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就職氷河期世代の私が、80年代・私の時代にあった義務教育・社会構造について振り返る。

始めに。

私の小学生卒業アルバム。将来の夢について。

私が何を書いたのかさっぱり覚えていないが、

「先生」

が上位だったことを全く共感できなかったというか、むしろ拒絶・無視に近い感情だったのだなと今更自覚した。

「義務教育」が、小学生に「なろう」を「夢」として聞く時点で狂っている。

「先生」とは「結果的に適性でたどり着いた結果」であって、目指すものではない。

それでは「先生に憧れるカルト宗教」だ。

そしてその答えに「先生」と書く。「先生」に「支配された従順さ」の中に義務教育というものを容認してきた、当時の日本人社会秩序に対して恐怖を抱く。

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「あなたは本当に家で勉強をしない。こんなに勉強をしない人がいるのか?」

当時、母は私に何度も何度も愚痴った。

団塊の世代で、学校トップの成績で大学卒業まで果たした母は、きっと家に帰ってからも勉強をすることが当然だったのだろうと今更ながら認識する。

そしてある日、母の部屋の片付けを手伝った際に母の卒業アルバムを見つけた。

「将来の夢・学校の先生になること。」

なるほど、私は間違いなく母とは剃りが合わなかったのだ。

ある意味現在の運命は、その時点で「確定」していた。

勉強や学習を主体的に選択するには「目的」「動機付け」が必要だ。ある意味、当時の私の人生の中に足りなかったものは、それを実感する機会だった。

ある意味「放擲するため」の振り返りだが、そこを今確かめておくことはこれからの人生にとって意味を成すものだと感じている。

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私が中学生に上がる頃、日本国経済の「バブル崩壊」が起こった。

まだ社会を何も知らない私にはただテレビや新聞による「ニュース」として、株価下落、倒産、失業などのニュースが流れていた。

「オイルショック」など、社会の授業で学ぶ事例と、それは同じようなものだから、いずれ私が社会人になる頃には良くなっている。

多分そんなふうに考えていたのだろうか?

それは私が大学を卒業する時が「ピーク」だった。所謂「就職氷河期世代」である。

「試験勉強」というものに全くやる気が入らない私は、何故か「大学」は簡単に卒業出来た。

当時の大学は本当に緩かったことと、「要点を掴み、言語化して残すこと」だけが、恐らく私の特殊スキルだった。

両親が文学部卒で、父が「新聞記者・文筆家」をしていた遺伝子が多少「エピジェネティクス」として私の中に働いたのだろうか?

それでも私の中に「教師」という職業に就きたいという夢は全く芽生えなかったし、むしろ大学においても「教授」というものにすら、感動や敬意が芽生えることもなかった。

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私は今、「興味あることを学ぶことが好きだ」とようやく言える。

若い人に「講師や教師にこんな人が学校にいたら」と良く言われる。

それでも個人的に興味あることしか学ばないので、たぶん日本の学校教育の教育要綱通りの授業に興味がないので、やはり向いていない。

相変わらず、同級生たちの「何故『先生になりたかったのか?』問題」は解決しない。

ただ、日本の教育機関における大学教育が、『何のテーマを誰の元で学びたいのか?』というものが見つかるまで待っていて、或いはそれが見つかった人が入学可能なシステムであったならば、私は「生物と意識」をテーマに選んだだろうし、その興味を満たす人物を探して、その教授の元で学ぶことを選んだだろう。

「勉強・試験嫌い」なのに、大学も、国家資格のために更に学校へ通った。

就職氷河期世代の私は、全く持って「意味不明」であり「社会不適合」だった理由は「教育」が私を育てず、システムが求めるものに従順であるための構造だったためだと、今なら言える。

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小学校6年生の頃、一人が答えられないと、全ての生徒に罰として頭部を殴打する教師がいた。

その教師は保護者には熱心であると、評判の教師だった。

私は全く覚えていない。ただ、大人になってから再開したクラスメートに言われたこと。

「あの教師に、『先生はそんなに偉いんですか?』って言っていたよね?歯向かうなんて勇気あるなって思った。」と。

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真の意味において、吾々ホモ・サピエンスたちが、何の目的で、何に作用しているのか?

戻ることが出来るのなら当時の先生たちに、吾々が生きる意味を聞いてみたい。

西暦2026年。令和8年。

常識・秩序の「アップグレード」は、加速している。

改めて、私は「先生」などと言われる職業を『断固拒否』する。

私には「先生」と他人に呼ばれた時に「100%答える自信がない」。

「先生」にはなれない。「荷」が重すぎる。

自由で、答えがない問いをこの生涯の中に探して、見出していることの方が好きだ。

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ここから先に、日本社会における学校教育にも否が応でも激変、暴風雨が巻き起こることになる。

それは、ある種「生徒の利益、教師の不利益」になるものであるだろうから、「教育期間の果たすべきことに対して意味がある」。

もう「労働」や「職業」を超越した「夢・目的・役割」が、このホモ・サピエンスのこれからを生きる意味になった時代に突入している。

「洗脳」や「思考統制」のために教育機関が存在しているのでは、既存秩序の中にあった他国の教育やメディアの情報・言論の自由を非難するのが恥ずかしい状態に陥るのではないか?

少なくとも「就職氷河期世代の一人の日本人男性」として、私という物語の中にあった「義務教育」は文字通り「義務教育」であった。そして「先生(教師)」は、「日本国政府(戦勝国秩序による敗戦国)の国民としての教義統制下として生きることを、子供達に植え付ける目的のため」に存在していたように感じる。

思い出しただけで、学校も、社会も、家族も全てが「クソ」だった。

過去は戻らないから「クソ」な記憶を「放擲」しよう。

そして、今、ここから先の未来へ、吾々のあるがままを生きる意識領域が、本質的なホモ・サピエンスとして、生命として、この物理領域に実存していること。

それが、大前提で当たり前になった日本国の義務教育が始まっていくことを「夢」にでもしておこう。

もう既に「シンギュラリティ(地球人類における技術的特異点)」が、全ての既存社会意識構造を変容させる未来へ、人類の意識は突入しているのだから。

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みなさま、いつもご愛読頂きありがとうございます。
これからも、そしてこれまでも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけ、「今ここ」の意識状態から、ありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていくことの実践をしております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの意識・存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆく。「みえざるミチのチカラ」、「明日へつながる静寂」、「安寧なる意識状態・心の棲家」として融合し合うこと。
この青い水の惑星で、真核細胞生物・哺乳類・ホモ・サピエンスとして、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出すこと。その胸の奥底に宿った意識体を、それぞれがそれぞれに違った生命現象として与えられた中を生き、育み、目に見えぬ中に吹く風や液体・水のように限りなく透明な流れる力。吾々が吾々と共に生きる先で、道に迷うときはいつでも内側から発する何かを感じ、その座標軸に置いて繋がる形而が、示すことを運んでくれる。
「今、この瞬間」。
この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあなたの中にもあることを、いつもいつも願っております。
共に、今を。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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