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「頼る勇気」自己責任に疲れたあなたへ——『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』戸谷洋志・著【#070】(読書-06)

しんどいのに、「助けて」が言えない。
それは甘えでしょうか?それとも弱さでしょうか?
けれど実際は、助けを求めることこそが“責任”になる場面があるのです。



私たちが生きる社会では、「自分のことは自分でなんとかすべきだ」という”自己責任論”であふれかえっています。

はっきりとは言わなくても

  • 「肥満は個人の食生活の責任」

  • 「貧困になるのは個人の努力が足りないだけ」

とひっそり思っている人もいるのではないでしょうか。
そんな圧力をひしひしと感じることはないでしょうか。

このような考えが蔓延しているからこそ、「頑張れない」と感じたときに、誰かに頼ることをためらってしまう。
そんな経験は誰しもあると思います。


哲学者・戸谷洋志氏の著書
『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』(講談社現代新書)

本書は、こうした現代社会の閉塞感に対して、静かで力強い問いを投げかけます。


「助けを求めること」は無責任なのか?

「自分の責任をまっとうするために他者に頼ることもある。つまり、弱い責任こそが人間として責任を果たすことになる。」

著者は、本書で「自己責任論」の呪縛を解きほぐしていきます。
特に印象的なのは、「強い責任」と「弱い責任」を明確に区別した視点です。

強い責任は、”誰の責任か”を考える。
これは誰かの責任であれば、誰かの責任で考えるということ。
強い責任は強い個人という前提をもとに、”誰が責任を負うのか?”が重要視されている。

一方、”弱い責任”誰しも弱い立場になる人間が、”誰に対して責任を果たすべきか”という視点から考える。

誰に責任があるか、ではなく誰に対して責任を負うかの発想の転換

弱さを抱えた人が他者を頼ることは、決して“逃げ”ではなく、“人間らしい責任の果たし方”だと説かれています。

たとえば、体調が悪くても家事も育児も仕事も手放さない。そんな姿勢が、かえってバーンアウトを引き起こし、結果として「責任を果たせない」ことにつながる。だからこそ、本当の責任とは、自らの限界を認め、必要に応じて他者と「協力しあう」中にあるのです。


「誰に責任があるか」から「誰に対して責任を負うか」へ

自己責任論は、1980年代以降の新自由主義的政策とともに日本に広がり、「努力しない人は助けなくていい」という空気をつくりました。

しかし、それは「失敗が許されない社会」を意味します。リスクを恐れて誰も挑戦しなくなり、やがて誰も支えられなくなる。まさに、強い責任が結果的に“無責任”を生み出してしまうという矛盾を、本書は指摘しています。

自己責任論は他者を排除する性質を持ちます。誰かに「責任がある」とされると、それ以外の人は責任を免れる。結果として、責任は「なすりつける」ものとして使われがちになります。

先にも述べたように、自己責任論、すなわち強い責任は排他的で、結果的に責任逃れやなすりつけにつながります。

”弱い責任”は、「誰が悪いか」を追及する思考ではなく、「誰を支える必要があるのか」に目を向ける考え方です。


哲学が照らす「弱さの倫理」

本書では、3人の哲学者の思想を手がかりに、「弱い責任」という倫理の再構築が試みられています。

①ハンス・ヨナス

目の前に現れた“助けを必要とする存在”に対して、「自分が選んだ状況でなくても責任は発生する」と説きます。

たとえば、駅で泣いている子どもを見かけたとき、その場にいあわせた人には責任が発生します。ただし、その責任はその子を直ちに保護しなければならないというわけではありません。駅員に引き渡す行為だけでも、社会的責任の一端を担ったことになります。このようにしてその場にいあわせた人は”責任を果たす”という立場です。

②エヴァ・フェダー・キティ

人間は本来「他者に依存する存在」だという前提から、ケアの倫理を語ります。とりわけ、家庭内のケア労働者(多くは女性)が支配構造に巻き込まれやすい点を指摘し、彼女たちを支える“連帯”の重要性を訴えています。誰かを支える人は誰かに支えられないと生きていけない。そこに支配構造がうまれるとケア労働者の自由や平等は失われます。

だから、ケア労働者を社会全体で支える仕組みがなければならないのです。これがないと安心して人をケアすることはできません。

③ジュディス・バトラー

人間は相互依存的な存在であり、すべての人が「等しく悼まれるべき存在」だとする“哀悼可能性”という概念を提示します。

私たちは誰も一人で食事はできません。
食材を作る人、料理する人、そして食べる人。

他者に依存しているように、他者も私に依存している。
自己は自己以外の人に依存している。
相互依存している。


他者への無関心は、やがて自分自身をも傷つける——この思想は、「共同体感覚」の倫理にも通じるものでしょう。


アドラー心理学との接点:共同体感覚という補助線

本書の根底には、アドラー心理学でいう「共同体感覚」と通じる思想があります。

自分は共同体の一部であり、貢献できているという実感は、支援する側にもされる側にも必要な感覚です。
他者を支え、自分も頼る——それを肯定できる関係性こそが、孤立を防ぎ、連帯をうみます。


弱さに手を差し伸べられる社会へ

「もう死にたい」という人がいたとき、私たちはどうするか。
個人の自由と言って無関心でいるのか。


無関係でいられない感受性——これこそが、「弱い責任」の出発点です。

自ら直接的に助けることは難しくても、そこに思いを寄せ、分担し合える社会の設計を模索することはできます。

これは支援職に限らず、すべての人に求められる倫理観ではないでしょうか。
誰もがいつか“弱い存在”になる可能性を抱えているからこそ、「頼る勇気」を肯定する文化は、私たち全員を守る“セーフティネット”になるのです。

しんどい時に誰かに頼る。
頼ることで自分が救われる。
回復した自分が誰かを助ける。

このようにして果たす責任もあるのではないでしょうか。
本書は、自己責任論に疲れた人に、強く響く一冊です。


読書メモ

  1. 誰かに頼ることは責任の放棄ではなく、責任を果たすための手段でもある。

  2. 「誰が責任を負うか」ではなく、「誰に対して責任を負うか」という問いが、社会の連帯を可能にする。

  3. 私たちは誰もが他者に依存して生きている——だからこの社会は支え合うことが前提である。




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