、だんだんと、はっきりと見えてくるようになったんだなと感じています。
原作者の上山さん、きっと漫画の主人公・屯田林憲三郎のようにお人柄の良い方なんだろうな……と思いつつ読んだ記事ですが、こちらとあきやさんと竹村さんのお話と合わせると三十代で色々やって四十代で絞り込んで、五十代で色々見えてくるのかな、でもあきやさんのように意識的にごりごりに絞り込んでいなくても年月と積み重ねによって(嫌が応にも)見えてくるもの、自分を救ってくれるものは生まれるのかも、そういう過程の結果として、最終的にはすべてを肯定できるようになりたいな……と思ったりしました。
年齢って自分がどの年齢であっても、世の中の価値観や風潮的に、焦ったり諦めたりといったネガティブな意味づけがされがちなものだと思います。今は昭和の時代よりはそうした価値観は相当薄くなってきているとは思いますが、とはいえ気にするな、と言われても難しい。にんげん、生き物だし。
なのでそうじゃないよ、もちろん残り時間は意識するけど、いやあでもここからじゃないか! と背中を押された気持ちに(勝手に)なってました。
拡散と集中
服を減らしたことで可能性が広がることについて、「過去こうだったわたし」が物的証拠として残ってないから、今なりたい自分に即座に変われる、手を上げることができるのだ、というあきやさんの言葉にすごい衝撃を受けてました。
即座に変わってもいいんだ!
この発言で気付いたのですがわたしは「過去こうだったわたし」を捨てることにかなり罪悪感があるようです。「過去こうだったわたし」が重くてもそのせいで苦しくても、他ならぬ自分が自分を捨ててはいけないと思っている、部分がある。どうしてそうなったのか、大体の心当たりもあります。
でも確かに、休職していた当時あるいはそれ以前の服を大量に捨てたらすごくすっきりしたし、楽になりました。それこそ即座に!楽になった。
じゃあなんでこの発言にハッとしたかというと、今のわたしが引っ越しのために自分の(そんなに多くは無いはずの)持ち物整理をしており、学生時代のノートやら写真やらにげんなりしているからです。
たぶん「成果」も含まれているから余計に手放しにくいんだろうなと自己分析していますが、抱え込んで苦しいままだったら苦しかった当時の自分にとってもそれはいいことじゃないんだから、手放したほうが苦しくない道ですよね。先日小学校時代の、既に全然笑うことができずひとりだけ仏頂面のクラス写真を見つけてひそかにダメージを受けてたんですが、ずっと頑張ってたよね、これからもっと幸せになるからね、と言って手放していきたい。
そうして絞り込んだことで「今の自分」の「尖った部分」が自他に対してよりビビッドに見えてくる、そこから時間の経過に耐えうるものが生まれる、ということなのかな……と。
本を作ること、書くこと
あきやさん書籍化一旦断ったんだ! 理論も自我も固まってないと思ってたんだ!? とびっくりし、竹中さんがnoteをベースに目次案を作ってたのにもびっくりしました。
素人の発想としては本を出版する人なんてみんな自信があるからそうしたんだろうと思ってしまうし、そうでなくても出版社の編集者さんから声がかかった時点で、あなたの本には価値がある、売れますよという「お墨付き」を得たようなものでは……と思ってしまうのですが、それでも書く側は(それを夢見ていたとしても、いやだからこそ)不安になってしまうんだな、と。こうして書くと当たり前のことなのですが、はっとしました。
何の裏付けのないまま暗闇に向かってモールス信号を打ち続けるのも、そのモールス信号が自分の見えない遠くまで届き誰かを傷つけるかもしれないという事も、それぞれ違う種類のとんでもない怖さだということ。
勝手な想像ですが、暗闇に向かってモールス信号を打ち続けるのって正気に戻ってはいけないしんどさはあるけれど、自分のやりたいことを好き勝手に打てる、ある意味では楽しい時間でもあるように思います。自分の打っている信号が暗闇でなく実在する生身の誰かに届く、届いてしまうということを「本当に」知ったことで、その楽しさが更に輝きを増すと同時に恐ろしさに変わってしまう……そういうことがあるのではないか。
そう考えるとあきやさんが「目の前のお客様のスタイリングをする」というところからスタートして、だからこそ当初書籍化をお断りしたというのは象徴的だなと思います。目の前の相手一人ひとりから、今までに出会ったお客様やまだ出会っていないネガティブな評価への対応に広がって、そこからまた普遍的な、時間の経過に耐える本を竹本さんと目指す……というのもまた一つの拡散と集中でしょう。
そういう不安や怖さがあきやさんに限らず実は多くの作り手に起こりえるものなのだというリアルさと、そこに伴走者がいたことの心強さを想像したりもしました。多くの優れた作者の側には優れた読者がいたとよくいいますが、あきやさんにとっての竹村さんもそうなのだろうな、と。
なおこの記事を書くにあたりこちらの記事を改めて読み返したのですが、ああこれはあのことか、と色々腑に落ちる感がありました。「時間はすなわち命だ。命と引き換えに本は出る。」というくだりや同年代の人たちとの比較とか、読んでいて何度でもうわーんとなってしまう。
こちらも。
ある意味では本を含むすべての他者との出会いがそうなのかもしれませんが、あなたは今こういうステージにいるんですよ、ここが尖ってますよ、こういう人なんですよと教えてくれる人に出会えることって中々得難い、凄いことな気がします。
でもそういう人に出会えた(気付けた)のもまたあきやさんの力ではないか……と思ったり。竹村さんはもちろんですが、あきやさんいつも同じ服着てますよね、とよく言われることに気付いて、自分のキャッチコピーに付けらける力、も中々凄いと思うのです。
この辺りは本当に作者としての言葉として聞いていましたが、竹村さんの「本は常に作者と読者の一対一の出会い」というのは一読者としても創作者としても印象的な言葉でした。お教室受講状況に限らずJJGはみんな、あきやさんと一対一で出会っていると思う。
それにしても多くの書き手がきっとあきやさん同様に「届きますように」と願っているのだとしたら、いや書き手に限らずそうなのだとしたら、なんて世界は美しいことだろう。
余談ですが下北沢のマクドナルドと聞いて「あそこかー!」となってました。(現地の方もわーっとなったのでは?)あそこなら確かに、駅前のいろんな人が視界に入るよなあと一人納得していました。
内臓になった本
書いてくださいね、と言われた気がしたので!
・萩尾望都「ポーの一族」
きれいな絵、きれいな言葉(ブラウニングの詩をこの漫画で知りました)、切ない、さびしいという感情、それが決して消えないということ。
そしてこれを20~30代で描いたということのとんでもなさよ!
・V.E フランクル「夜と霧」
しんどい時や折々にこの本の「コペルニクス展開」、世界があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが世界に対して何をするかなのだ、という考えを思い返しては難しいなあ……と項垂れています。
・梨木香歩「春になったら苺を摘みに」
「西の魔女が死んだ」の作者さんエッセイ。誰かが小さな声で語る過去にそっと隣で耳を傾けているような文体が好きです。
・鴻上尚史「トランス」(戯曲)
10代でこの戯曲を演じるのはやめなさい、早すぎます。自分は60代、70代の役者が「僕はようやく書くことを見つけたんだ」という台詞を言う所を見てみたいのだ、……と著者がわざわざ後書きで書いている、その意味が年々わかってくる恐ろしい本。わかっていても逃げられなかった。
・是枝裕和「ワンダフルライフ」(映画)
死んだあと、たった一つだけ連れていく思い出について。例えそんなものがなくても、それもまた尊い人生であり、許されるのだということ。
井浦新さんのデビュー作でもあります。わたしはこの映画で彼を知ったので、昨年の大河などはしみじみと観ていました。
こうして書いてみるといわゆる幼少期に出会ったのは「ポーの一族」のみで、あとは10代後半以降ですね。
リストを見て、そうか愛情深くなりたいというか、自他の人生を肯定したい、許したいんだなあ……と、しみじみ。今更ながらにコンセプトの伏線回収をした気がします。
(魔界出身だと思ってたけど天界だっ、た……?)
最近影響を受けた本・映画
・魔法使いの約束
本でも映画でもなくソシャゲですが……!
色んな人が指摘していますが文体といい世界観といいどこか児童文学の雰囲気があって、読んだ時凄く懐かしさを感じたし、自分の原点はやはりそっちなんだなと思いました。
(書きながら気が付きましたが、児童文学も世界を肯定する意志ですよね)
初めて読んだイベントストーリーは「パラドックス・ロイド」。コロナで疲弊していた頃だったので、登場人物の明るさ、朗らかさや新しい世界を見たいという希望が眩しくて泣けました。
それはそれとして媒体の性質上、ひっじょーに読み返しにくいので、いっそテキストを本にしてはくれないか……とずっと思っています。キャプチャ保存にも限界があるよ……。
4月、「教えてみんなの制服化」開催決定もおめでとうございます! 行けたらいいなー。
