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ラストダンスは私に

別れは、たぶん二度やってくる。

一度目は、手を離したとき。
もう会わないのだと、
互いに知ってしまったとき。

そして二度目は、もっと静かに訪れる。
ふいに思い出さなくなった朝や、
名前を口の中で転がさなくなった夜のうちに、いつのまにか。

私はたぶん、その二度目のほうが苦手だ。


忘れたいと思っているくせに、相手には忘れられたくないという勝手。
でも、人の気持ちなんて、たいていそういう勝手さで出来ている気もする。



昭和歌謡に「ラストダンスは私に」という歌がある。
越路吹雪 の、あの少し煙の匂いがしそうな声で歌われる曲。


他の誰と踊ってもいい。
でも最後は私と。



あの歌を聴くと私はいつも
少し違和感を感じる。

優しさなのかもしれないし、
諦めなのかもしれない。
あるいは、誰よりも深い執着なのかもしれない。

きっと、そのどれでもあるのだろう。


ただ、私自身に置き換えてみると、ラストダンスをただ待つような恋は、どうも性に合わない。


待つことが嫌いなわけではない。
けれど、待つことでしか成り立たない愛には、少し息が詰まる。


もし踊りたいのなら、私はたぶん最初に手を差し出す。

ファーストダンスをください、と。


それで十分に踊って、笑って、少し疲れてしまったなら、
そのあとのラストダンスは、誰か別の人と踊ればいい。


お願いしなければ思い出してもらえないような人の、最後の一曲に、
私はあまり価値を感じない。


そんなことを考えていたら、自分の名前の由来を思い出した。


お母さん、お父さん、ごめんなさい。

堪え忍べる子になるようにとつけてくれた名前らしいけれど、
どうやら私は、あまり上手に忍べないみたいです。


忍ぶくらいなら、踊ってしまいたい。
そうして、踊り終えたら、きれいに帰る。

私は、たぶんそういう人になりました。

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