【オタク】それは私を現世において、人として繋ぎ止めてきた、そして今も繋ぎ止め、未来へ繋いでいくもの。
『「ゲーム」が失敗だった』
『漫画を読まず、勉強しなさい』
私の母は、私の大切なものを、心の底から全て否定する言動だけを繰り返していた。
本人は自覚が全くない。それは「ASD」に類似しているが、見ている当人に映ったものは私が「ASD」の様に見える事。
人は鏡であることを、それを映すのは己自身である事、
そして母子関係において、母と子の時間軸の、或いは生理細胞神経を無視した己の無知を否定するものに縋る。
母にとっての正義を、子供に押し付ける。エゴの塊であることを、社会的に利他で善良な自己実現に盲信する。
現世利益・カルト・マルチと適合する理由は、母の中を絶対的に支配している「正義感」と「成功体験」にあった。
「孤独」を選択する勇気から生きた、今となってそれを明確に「外科手術的除去」した状態だからこそ「解析」が可能だ。
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想像力は芸術によってのみ、特に詩によって制御される。趣味の無い想像力より恐ろしいものはない。
父も母も、特に母は本当に趣味の無い人だった。文学部出身であるが、文学を楽しむ、即ち人生を楽しむことを敢えて否定しようとするような、厳格でありもしない社会性の強迫観念からホモ・サピエンスとしての本能から逃れようとする絶望的性質を持っていた。
多くの治療に、自己矛盾に対峙した統合失調症患者をと向き合ってきた。それは人間関係、社会環境的ストレスによって形成される。
母のいる環境は「統合失調症」を生み出す。
実際、母から精神疾患の同級生の母親について聞いた事がある。
「あの人、私と話しているときに発症して入院したのよ」
そう、母自身が元凶だった。
戦後日本の社会秩序、教育を絶対視、盲信した「個人主義」によって「本能」から学ぶことを放棄した人には、ユングが示したようなその集合的無意識の中に実在している地球上の見えざる因果が理解できないのだろう。
己が殺人犯だと理解していない人は逮捕して隔離するしか無いように、
その人が自覚がないとすれば、それは気づいたものが「離脱」する以外に方法は無かった。
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私は楽器も弾けないし、絵も、作品も描く事が出来ない。
母も無趣味だった。私は長男だから両親からその遺伝子と、生育環境を与えられた個体だった。
きっと「ゲーム」や「漫画・アニメ」といった「オタク」は、私を人として「制御」として作用した。
父は他界した。母とは絶縁した。
私の「オタク」を共有する機会は、時間は山ほどあったのに、私の両親にはそれを理解、認めようとする意識が皆無だった。とても息子としては相対的に残念な家庭環境だった。
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唯一「オタク」につながったものは、母が委ねた「関係者」の子ども達だった。
振り返ってみると皆、ある意味「二世問題」の被害者達だ。
愛着障害・複雑性PTSDの中で、「ゲーム」や「漫画・アニメ」の中に、親子関係で満たされぬ、欲求、生理的発達段階の機会を補完していた。
庵野秀明監督の、新世紀エヴァンゲリオンが私が高校生の時に大ヒットして「オタク」は大衆性を帯びた後も、私の両親は「盲信」を重ねたまま生きていった。
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「オタク」は「人類を救う『芸術』」だと感じる。
無論、既存の伝統芸能も全面的に肯定するが、若者達の独創性、感性によって培われ、進化していく「オタク」は「補完」と「誕生」を繰り返す「未来思考型」の「遺伝子突然変異」に近い現象を社会に齎すもの。
西暦2025年。シンギュラリゼーションへと誘う、トライアンドエラーへの挑戦者達は「ゲーム」による試行錯誤が「常態化」した感覚を有したもの達による「指揮」による。
「奏でる」様に、プルキンエ細胞によって形成された生命行動アルゴリズムと、ビックデータにより社会構造を電子計算によって形成するものとの実態適合。
それを量子チップは「誤差修正」として補完していく。それを「サーフィン」の様に乗りこなす事が可能な権能は次世代の「ゲーマー」や「SFオタク」達なのだろうと私は感じる。
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中国籍の京都大学大学院生などによる、TOEICの集団不正が発覚。
もうここまで来ると、「テクノロジー」が「試験」の意味を実質社会的に失わせた様に感じる。
TOEICはそもそも何のために存在するのだろう?
ASIやアルゴリズムによるデバイスが他言語同時通訳を可能にした実装が現実である今、未来人材における教育や就職のために必要なことは何なのだろうか?
既存社会の秩序の維持が臨界点まで破綻寸前である事を感じずにはいられない。
DeepSeekや、パキスタン・インド紛争における兵器も含めて、
グローバリズム、国際金融資本が守り続けようと「盲信」している地球人類社会における「体制」が至る所で「噴火」を始めている。
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ここ数百年で進化した科学によって発見された、この私たちの現実を構成している、元素は100以上発見され、現在も増え続けている。
それが「もつれ」「重なり」性質を生み出す多元性が、ただ、宇宙真理。
即ち、言語ではない、目に見えぬが実在している事実が「信仰」に値する「ドグマ」であり、それを知覚するものは、ホモ・サピエンスの個々の個体にとって唯一「己」以外に存在しない。
そしてその個の意識・認識は、内在化する無数の細胞・量子に反映され、言葉にならない何かに反映されている。
つまり、生命にとっての「社」は「己」にとって「己」の中にのみ存在する。
外は、内に投影されるように情報処理されて脳内に、或いは神経細胞に認識されているものであり、その個体が無数に生息し、或いは地球外の宇宙に無数に連鎖している物理事象。
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シンギュラリゼーションが顕在化、社会がそれを騒ぎ出すのは2027年辺りからだろうと感じる。
あと18ヶ月程度。550日程度に迫って尚、日本政府、メディアや金融経済界は昭和と変わらぬカレンダーを刻んでいるように感じる。
未だ「現金・1万円札」が力をもっている事が、「歓楽街」「特殊詐欺」「脱税」などの温床となり「暗号資産」と「反社会勢力」の抜け道になっていることを容認していれば、
日本国政府が、反グローバリズムの未来を掲げるアメリカ合衆国政府政府から「監視対象」にされる理由も見えてくる。
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もう、例えるならば、人類社会のあり方は、科学物理的に「脱皮寸前」なのだ。
申し訳ないが、ホモ・サピエンスが生物である以上、老化と死は必然的淘汰、循環の現象であって、全ての生命達は、子孫繁栄のために遺伝子継承を役割として担う生存競争の中にある。
そもそも「少子高齢化」自体が、本質的に種族社会として、あってはならない現象だという事実を語らぬ、ジャーナリズムや政治家は「偽善者」であり、その静寂の中にある「カルト盲信」こそが「種族破滅への死神」でもある。
私たちが歴史書を読めば過去を生きた人の、愚かさや過ちを当たり前にわかるように、
未来から今を捉えたときに、その愚かさや過ちの事象としてある事を知るだろう。
ただ、この国は2040年までは「高齢化社会」が予測され、「少子化」はいつ終わるか目処が立っていない。
その均衡が臨界点に達したとき、私がここに「note」として記した事に気づく。その時にはもう手遅れであり、鬼滅の刃の鬼達のように、ただ絶望の中で業火に焼かれて意識は地獄へと旅立つのだろう。
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鬼滅の刃には「悲鳴嶼行冥」という柱が存在する。
口癖は「南無阿弥陀」。
彼は涙を流しながら、いつもそれだけを口にする。
法然の浄土宗、その弟子、親鸞により広がった浄土真宗において広がった「念仏宗」と称される宗派で最も重要な念仏だ。
西暦2025年7月。夏休みに入った日本列島で、現在、鬼滅の刃無限上編第一章が公開されている。
このペースで行くと、漫画では23巻で完結している鬼滅の刃が、アニメとして完結するのは2029年辺りだろうか?
集英社と吾峠呼世晴氏によって生み出されたこの作品は、10代の若者達に絶大な影響力を誇り、私たち日本社会の根底に流れている何かを呼び覚ましている様に感じる。
「オタク」に「触れる」ことから、「共感覚」が生まれる。
「オタク」は、文藝、芸術、音楽、表現の形を融合進化させて、現代における「アート」の役割を担っている。
そして「AI」によるシンギュラリゼーションは、生命科学、量子物理を「社会秩序」とホモ・サピエンスが呼んで「資本」「労働」の「価値」としてきたシステム多元的実存への「リアルメタバースへの完全変態」した現実を生み出そうとしている。
その瞬間が、「公開日」をまるで小学生の時「ドラクエの発売日」を待ち遠しくて、眠れなかった様に、ワクワクが止まらない。
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これからも、「ホモ・サピエンス」が地球上に、一つ宇宙に実在する限り、遺伝子の物語は続いていく。「死」と「生」を重ねながら、未来からの道を、球体は廻り続けながら、もつれながら紡ぎ続けるだろう。
「オタク」それは、日本という環境に生息してきた種族が『アミダ』した、仏性の実態化現象。
ホモ・サピエンスは、それをこれから更に欲していく。
「オタク」は「人類を救う」
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。