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【鬼滅の刃談義】『禰󠄀豆子、起きて。・・・お兄ちゃんまで…』母の家族愛と「カ・ミ」の匂い。アニメオタクから次世代への共感、業界の現状と未来への一考察。

きっと、この作品を完結させた吾峠呼世晴氏は、良い家庭と共に人生を歩んでいくのだろう。

「家族の絆」と「友情」。それに立ち向かう「勇気」と「慈しみ」

どこから眺めても、人としての本質を改めて認識させられることばかりだ。

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これは、意図的なのだろうか?

そもそも炭治郎は最後の最後まで「一人」にさせてもらえない。

そして彼は誰よりも「一人」でも考えられる人間だ。

彼は「考えろ考えろ」が独り言の人間。

「本当は一人にさせてくれ」と思いたくなる様な、重荷を背負って生きているのにも関わらず、彼はいつもポジティヴで、周りを和ませて決して挫けずに諦めない。

無論、それは「漫画」「アニメ」作品の中の描写であり、生身の人間で「柱」達が存在したら超人でしかない。

皆、途轍もない絶望を宿命に背負いながら「鬼殺隊」を率いている。

そんな「鬼滅の刃」が、今若い世代の特に女性達に人気を博した事を、日本人の大人達はどう捉えているのだろうか?

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「刃」「仏法」「呼吸法」「悪鬼滅殺」「夜の闇」・・・・

これほど綺麗に日本人社会にあった「絶望」を表現する感性。

それにアップデートされた、次世代も既に社会現象へと投影されつつある。

「少年ジャンプ編集部」はどうやら「別格」の何かが宿っているのだろう。

政治家や官僚の家族は、「少年ジャンプ」をまずみんなで回し読みをする事から日常を始めた方が良さそうだ。

明らかに次世代に流れている「感性のアップデート」は進んでいると感じる。

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ただ気になるのは、その価値に対して「資本価値的報酬体系」があまりに小さい事が挙げられる。

ステークホルダーが少ない事はわかるし、確かに今のままでの十分なのかもしれないが、あっという間に海外資本や政府が奪っていきそうな予感はある。

実際原画家たちは必死の労働で、メンタルを擦り減らせている人を何人も見てきた。

その割に、その労力が価値として報われる事は少ない。

その人々がその価値に見合うだけの社会生活、生涯が遅れるような補償を用意する事が「経世済民」である様にも感じる。

様々な意味で「ユニバーサル・ベーシックインカム」は必然性がある様に感じる。

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「起きて、禰󠄀豆子。・・・お兄ちゃんまで死んでしまうわよ。」

それは下弦の伍・累との戦いの最終盤、炭治郎が決死の一撃を繰り出した際に、気絶していた禰󠄀豆子の意識下に現れた母の言葉だ。

竈門炭治郎・禰󠄀豆子以外の家族は全て、鬼(恐らく・近くに咲いていたであろう、青い彼岸花を探しにやって来た鬼舞辻無惨)に殺された。

禰󠄀豆子だけは、鬼となって生き延び、人を喰わずぎりぎりで記憶を保っていた。

複雑性PTSD・愛着障害の私は、「累」のエピソードが堪らなく好きだ。

累は、水柱・冨岡義勇によってあっさりと首を切られた後、自分には愛してくれる家族があった事に気づき、反省して彼を待っていた両親と共に地獄の炎に焼かれる。

彼はずっと「理想の家族愛」を探して那谷蜘蛛山にて「鬼の家族ごっこ」をしていた。

所謂左翼思想が好きな「擬似家族コミューン」だ。

リーダーである累は、他の集めた鬼達それぞれを家族構成要因としての役割を与えた。そして彼の理想を押し付けて、それが出来ない鬼の家族に容赦なく体罰を与えた。

まさに「人類における社会共産共同体の歴史」のようだ。

ある少女の鬼は逃げようとして捕まり、縛り付けにされ朝日によって焼かれた。

鬼達は累の恐怖による支配に怯えながら、そのコミューンから逃れられずに共生していた。

「理想の家族」「理想の共同体」

そんなものは、人類には最初から無い。

人類は、生きていくために、ただ遺伝子の子孫繁栄のために生きる生き物であって「理想の家族」「理想の共同体」を作ることが生きる目的ではない。

病弱を克服するために鬼舞辻無惨から血をもらい、鬼となり、そして自らの手で両親を殺害した。失った家族愛を彼は必死に探し求めていた。

そして「竈門兄妹」に出会った。「求めていた家族愛」を見つけ、そして手に入れようとした。

手に入れようとして手に入れられるもので無い目に見えないものを、「力づく」で物にしようとした。

煙となって無へと消えゆく彼の衣に、炭治郎はそっと手を置く。

「小さな体に抱えきれないほどの大きな悲しみの匂いがする。」

鼻の効く彼は、累のその絶望を憐れむ。

「鬼は人間だったんだから・・・。」

どこまでも「優しい」炭治郎。

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『日の神・神楽』

炭治郎が絶体絶命で意識を失った瞬間、目の前に父が現れる。

そして父は

「呼吸だ」

と呟く。

咄嗟に「水の呼吸」から「日の呼吸」が発動した。

「ヒ」「ミ」「コ」

「卑弥呼」は魏志倭人伝に登場する、「倭国」最大の謎の人物だ。

以前にもその事について「note」した事があったが、古墳の科学解析によって古墳時代の人々は「宮古島由来」である事が判っている。

更に遡ればハプログループDの「チュルク系」の三つ巴へと辿り着く。

『九州・琉球・八重山』と「朝鮮半島」

そして「東北・北海道」に連なる「樺太」

この辺りがどうやら「海洋ルーツ」と「倭人」への手がかりになりそうだ。

そう、倭人の中での「God(神)」とは、

「日(火)」と「水」で「カ・ミ(神)」である。

太陽エネルギーと炎の関係、そして「水」と生命の関係性を、倭人達は「神」として祈り、崇めてきた。

それはゾロアスター教に始まる「一神教」よりも遥かに「原始の太古」から崇めて来たものの様に感じる。

シンギュラリゼーション時代、ホモ・サピエンスの遺伝子・地質学的な解関と新事実が次々に表出していく事を思われる。

そんな時代に「鬼滅の刃」に感応している次世代の若者達には、

嘴平伊之助の様に「ワクワクが止まらねぇ。」

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もう一つ気になるのは「雪の中」で「日の神神楽」を踊っている描写だ。

炭治郎の住む山間では「雪」の描写が強い。

吾峠呼世晴氏の出身地は「福岡」であり、福岡を中心とした「九州」を連想させる描写が多いが、

その竈門家は「雪が降る山」で生活している。

無論、九州でも雪は降るので九州なのかもしれないが、

勝手に付け加えるならば、出雲族や八幡、蝦夷といった民族もまた「倭人」を形成した一部である事が「遺伝子的」に判明している。

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21世紀も、既に中盤戦に向かっている。

シンギュラリゼーション時代という、全く新しい量子工学科学を実装した新時代において、常識が覆る事が日常茶飯事になっていく。

「鬼滅の刃」は、そんな既成概念の闇に隠れていた悪鬼滅殺の中にある、我々人類の今を、スリリングに、ドラマティックに、そして誠実さの中にある人類愛を、余す所なく描いている様に感じる。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。