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【オタク・サブカル談義】「異世界転生もの」と、セルバンテス・『ドン・キホーテ』に観る読者心理の共通性から見た「世界」

西暦2025年

「オタク」のフィールドは、もはや日本語の域を超え、世界中に新しい価値観、可能性を広げている。

昨今大人気の「異世界転生」ラノベ・アニメ。

最近ようやくその事に気づいた。

人類におけるその原点はスペイン文学の風雲児だったミゲル・デ・セルバンテス作「ドン・キホーテ」ではないだろうか?

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そもそも「オタク」や「異世界転生」に共通している事は

「現実社会」に対する「不調和」から派生した「表現」。

それが「幻想」であり「妄想」であり、「現実逃避」である。

そして、世代を超えて、或いは社会を超えて共感を得る作品にの中に宿るものは何なのだろうか?

「トルーキン」の指輪物語は、「英雄もの」であり、「ファンタジー」が「神話」と「融合」していくことへの体系化に寄与した。

ただ「異世界転生」は根本的に全く交わることのなかったはずの「異次元」が混在するストーリーだ。

「固定観念」が全く通用しない物語設定。

それに中世、400年前にヨーロッパ文学で初めてチャレンジしたのが、セルバンテスだった。

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「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」

「ドン」とは、高貴な貴族に与えられる称号。

「キホーテ」とはスペイン語で「馬の尻、または甲冑の腿宛」を意味する。

そして、ラ・マンチャとはマドリードの南部の高原地方。

つまり、僭越ながら超訳的に言えば、

「ど田舎出身・自称・大貴族のポンコツ大冒険」

タイトルだけでも、スペインで生活する人々にとって、それが滑稽なパロディであろう事が連想される。

何か感じないか?

そう「異世界転生もの」のタイトル達と「類似性」を感じないだろうか?

つまり、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」は、中世ヨーロッパ、文芸世界における「ラノベ・サブカル」的な可能性への挑戦、役割を果たしたのでは無いだろうか?

中世ヨーロッパと言えば、「一神教」同士による宗教国家対宗教国家による争いが繰り広げられ、「神」や「国王」「騎士」「英雄」といった「正義」と「悪」に対する「プロパガンダ」のための「文学」「音楽」「芸術」が「文明」の中心だった。

その「宗教国家権力による暴力」に民衆は虐げられ、従わないものは「叛逆者」と見做されて、一族郎党「処刑」が当たり前だった。

僅か400年前である。

実際、ミゲル自身も海軍に所属し従軍した際、大砲が左手に直撃し不自由な生涯を送ったとされる。

それでも生き延びたが、脱獄するまでに嘘と裏切りに何度も処刑される危機があったとされる。

若き日のミゲルの中に、信仰する神と、国家によって不自由を強要される矛盾。

それでも彼は次に「無敵艦隊支援」のために「食糧調達」の仕事に従事したが、その調達が強引だった罪で、罪人となり投獄される。

出所後、彼はなんとか徴税士の仕事を得るが、税金を預けた銀行が破綻。併せて30倍の追徴金を課せられて、再度投獄される。

彼は「神」「宗教」「国家」「家族への愛」それらへの信仰心、忠誠心からただ生きただけなのに?

彼の中には国家秩序には「不都合な怒り」が蔓延していたのでは無いだろうか?

「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」はその2度目の投獄中に発想が思い浮かんだそうだ。

彼は、その後編を書き終えた翌年に旅立った。

ある意味彼の、神や国家といった、人類の時代背景に翻弄された人生における執念が書き上げた物語。

それは「オタク」文化に流れてきたものに通じる様に感じる。

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未来における、「オタク時代」が回想された時代を想像する。

「グローバリズム」「国際金融資本」「カルト・イデオロギー国家」

村上春樹氏は「サブ・カルチャー」大衆化時代の作家とされるが、

「1Q84」に関しても、「文学」から連想されるもの、そして「アニメ」「ゲーム」など映像コンテンツによる「ビジュアル化」「映像音響」「オタク」が新しい時代を切り開こうとしていた。

実際「ニューエイジ」の象徴とされた「カルト宗教」の資金源として「秋葉原」などの「デジタルコンテンツ」市場があったとされる。

兎にも角にも、私たち「氷河期世代」が生きた世界線の中に「カルト・イデオロギー」は至る所に張り巡らされていた。

ミゲルの時代も、もうどこにも逃げ場がない程に、絶望的な社会が広がっていた。

そして紆余曲折、生き延びて絶望の淵の先に「ドン・キホーテ」が出版許可されるに至った。その時彼の齢は「58」になっていた。

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「IT」や「金融」など、「計算」や「新規機能への順応」を求められる近代の人類労働市場において一見、「若者」の需要が高い様に見えるが、

シンギュラリゼーションによって、「労働」と「社会生活環境」の構造自体が変容していく。

杓子定規によってホモ・サピエンスの個体への「価値」を図る事は、これから益々不可能になり、「貨幣」や「利権」に関する定義や扱い方にも、重大な変容が始まっていく。

「異世界転生」の物語が顕在化するというよりは、それに触れ「気づき」「共有する」感覚自体が、その先にある未来への行動や選択肢、きっかけを生み出していく。

実際にセルバンテスの死後、17世紀は近代化に向けた思想家の出現や革命など、様々な出来事がスペイン以外のヨーロッパ各地で発生していった。

そう、事象は「波紋」のように「伝播」し現象化するもの。「バタフライエフェクト」のように何層にも折重ねられた幾何学的なもの。

いつでもその「サーキュレーション遺伝子」にスイッチを入れたものの因果関係を、その時代を生きた人は気づかず、知らずに後世によってこうして読み解かれる。

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「異世界転生もの」の中に流れているものは、PC時代、アドベンチャーゲームと呼ばれたシナリオに端を発しているように感じる。

プレイヤーは、ゲームの主人公になり、選択肢によって、シナリオは分岐したパラレルワールドへと進んでいく。

物語に没我するが、それは「ゲーム」の世界であり、現実ではないが、現実として己はそれに没我する時間を浪している。

実世界にいた人物が、異世界で活躍するそれは、アドベンチャーゲームとの類似性を非常に感じる。

そもそも「ゲーム」自体に備わったそれが「非現実」であり、「メタバース」は完全に「仮想空間」での「生活時間」の共存を実現しようとしている。

メタバース空間での生涯において、「ドン・キホーテ」のままでいられるのだ。

メタバース自体は、日本民話「浦島太郎」とも言えそうだ。

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何れにしても、人生は筋書きのないドラマであり、喜劇だと捉えて日々を生きた方が、悲観して終えるより充実したものになる事は間違いなさそうだ。

ミゲルは、諦めの悪い男だったのだろう。普通の人だったら、左翼活動家にでもなって復讐の人生を送り、「処刑」されるのがオチになりそうだが、

彼は物語上も、己の人生も「ドン・キホーテ」と共に、己の還るべき己へと生還したのだ。

そういつ何時も、希望を捨てずに、喜劇としてユーモアを携えた心を保ち、それでも後世へ何かを生み出そうとする主体的な創造性、実行力を持つ事。

それは、22世紀に向かう今を生きる私たち人類のこれからにおいても変わらない意識の在り方を示しているようにも感じる。

固定観念や正解を探すことより、私たちが生きてきた中に転がっている、「失敗」「絶望」「悲哀」、「ガラクタ」や「ポンコツ」を拾い集めて冒険をする事の先にこそ、

人類が人類として共感すること、気づくこと、発見するための叡智が散りばめられている。

「オタクは地球人類を救う」

だからオタクは辞められない。


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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。