【 かなえたい夢 】
かなえたい大きなひとつの『夢』を
人生の幾つかの通過点から振り返ってみました。
――目 次――
✨はるかな夢を追いかけて
✨ユリウス・フチークの獄中手記
✨フランシーヌの場合
✨虹 色 の 未 来
✨熱いまぶたに浮かぶ World Peace
【はるかな夢を追いかけて】
♬トレビの泉/ミレイユ・マチュー
10代20代のころ、僕には大きな夢があった。
それにはまず、夢をあきらめない覚悟が必要だった。
混迷する世界情勢の中で一体全体、僕ら若者は何を感じていたのだろうか?
もしも全人類が、戦争やテロや核兵器の脅威から完全に解放されるなら
そして真実の自由と平和を実現できるなら
僕は大泣きするほど嬉しかったに違いない。
奇跡を知らせる地鳴りのように
世界のいたる所から歓喜の歌声が轟(とどろ)くとき…
戦争がなく、貧困や差別もなく
すべての人々が幸福を分かち合えるとき…
極貧家庭に生まれ育った僕は、何十万回も想像した。
一日も一刻も早く、この夢を実現できないだろうか?
そのためにも僕ら若者が、未来を信じて固く団結しなければならない。
新聞やテレビ等で伝えられて来る様々な報道に、時には憤り時には涙した。
そもそも、無関心でいられるはずもなかった。
立ちはだかる巨大な壁を踏み越えようと
僕は夢と理想を追い求めていたのである。
デモ行進に参加したことがあった。
粗末な手書きのビラを作って、ばら撒いたこともあった。
社会の多くの矛盾に、無抵抗でいるよりは
若者としての主張を無我夢中で、訴え続けていたあの頃。
具体的には、社会体制そのものを変革することが
実現の為の正道だと信じていた。
ずるい社会体制、もしくは理不尽な経済システムを打破して
世界の大舞台に全人類の新しい理想郷を築き上げていく——。
しかし現実の問題として、自分の夢がどこまで通用できたのかどうか?
この世には星の数ほどの思想や哲学、あるいは宗教さえ数多く存在するのに
いったいどれが正しいのか?
いったいどこに自分の情熱をぶつけていけばいいのか?
次第に僕は何もわからなくなってしまった。
つまりそれは、計(はか)り知れない挫折だった。
あの頃の情熱が、現在の僕に残されていたなら
これほどまでに迷うことも無かっただろうに。
不容赦で巨大な歴史の歯車は、若者のひたむきな志(こころざし)さえ
ひねり潰(つぶ)してしまったのだろうか?
いや、そうではない。
今でも……、令和の新時代を迎えた今でも僕は
心のどこかできっと、何かを問いかけ続けている。
自分らしさを捨て切れない何かを。 自分らしさを取り戻すための何かを。
追いかけても追いかけても、手中にできなかった虹のような夢——。
長く、遠く、険しく、それはまぎれもなく
青春の日々の、はるかな夢なのだった。
(筆者のコメント)
例え活動の拠り所を見つけられないまま計り知れない挫折を被ったとしても
夢を失ったわけではありません。
夢があるからこそ、人は絶望や孤独にも打ち勝つことができるのです。
【ユリウス・フチークの獄中手記】
♬世情/中島みゆき
20代の頃に出会った運命的な言葉があります。
ある歌集の中で ≪インターナショナル≫ 等の楽譜や歌詞とともに
添えられていた紹介文がそれでした。
その時はじめてユリウス・フチークの名を知り、同氏の言葉に感動した僕は
その後の自分の人生に、どれほどの影響を与えることになるのか
不思議な予感を感じていました。
もしかしたら、その言葉との出会いは
最初から、何者かによって仕組まれていたのかも知れません。
戦争が終わる最後の瞬間の、最後の一弾で
心臓を撃ちぬかれる最後の兵士になる事は、どんなに悔しいだろう。
だが、誰かがその最後の兵士とならなければならない。
もしも私に代われるものなら、私は今すぐにでも出かけよう……。
これは、第二次世界大戦時におけるナチス・ドイツ占領下のプラハで
反ナチス地下運動に関わり1942年4月ゲシュタポ(秘密国家警察)によって逮捕投獄され、翌年9月8日未明に斬首された
チェコのジャーナリスト、ユリウス・フチークの獄中での手記の一部です。
想像を絶するすさまじい拷問と
なおかつ処刑されるのが確実という極限状況にあっても
人間への信頼を最後まで失わず、不屈の姿勢を貫いた人物として
チェコ国内はもちろん、国際社会において広く知られています。
獄中で秘密裏に綴られた数多くの手記は
チェコ人看守2人の決死の助力によって、奇跡的に運び出され
妻の手により『絞首台からのレポート』として出版されるに至りました。
反ナチスへの抵抗運動の記録として
或いは、魂を打つ極限状況の人間記録として
80もの言語に翻訳され、現在まで版を重ねています。
思想・信条の違いを越えて、同じ血の通う人間として
広範な大衆の魂に、何かを訴えたからに違いありません。
インターナショナルを唄いながら、刑場へ向かったとされるフチーク氏。
最後の最後まで、人々の理性を信じてやまなかった人間としての生き様に
いったい誰がどうして、泣けずにはおれないでしょうか?
どんなに困難な時代にあっても
フーチク氏のみならず、先人たちの平和を願う純粋な魂は
何世代にもわたり、無数の人々のDNAに受け継がれています。
いつの日か人類は必ずや、世界平和の悲願を達成できることでしょう。
あらゆる人々が人類の未来を真剣に話し合い
ゆるぎない友情と信頼で結ばれるならば……。
(筆者のコメント)
フチーク氏の手記については
翻訳の関係で原文に忠実であるとは限りませんが、主旨は同じです。
【フランシーヌの場合】
♬フランシーヌの場合/新谷のり子
1967年から1970年にかけ、アフリカのナイジェリアで内戦が起きました。
国内東部州のイボ族が『ビアフラ共和国』として、分離・独立を宣言。
その後、大国の介入によって多数の民間人が巻き込まれる長期戦に発展。
少なくとも150万人以上もの戦死者を出して、やがて鎮圧されましたが
これは『ビアフラ戦争』または、『ナイジェリア戦争』と呼ばれています。
この戦争による飢餓で死んでいく子供たちの写真を身につけ
抗議の焼身自殺を行った女性がいました。ベトナム戦争をめぐり開催中の『拡大パリ会談』会場近くの路上での事件でしたので
ベトナム戦争への猛抗議でもありました。
女性の名をフランシーヌ・ルコント。享年30歳の若さでした。
実は、この事件を題材にしたのが
新谷のり子さんの歌う名曲『フランシーヌの場合』です。
『フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん…』で始まり
『あまりにもさびしい』、『私にもわかるわ』などと続き
『三月三十日の日曜日パリの朝に燃えたいのちひとつフランシーヌ』
との歌詞で締め括られています。
彼女はおばかさんです。
自分の命を粗末にする行為は、決して受け入れられるものではありません。
けれど 他者の心の痛みや悲しみを、我が身のように感じ取って
嘆き続けた人物を、一概に批判する気持ちにはなれませんでした。
むしろ、戦争や差別や貧困等の諸問題に
他人事(=無関心)でいられる人と比べれば格段に
人間としての知性の高さと、温かさや魅力を感じたからです。
戦争は数知れない人々の心を傷つけます。
戦場に送り込まれた兵士。そのご家族と知人・友人・親戚など。
戦時下の子供たちやお年寄りは
恐怖と悲しみで、夜も眠れないことでしょう。
さらに戦争当事国でない遠い異国の人々の心さえも傷つけます。
戦争のない世界を、僕は何十万回も夢に描きました。
しかしながら、現実の世界はあまりにも残酷すぎて、自分の無力さを
痛感させられてばかり。戦争に心を痛め、悩み、傷つき
焼身自殺をしてまでも抗議をする女性がいた事実を
僕たちは重く受け止めなければならないと思います。
彼女の死を無駄にしないためにも。
さらには戦争の犠牲となった全ての尊い命を弔うためにも。
(筆者のコメント)
『フランシーヌの場合』は、1969年に発売された
新谷のり子さんのデビューシングル。昨年(令和6年)になるまで
当事件の概要や、この歌の背景を知らなかったのですが
音楽の ≪スーパー黄金期≫ である 1960年代・70年代はやはり
名曲の大宝庫と言えます。
【虹 色 の 未 来】
♬花はどこへ行った/ジョーン・バエズ
信じていよう。 やがて、その日が来ることを。
君は、ベストを尽くしたのだから。
君は僕に、力強い勇気と確信を与えてくれた。
あの日、最後のコンサートで、君の歌がステージから流れたとき
誰も真剣に聴かずにはおれなかった。 それでいい。
若かった頃、僕らは青春の意味について、何度も語り合ったね。
青春ってやつは、素晴らしい友達だった。
僕らは青春号に乗って、でっかい世の中に向かって
がむしゃらに突っ走っていたんだ。
君は音楽に、そして僕は世界平和の夢に……。
たとえ結果がどうであれ、後悔はしないって。
幸せを願う思いは、誰も同じこと。 その上で、自分を忘れて
何かに一生懸命打ち込んでいける—―。
それが青春の、まぶしいまでの特権じゃなかっただろうか。
家の事情で音楽をやめると言ったとたん、君は泣いた。
ひとつの時代が終わったのかも知れない。 僕らのちっぽけな力では
世の中をどうすることも出来なかったけれど
大きすぎた夢を、決して捨てたわけじゃない。
僕らのメッセージは、未来へ確実に受け継がれていく。
君の流した熱い涙を、僕は今でも忘れない。
あの頃と同じように、相生湾の夕陽はとてもきれいだ。
高台から故郷の町を見下ろせば
君のギターや、君の優しい歌声が、聴こえてくるような気がする。
おわん島も遠見山も竜山公園も、ほら、きれいな虹色に輝いて…。
君と過ごした青春は、かけがえのない勲章だった。
水平線に沈む夕陽も、もうすぐ朝日となって生まれ変わるだろう。
僕らはいつの瞬間にも、未来というものを信じていたね。
やがて幸せな時代が、やって来るんだと。
(筆者のコメント)
この記事に描かれた高台とは
少年時代に毎朝の新聞配達で歩いた天神山の中腹。
この場所から将来の夢をふくらませたものです。
【熱いまぶたに浮かぶ World Peace】
♬忘れたいのに/パリス・シスターズ
数々の困難や苦境に直面した時、そんな時ほど僕は思い起こした。
人生で一番の目標について。
けれど現実の世界は、あまりにも痛ましい。
人としての『命の尊厳』に、どれほどの違いがあるのだろう?
世界中の何十億もの人々が今もなお、貧困と絶望の只中にいる。
終わらない戦争に泣き暮れる人々もいる。
一方で、たまたま豊かな国の恩恵を受けた一部の富裕層、一部のセレブは
見て見ぬふりを決めこみ、派手な無駄遣いや豪遊ぶりを誇示している。
まかり間違えても僕は、豪遊生活を自慢げに楽しむ気持ちにはなれない。
幾世紀にも渡り、軍事侵略・植民地支配・天然資源の略奪・奴隷制度・
不平等貿易・為替操作などで先進各国は、弱小国から執拗に
暴利をむさぼってきた。その結果として何を招いたのか?
憎悪が憎悪を呼ぶ、禍根の土壌を生み続けた現実の世界は
悲しいかな地獄絵巻のようだ。
人種差別。異教徒迫害。移民排斥。自国第一主義。自爆テロ。戦争。
そして地球規模の餓死者と難民。
極端な利己主義と財貨の世界的寡占の裏側で
この瞬間にも、尊い生命が無慈悲に失われていく。
南北格差も貧困格差も戦争もまた、多くは意図的に仕組まれた。
“人の道”として、立ち返るべき問題を解決できない限り
いずれ人類は破滅するかも知れない。
この世にどうして戦争があるのだろう?
いつの時代になれば戦争をやめさせられるのだろう?
第一次世界大戦3000万人、第二次世界大戦5000万人
大戦後も、1億以上の人々が犠牲となった。
美しい自然や、人々の幸せを奪うだけの残虐非道な戦争。
人類の歴史は戦争に血塗られている。
52年続いたペルシャ戦争。116年続いた英仏間の百年戦争。
347年に及んだチリのアラウコ戦争。
戦争は、人類社会のあらゆる発展を著しく阻害する。
もとより戦争は、人類社会最大の罪悪に過ぎない。
今や世界の年間軍事費は377兆円以上にも膨らんだ。
これほど愚かな金銭の無駄遣いがあるだろうか?
原水爆・中性子爆弾・劣化ウラン弾・真空爆弾・毒ガス・生物兵器までも
この世に出現させてしまった。
人類破滅へ仕向ける為の莫大な予算があるのに
なぜに瀕死の貧しい人々は置き去りなのか?
助けられたはずの幼い命でさえも…。
罪の無い子供達が6秒に1人ずつ、栄養失調や飢餓で見殺しにされてきた。
豊富な資源と自然環境に恵まれたこの地球が、何のために存在するのか
僕はいつも考えた。
生きとし生けるものが、仲良く幸せに共存できるよう
この “奇跡の星” が創造されたのだと僕は信じたい。
この星に生まれ、この星を愛するなら
もうこれ以上、この星を悲しませないこと。
暴力ではなく、不屈の正義と人類愛のみが世界を変える――。
そう信じて僕は生きてきた。
泣き暮れる人々、希望を失った人々、見捨てられた人々を
どうしても救いたかった。
人の世に愛が存在することを証明できるのは『愛』でしかないのだと思う。
背負いきれない現実に、無力の僕は何度も打ちのめさせられた。
それでも、あきらめきれない。
どんなに激しく叩かれてもかまわない。
未来への夢と希望だけは、今も心の奥深く輝き続けている。
♬Amazing Grace/ヘイリー
♬カ ノ ン/パッヘルベル作曲

💛【関 連 記 事】💛
🔶【緑よ永遠に……】 ~心に秘めた永遠のラブレター~ |建礼門 葵
🔷笑 顔 の 君 ~忘れ得ぬ君への思い~|建礼門 葵
🔶尊敬する人|建礼門 葵
🔷丘 の 上 の 菜 の 花 ~幼なじみのシロへ~|建礼門 葵
🔶何十万回も思い描いた夢|建礼門 葵
🔷【 戦争のない世界へ向けての宣言 】 (第1回改訂版)|建礼門 葵
🔶♬反戦歌&命の尊さを訴えた歌♬|建礼門 葵
✨国際社会への提言 & 戦争反対のメッセージ|建礼門 葵|note✨
いいなと思ったら応援しよう!
幼い頃からの夢は貧困や差別のない ≪あたたかい社会≫ の実現。どんな時でも
生きづらさを抱えるすべての人々を擁護し、不屈の代弁者であり続けたい…。地域社会の発展と世界の恒久平和に少しでも貢献できれば本望です。葵と共に未来を切り開いていきましょう。