「採るのではなく、育てる」──大学生が化学反応を起こす採用実践録
「今朝の新聞見た?ランキングに入ってたよ!」
4月上旬、会社の先輩から"ランキング"の話を聞いた。
「・・え?ランキングって何のことですか?」
「月給 35万以上」
「年間休日 125日以上」
ランキングの存在を知ることになった年の前年、新卒採用向けの就職活動広報イベントに参加すると、各会社のブースには、そんな文字が並んでいた。働きやすさを前面的にアピールしている。
会社の魅力を存分に伝えるこの場で、私は、給料も、年間休日も、福利厚生についても、説明しなかった。
会社案内パンフレットも、ロゴの入ったボールペンやクリアファイルも、何一つ準備しなかった。
それなのに、先輩から聞いたランキングーーそれは大学生が選ぶ「就職企業人気ランキング」で、私の会社がなんと業種別で「9位」に入っていた。
私は驚きを隠せず、何度も見直した。
ランキングなんて心当たりはないし、
なぜ9位を取れたのか。
あの日、私が大学生に持ち帰ってほしかったものは、いい情報でも、ノベルティでもない。
「少しワクワクしてきた」
「もっと知りたい」
「自分は何がしたいんだろう」
そんな小さな刺激だった。
この物語は、とある大人が、大学生の成長に本気で向き合った、その実践録である。
なぜ、人は働くのか
私が採用に関わり始めた頃、就活市場は嵐が吹き荒れ始めていた。
どの企業も少しでも早く、少しでも多く、優秀な人材を囲い込むために躍起になっていた。毎年同じ内容を、同じ方法を踏襲すればいい。そんな世界は、もうどこにもなかった。
そんな中で、採用担当者になった私は、ある問いの前で立ち止まっていた。
「なぜ、人は働くのか?」
採用担当者とは、人の生き方に寄り添う仕事である。この問いに答えられなければ、どうして人を採ることができようか。
食べていくため。
生活のため。
不思議なことに、当たり前のその答えでは、説明できないことがある。たとえ食べていけるだけのものを手にしても、生活できるだけの蓄えがあったも、多くの人は働きたいと願う。
必要だから働くのではない、別の”何か”が、私たちの中にある。
そう確信できるのは、私自身が直面したからである。ごく普通の大学生だった頃、夜の家で一人、ふと落ち込む時間があった。月に一度、ほんの短い間だけ。まわりと比べては、「自分は誰にも必要とされていない」「私は何者なんだろう」と、心が暗くなる。社会人1年目までそれが続いていた。
けれども、いつの間にか、その憂いは自然と消滅していた。
自分のした仕事に、上司、先輩、地域の人が「ありがとう」「助かった」と言ってくれた出来事が積み重なっていったからだと思う。
誰かの役に立ち、自分に何かできることがある。
仕事を通して、知ることができたからである。
実際に、就活生のエントリーシートを見ていても、「社会貢献」という言葉の登場率は、驚くほど高い。きっと、同じことなのだろう。
誰かの役に立ちたい。
役に立つ自分になりたい。
つまり、成長を要する。
ただ、時代はその成長を遅らせようとする。スマホ時間が長ければ長いほど、自分の頭で思考し、体を動かす時間を静かに削っていく。就職活動とは、自分が何を考え、どう行動してきたか経験のアウトプットである。その経験そのものに出会う時間が減っているのに、どうして経験そのもののの質量は増えようか。
だからこそ、私は考えた。採用というプロセスを、大学生に経験を手渡す時間・場として機能させることができないか。
思考を巡らした結果、私が掲げた戦略は、早期から優秀な人材を囲い込むのではない。一人でも多くの大学生を、力を発揮し、社会をよりよくできる人材に育てたい。すでに育った人を採ることより、今ここから育てる。
選抜ではなく、育成。
ふるいにかけるのではなく、育つ経験を差し出す。
これが、私の採用改革の骨子となった。
「化学反応」を起こす
さて、「育てる」と口にしたものの、更なる問いにぶつかった。
一体、何が大学生を成長させるのだろうか?
私も、就活生の立場になって、過去を自問してみた。何が私を成長させてくれたのだろうかと、走馬灯のように思い返してみた。
大学に入って最初に出会ったのは、周りの優秀さに気圧され感じた劣等感。
交換留学先の現地では、文化も価値観も全く違った。常識が通用しなかった。
塾講師アルバイトを始めて、働くことの責任を思い知った。
先輩や同級生が将来の夢を語る瞬間。
私を変えたのは、「人」との出会いだった。それまでの自分が少しずつ変わっていく。幾度も、はっきりと、昨日の自分とは違うことに気づいたときは確かにあった。
この現象を何と呼ぼうか。
—これは、化学反応ではないか。
化学反応とは、ある物質が、別の物質へと変化することである。これを、人間に当てはめてみる。これまでの自分という"反応物"が、新しい何かとの出会いをきっかけに、結びつきを組み替える。しかも、もとの要素が消えるわけではなく、新しい自分という"生成物"へと変化していく。
私は、この変化の過程を化学反応と呼ぶことにした。
成長は、作り出すことができる。
だとすると、私がやるべきことは明確である。これからやる採用改革は、この化学反応を起こすために設計すればよい。
期待させてしまったかもしれないが、画期的なイベントを新しく作ったわけではない。採用活動は、以下のフローで取り組んでいく。
仕事体験(インターンシップ)の広報
↓
仕事体験(インターンシップ)
↓
採用試験の広報
↓
採用試験
これらのプロセスの中で、人の行動に焦点を当て、意味づけを再考した。そして、私は化学反応を起こすため、小さな「3つの仕掛け」を仕込んでいったのだ。
1. 衝突 ── 新しい人と、ぶつかる
3つの仕掛けのうち、まず1つ目。それは「衝突」。
化学反応は、物質と物質がただ近くにあるだけでは起きない。十分なエネルギーを持って、正しい向きでぶつかったときに、はじめて始まる。かすめるだけでは、何も変わらない。
人の成長も、これに似ている。誰かと出会っただけでは、人は変わらない。「こんなふうになりたい」と心が動くほど手応えのある出会い——それがあって初めて、内側で何かが動きだす。この出会いを「衝突」と呼ぶことにした。
だから私は、大学生に、できるだけ多くの"人"とぶつかってもらうことにした。
まず、私自身が手本になった
正直に打ち明けると、私は説明会で、素顔の自分では登壇しなかった
私がいる業界は斜陽産業であり、変化が激しく厳しい環境を、生き抜いていかなければならない。そんな業界がいま必要としている求める人材像は、組織を先導する"改革者"だ。その可能性を秘めた人物を採りたいならば、私自身が、まずその姿を見せなければならない。
そこで私は、一人のキャラクターを設計した。「改革」という言葉が似合う、リーダーシップ性のある人物の仮面をつけた。輪郭のくっきりした"役割"を——声のトーン、言葉の抑揚、表情の豊かさ、姿勢や動作、その身全てで表現した。
白状すると、素の私は、恥ずかしがり屋だ。設計したキャラクター像とは、ほど遠い。面白いことに、その役割を演じることで、それになろうとしている自分がいたことに気づいた。仮面は、素顔を隠すものではなく、新しい素顔になっていく道具なのかもしれない。
後々、嬉しい報告を聞いた。あの説明会で話す私の姿を見て応募を決めた、という複数の後輩からの声。演じた甲斐は、確実にあった。
一人の手本では、足りない
とはいえ、私一人が手本になれる範囲は、限られている。「なりたい」と思う姿は、一人ひとり違うか。若手・中堅・管理職と、幅広い世代に大学生を引き合わせたい。そこで、仕事体験では、大学生の少人数グループごとに、社員をファシリテーターとして一人ずつ配置した。
若手や中堅は、大学生と年齢が近い。手の届く「数年後の自分」として、なりたい姿をより現実的にイメージできる。一方で、管理職は、大学生にとって近寄りがたい、遠い存在に感じる。その壁を、薄くしておきたかった。
私は、社員たちに役割を与えた。
「今回皆さんは、大学生を評価する審査員ではありません。一緒に働く仲間と思って、大学生から言葉を引き出し、場を回し、助け舟を出す"伴走者"になってください。」
各々に伴走者を演じてもらった。すると、大学生の側にも変化が起きる。評価される"応募者"ではなく、"これから一緒に働く仲間"という役を、自然と体感しはじめる。
人は、与えられた役割に、いつのまにか近づこうとする。その役割を意識できれば、社会人への移行の壁は自ずと低くなるであろう。
憧れと、悔しさは表裏
人にぶつかることには、もう一つの側面がある。憧れる相手に出会うと、人は同時に「自分は、まだあそこまで遠い」という悔しさも味わう。
かつての私が、そうだった。忘れもしない。大学に入った日、留学経験をしたことがある同級生ばかりで、彼らの堪能な英語力に気圧されて、劣等感に沈んだ。けれど今思えば、あの悔しさこそが、私を動かす最初の燃料だった。
憧れと、悔しさ。その2つは、同じ出会いの表と裏で、どちらも次の反応を起こす火種になる。
こうして、大学生が"人"と衝突する場を、様々用意した。しかし、火種をまいただけでは、まだ反応しない。その火を、確かな炎へと燃え上がらせる——次に必要なのは、そのための"エネルギー"だった。
2.活性化エネルギー ── 新しい情報で、揺さぶる
3つの仕掛けのうち、2つ目。それは「活性化エネルギー」。
化学において、反応を起こすには、まず越えなければならない「山」があるという。その山を越えるだけのエネルギーが加わったとき、はじめて反応が進みだす。
人の心も、同じだと思う。大学生の中にある「働くとは、こういうものだ」という思い込みを根っこから揺さぶり、その山を越えさせるには、相応の刺激が必要である。
けれど、多くの説明会で語られるのは、「お客様を笑顔にする仕事です」——心地よい優しい言葉。しかし、どんな職業にも当てはまる言葉は、最終的に心に残らないと思っている。ぬるま湯からは、何もエネルギーは生まれない。
一つの角度では、山は越えられない
そこで私が心がけたのは、一つの角度から語らないということ。
経済の観点から見ると、この仕事はどう社会とつながっているのか。行政との関係においては、どんな責任を担っているのか。技術の視点では、どのように発展してきたのか。国全体の視点で見たとき、それは何を支えているのか。
同じ仕事を、複数のレンズで、様々な角度から眺め直す。一方向から押すだけでは、凝り固まった常識は動かない。けれど、あらゆる方向から力を注げば、その常識も、ついに動きだす。
照らされて、輪郭が浮かび上がる
すると、それまでぼんやりしていた仕事の輪郭が、少しずつ鮮明になってくる。
この仕事は、社会が回るための土台をつくっている。それは自分たちだけで完結する営みではなく、地域社会から支えられ、また地域社会に対して責任を負っている。そして、めぐりめぐって、国力そのものを支えている。
つまり、この仕事に就くとは、社会の中で、それだけの役割を引き受けるということを知らされる。
個人から、社会へ、国家へ。視座が一段ずつ上がるたびに、目の前の仕事の価値が、順に変わって見える。「自分がしようとしているのは、そんなにも意義があることだったのか」。その驚きこそが、山を越える力になる。
後日、多くの大学生が、こう評価してくれた。「こんな業界研究を、他ではやってくれなかった」と。私が渡していたのは、パンフレットに載っている情報ではない。いくつもの角度から見て、初めて知るであろう新しい視点だった。
うつむく会場が、意味していたこと
説明会の成功を、何で測るだろうか。きっと多くの人が、こう答えるのではないだろうか。大学生が顔を上げ、目を輝かせながら、こちらを見つめてくること、だと。
しかし、私が一番手応えを感じたとき、会場で起きていたのは、その正反対の光景だった。
私が話し始めると、大学生は、次第にうつむき始める。彼らがうつむいたのは、退屈だからではない。書き留めずには、いられなかったからだ。
前章の衝突においては、大学生は私の姿に、顔を上げた。この章では、私の話に、うつむいた。顔を上げさせることも、うつむかせることも、心が動いた別々の証なのだと思う。
こうして大学生は、越えるべき山の、いちばん高いところまで来た。あとは、越えるだけ。山を越えたその瞬間、反応は一気に進み、そこに——新しい自分が生成される。
3.「生成」── 新しい自分を、生む
3つの仕掛けのうち、最後は「生成」。
人は、自分で自分を観測することが難しい。自分の中で何が起きたのかは、誰かに見つめられ、言葉にしてもらって、初めて分かることが多い。新しい自分とは、内側から湧くものではなく、他者の言葉によって、外から輪郭を与えられるものだ。
だから、その観測の精度に、最も力を注いだ。
汗が、素の姿を差し出す
話は、仕事体験の前にさかのぼる。
参加が決まった大学生には、あえて事前の宿題を出していた。あるお題について、自分なりに調べて考えてくる、というシンプルな課題だ。身近な事例を扱うから、着手しやすい。調べれば調べるほど、大学生はいつのまにか自分ごととして挑むようになる。
そう、人は、努力と時間をかけた対象に、愛着を持つようになるのだ。
頭と手を真剣に動かせば、とりつくろう必要などない。だからこそ、得意なことも、まだ苦手なことも、そのまま表に出てくる。ありのままの姿が差し出されて、はじめて、それを観測する意味が生まれる。
観測の、精度を守る
その姿を観測したのは、私ではなく、仕事体験で伴走してくれた、社員たちだ。彼らは、進路を裁く審査員としてではなく、一日をともに過ごした、少し先を行く大人として、大学生を見てくれた。
観測する目は、私一つではない。だからこそ、どの目であっても、観察の質を粗くしたくなかった。用意したフィードバックシートは、いたってシンプルだ。良かった点、さらに伸ばせる点、そして応援の言葉。私一人が心を込めるより、いくつもの目が、いつでも同じ精度で人を見つめられること。その仕組みごと、残したかった。
こうして手元に提出されてきたフィードバックを確認した。ここでの思いは、たった一つ。
「この言葉で、相手の心は、動くだろうか」
その大学生だけに向けられた、その人を刺激する言葉になっているか。一つ一つを心で感じながら、全てに目を通していった。
新しい自分との、対面
フィードバックを大学生全員に送った後、ある参加者から、こんなメールが届いた。
『グループワークでの姿や姿勢、発表の仕方など、細かく丁寧に見ていただき、大変嬉しかったです。社会人の方々の視点から、自分の弱みや強みを見ていただくことで、自分の客観的な姿を知ることができました。今後の就職活動だけでなく、仕事をする上でも、大いに活用させていただきたいと思います。』
ああ、届いたのだ、と胸が震えた。
「細かく丁寧に」——観測は、粗くなかった。「弱みや強み」——いい面だけでなく、ありのままを見ていた。そして彼女は、「自分の客観的な姿を知ることができた」と書いている。他者の言葉によって、自分ひとりでは決して見えなかった輪郭を、受け取った。
とりわけ嬉しかったのは、最後の一文だった。「就職活動だけでなく、仕事をする上でも」。彼女の視線は、目先の内定を越えて、その先の自分の姿にまで伸びている。きっと彼女は、吸収力を活かして、社会で力を発揮できる人材になるだろう。
救われた人が、救う人になる
かつて、自分は誰にも必要とされていない、と沈んでいた私を救ったのは、「ありがとう」「助かった」という、たわいのない他者の言葉だった。あの言葉が、私という人間の輪郭を、外からそっと教えてくれた。
新しい自分は、他者から手渡される。自分の中だけでは、生まれてこない。
だから今度は、私が、手渡す仕組みを作る側に回った。救われた人が、救う人になる。少しでも多くの大学生の未来を救えただろうか。
こうして、私が用意した化学反応の仕掛けは、完了した。
採用とは、未来の社会に人を送り出す仕事である
私は、ランキング入りなど全く狙っていなかった。私が狙っていたのは、ただ一つ。目の前の大学生に、「化学反応を起こすこと」。ただ、それだけだった。
「月給 35万以上」
「年間休日 125日以上」
就活広報イベントで飛び交っていたこれらの労働条件は、あればうれしい。けれど、なくても致命的ではない。
説明会で労働条件をあえて語らなかったは、ネットでいつも見れる情報だったから。ノベルティを配らなかったのは、物で釣れば、物が目的の人が集まるから。
私が大学生に渡したかったのは、「少しワクワクしてきた」「もっと知りたい」「自分は何がしたいんだろう」という渇きのほうだった。手にいっぱいにお土産を持たせる代わりに、関心や揺らぎで頭の中をいっぱいにして帰ってほしかった。
振り返れば、私がしていたことは、なりたい役に出会い、その役の意味を理解し、少しずつ演じさせ、そして新しい自分を手渡すこと。
実を言うと、この採用改革は、私単独のアイディアではない。大学院で、大学生の人材育成を研究していた頃に出会った、名立たる学者たちの理論をあれこれ混ぜて作り上げたものである。
ただ、理論をそのまま当てはめても、人は動かない。現実において、目の前にいる人の、目の動き、言葉の選び方、表情や姿勢の動きを見ながら、何が不足して、何を補うか。その繊細な調整こそが、私の実践録の鍵だった。
とは言え、なぜ9位を取れたのか、ランキングの詳細を公開されない限り、その本当の理由を私が知ることはない。
ただ、もし他の会社と異なった点があるとすれば、態度ではないだろうか。
大学生を、選抜することになる「集合体」として見るか。
それとも、育てていきたい「個体」として見るのか。
それが、すべての出発点だったのかもしれない。
そして、9位に入った、その翌年。私たちは、業種別で「4位」に入った。
