『最弱の人生哲学』
そうだった。
そのことに、気づいた時、
あぁ、それでいいんだな。と。
47年目にしてようやくその意識に巡り合った。
『私が勝手に必要と思い込んでいただけで、全てはどうでもよかった』
そして、本当は必要な事。
それは、己を生きる事。
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この国は『家族制度』が色濃く存在する。
戸籍制度も国民に対して世界一厳しく
家社会制度を形成している。
この国には封建社会の身分制度、部落差別が存在したが、
家族が育てて、家族が扶養し、家族が介護して助け合う。
『家族=血族』
私の弱さとは、本質的な根本が、
私の置かれていた環境に対して、何の疑念を抱く事なく生きてきた事。
『家族=血族』という縛りの中を生きることの意味を見つめる事をしてこなかった。
気づきなどかき消されるほど『強い同調圧力』が現実社会に存在していた。
『家族』『社会』
私という個体は、本来ホモサピエンス。
『家族』『社会』によって全てが決まる『親ガチャ』が家族主義社会なら、
名前を変えただけであって、
『奴隷制度』と何か違っているのだろうか?
ようやく気づいた。
家族主義社会環境によって、
己を生きることそのものを制約されていた事に。
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私は気づいた。それでいい。
ホモサピエンスとしての個体の意味を
今世の中で、己を知った。
まだ多くの日本国民は気づかずに、常識と倫理道徳、善悪を軸に
家族主義から社会を捉えた日常を送っている。
『日本民族国家の滅亡はそろそろ確定する』
その善悪はそれぞれが捉えればいい。
恐竜もマンモスもピテカントロプスも原人たちも滅亡してきた。
私は生きている。
私たちはそれぞれ、何の目的でホモサピエンスとして地球に存在しているのか?
日本国民がマオリ族や、ネイティヴアメリカン、アボリジニーのように少数民族になったとしても、
この銀河の風に吹かれた太陽系第3惑星地球に日本列島はあり続けていくだろう。
あと数万年は存在する。
私たちの血族ではない、ホモサピエンスが主体として生活しているだろう。
帝国主義と植民地、大戦、共産主義と資本主義。
歴史を振り返れば、大義は正直どうでもよかった。
21世紀の事実は
『日本人と言われた民族滅亡』
大切な事は、そんな事ではなかった。
カルトやスピリチュアル、イデオロギーの思考が大事で、私そのものと寄り添う事をする価値観が両親は最初から0だった。
愛着障害なのだろう。
己の事だけを愛して欲しいのに、
誰も己だけを愛してくれない。
そう潜在意識の声をかき消すために、カルトの他人の声を聞き本来の自分を思考で無視して時間を重ねていった。
家族からも地域社会からも孤独な絶望感の中を私は生きていた。
違和感しかないこの日本国を家族に縛られた半生を生きていた。
全ての因果がシンクロニシティ、セレンディピティした結果が、
『少子化』
事実であり、それが答え。
スピリチュアルはポジティヴシンキングをしたがるが
全てはただ事実。
太陽に良いも悪いもない。太陽は太陽。
銀河は銀河。
この世界で起こる現実が事実であり事実が全て。
どんな親に、環境に、時代に生まれたとしても、ただ死ぬまで生きることから逃れることは出来ない。
「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き残るのでもなく、
唯一、生き残る者は変化できる者である。」
(チャールズ・ダーウィン)
『シンギュラティ』
未来の扉は開き、地球の資本と労働による社会へ、猛烈な突風は加速して吹き荒れ、数百年に渡る因果を清算、崩壊させていく。
生き残るもの、種の保存を子孫を成してきた事が『事実』
『性教育』『避妊法』
などを教える事と、
『ホストクラブ』『パパ活』
が共存する事実
この国家行政が作り出している秩序にはただただ欺瞞しかない。
『変化出来る者』
主体的で変化を選択する勇気ある行動と
変化に適合可能な遺伝子を持つものが、未来事実を紡ぐだろう。
どう転んでも私たちは、ホモサピエンス。生物だ。
それさえ分かって生きれたなら、
ニコニコしながら没落しよう。
渋沢栄一はたくさんの子孫を残した。
そしてその子孫は今も遺伝子を次世代へと紡いでいる。
小さな小さな命の種は、今日も大量に生まれている。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。