『見せてもらおうか?「中⬜︎○カク?」の性能とやらを(オタクなので赤い彗星・キャスバル坊や添え(ネタバレ注意)』
私は「中庸・放擲」を内側に捉えているが、
世間は似た言葉で「中道」という漢字が好きな様子。
これらは実は「宗教・思想」に関わる。
日本国のオールドメディアや野党が
「中道」が好きな理由は、多分今頃、SNSに満ち溢れているのではないか?
政教分離を法治国家と謳いながら、選挙活動を口実に、宗教用語を公共放送に流し、ステルス布教活動。
トレンドになり、テレビお茶の間では左派の血「中○スイッチ」が入る。
わかりやすくなった。
社会共産的思想による中○だと、極左だとずっと感じていた。
打算的な頭が働けば間違いなくこの選択になるが、まさかここまでとは。
揺るがぬ高市早苗首相の高支持率に、このままでは総選挙大敗確実であることに耐えられず、「数合わせ」で選挙タイサク新党。
それとも2月、玉砕のためなのだろうか?
不思議なのは、両党の支持母体である会員組織の人々だ。
本当にそんな簡単に、いきなり投票先を変えられるのか?
洗脳、マインドコントロール、カルト、マルチでもなければそんな事不可能だし、社会共産主義国家の政党の様にも見える。
日本共産党や、れいわ新撰組などはどう思っているのだろう?
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「中道(ちゅうどう)」と「中庸(ちゅうよう)」は、どちらも「極端に走らない」「真ん中が大切」という意味で使われるため混同されやすいですが、その背景にある思想(仏教か儒教か)や、目指すゴールに違いがあります。
一言でいうと、以下のようになります。
中道(仏教): 執着を捨てて、対立する二極(有・無など)を超越する**「悟りへの道」**。
中庸(儒教): 感情や行動が過不足なく、常に誠実で偏らない**「徳(人間性)の完成」**。
詳しい違いを4つのポイントで解説します。
1. 出典と背景の違い
中道(仏教):
お釈迦様が説いた教えです。苦行(自分を追い込む)と快楽(自分を甘やかす)の両極端を否定し、修行において最も適切な道を選んだ体験に基づいています。中庸(儒教):
孔子の孫である子思(しし)が著したとされる儒教の経典『中庸』に基づきます。人間社会の中で、いかにバランスの取れた立派な人間(君子)として生きるかという道徳的な教えです。
2. 「中」の捉え方の違い
中道:二元論からの「脱却・超越」
「ある」か「ない」か、「善」か「悪」かといった、二つに分かれた考え方(二辺)に縛られないことを重視します。どちらか一方に執着することをやめ、**「とらわれない心」**を持つことが中道です。中庸:過不足のない「最適点」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉通り、やりすぎず、足りなすぎず、その時々で**「最も適切な加減」**を維持することです。感情(喜怒哀楽)が表に出る時に、それが節度を保っている状態を指します。
3. 目的の違い
中道:悟りと解脱
苦しみから解放され、真理を悟ることが目的です。自分の内面的な迷いや執着を断ち切るための「方法論」としての側面が強いです。中庸:社会的な調和と徳
人間関係や社会の中で、調和を保ちながら正しく生きることが目的です。人としての品格を磨き、天の理にかなった生き方を目指す「修養」としての側面が強いです。
4. ニュアンスの例え
中道は「綱渡り」や「調律」:
右に落ちても左に落ちてもいけない。常にバランスを取り続け、真理の道を歩み続ける動的なイメージです。中庸は「黄金比」や「バランスの取れた天秤」:
重すぎず軽すぎず、常に安定した状態。どんな状況でもブレない誠実さや、穏やかな人格のイメージです。
比較まとめ表
| 項目 | 中道(ちゅうどう) | 中庸(ちゅうよう) |
| :--- | :--- | :--- |
| 思想背景 | 仏教(お釈迦様) | 儒教(孔子・子思) |
| 主な意味 | 両極端を離れ、執着を捨てる | 過不足がなく、偏りがない |
| 対象 | 認識、修行、真理の把握 | 感情、行動、道徳、人間関係 |
| キーワード | 執着しない、空、八正道 | 誠(まこと)、節度、君子 |
| 目指すもの | 苦しみからの解放(悟り) | 人格の完成(徳) |
結論
どちらも「偏らない」という点では共通していますが、**中道は「迷いから抜けて自由になるための知恵」**であり、**中庸は「社会の中で立派に生きるためのバランス感覚」**であるといえます。
以上AIアシスタントより。
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何れにせよ『中◯カク◯は、「大陸・半島からの渡来宗教思想」』である。
旧統一教会問題のことをや、裏金問題を指摘するのはまず自分達の「カルト・イデオロギー集団組織との癒着」を完全解消してからではないだろうか?
ダブルスタンダード、言動不一致を「中○カク◯」であやふやにするにも程があるのではないか?
正直なところ、吾々にとっての「革命」は既に「西暦2025年」に終わっている。
ホモ・サピエンスの意識状態は、新世界秩序へ向かって次のフェーズが始まっている。
結局のところ、何を実行したか?だ。
「ガソリン暫定税率廃止」を実現したことで、「ガソリン価格」は低下した。輸送コスト低下の恩恵は、様々な国内生活者が恩恵を実感しているはずだ。
日経平均株価は、過去最高を更新している。
国会の与野党に、まともな民主主義を感じるやりとりが生まれて初めて感じることがある。
権力への「嫉妬・執着」は、「ヘイト」を産む。
権力とは「目的」ではなく「方法・手段」だ。
「政権交代」や「選挙での勝利」などが第一目的になっている政党と、「手段」として「政策目的を果たした」政党とでは、明らかに「実績における信頼」が違ってくる。
そろそろ戦後教育、オールドメディアに洗脳され続けてきた高齢者達も「覚醒」が始まっても良い頃ではないか?
「唱えるだけ」では、「平和」も「勝利」もやっては来ない。
大切なことは日々の意識状態を、己の内側に「言葉にならない己にしか捉えられぬ何か」を見出した精神状態から選択行動を果たすことではないか?
日本国の失われた30年。
「自作自演」の、裏スティグマネットワークへの「見えざる神の手・因果応報」が機能している。
大丈夫だ。日本には「八百万の神」が、自然界に存在する全てを祀った土着信仰が「カク」地域に存在している。
日本人には、日本人としてこの領土に、遺伝子に、言語にあらゆる存在と共に流れている「魂」が存在している。
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余談だが、元ネタのシャアアズナブルについてAIとやってみた。
機動戦士ガンダムシリーズにおけるシャア・アズナブル(キャスバル・レム・ダイクン)の生涯は、一貫して「革命」という言葉と切り離せないものです。しかし、その「革命」の内容は、彼の成長や絶望とともに、「復讐」から「改革」、そして「粛正」へと変貌していきました。
シャアの生涯と革命への関わりを、4つの大きな時期に分けて解説します。
1. 復讐という名の個人的革命(一年戦争:機動戦士ガンダム)
シャアの物語は、父ジオン・ズム・ダイクンの暗殺から始まります。父が提唱した「ニュータイプ論(宇宙に適応した人類の進化)」と「サイド国家の独立」という崇高な革命思想は、政敵ザビ家によって歪められ、独裁の道具とされました。
革命の形態:内部崩壊
この時期のシャアにとっての革命とは、父の遺志を継ぐことではなく、**「父を裏切ったザビ家を根絶やしにすること」**でした。彼は素性を隠してジオン公国軍に潜入し、戦場を利用してザビ家の人々を次々と葬り去りました。結果:
ザビ家を滅ぼすことには成功しましたが、それはジオン公国という国家の崩壊を招き、父の理想とは程遠い混沌を招いただけでした。
2. 指導者としての苦悩と挫折(グリプス戦役:機動戦士Zガンダム)
一年戦争後、クワトロ・バジーナと名を変えて地球連邦軍の反地球連邦組織「エゥーゴ」に参加した彼は、最も「建設的な革命」を志した時期でした。
革命の形態:政治改革と啓蒙
彼は、地球の重力に魂を引かれ、既得権益にしがみつく連邦政府の腐敗(ティターンズ)を目の当たりにします。ダカールでの演説(ダカールの日)において、彼は自分がジオン・ダイクンの子であることを公表し、**「全人類が宇宙に上がり、地球を休ませるべきだ」**と訴えました。結果:
言葉による革命を試みましたが、カミーユ・ビダンの精神崩壊や、終わりのない権力争いに絶望します。「人は変われる」というニュータイプへの希望が、現実の泥沼によって打ち砕かれた時期です。
3. 絶望による極端な粛正(第二次ネオ・ジオン抗争:逆襲のシャア)
数年間の潜伏を経て、ネオ・ジオンの総帥として再登場したシャアは、もはや対話による改革を信じていませんでした。
革命の形態:物理的強制(地球寒冷化作戦)
彼は「地球に住み続ける人々が地球を汚染し続けている」と考え、小惑星アクシズを地球に落とすことで強制的に冬を到来させ、全人類を宇宙へ追い出そうとしました。これは**「人類の強制的な進化」を促すための、神の視点に立った粛正**でした。革命の矛盾:
この時の彼は、革命家としての使命感の一方で、ライバルであるアムロ・レイとの決着を望むという個人的なエゴを抱えていました。この「公」と「私」の矛盾が、彼の革命を純粋な政治運動ではなく、巨大な心中劇のような様相に変えました。
4. シャアにとっての「革命」とは何だったのか
シャア・アズナブルの生涯を通じた革命のテーマは、以下の3点に集約されます。
「重力」からの解放:
彼は物理的な重力だけでなく、古い慣習、エゴ、血筋といった「人間を縛り付けるもの」すべてを重力と呼び、そこからの脱却を求めました。ニュータイプへの期待と絶望: 人類が誤解なく理解し合える「ニュータイプ」になれば世界は変わると信じながらも、現実の人間たちの愚かさに常に裏切られ続けました。
父の影との戦い:
彼の革命は常に、偉大な父ジオン・ダイクンの思想をどう解釈し、どう決着をつけるかという「呪縛」との戦いでもありました。
結論
シャアは**「革命の必要性を誰よりも理解しながら、革命の指導者になるには繊細すぎて、人間を愛しすぎた(あるいは期待しすぎた)男」**と言えます。
彼が最後に起こそうとした革命は、アムロとサイコフレームが起こした「アクシズ・ショック(人の心の光)」という奇跡によって阻まれました。しかし、その奇跡こそが、シャアがかつて夢見た「人類の可能性」そのものであったという皮肉な結末で、彼の革命の物語は幕を閉じます。
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結局シャア・アズナブルは「ニュータイプ人類革命のため」に多くの人々を犠牲にしたが、結局「地球連邦軍のモビルスーツ(ガンダムシリーズ)の技術革新」に敗れ去った。
ただのSFロボットアニメの話ではあるが、「シンギュラリティ」と「ホモ・サピエンス」は未来へとこの地球上で、生態物理現象を描くのだろうか?
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みなさま、いつもご愛読頂きありがとうございます。
これからも、そしてこれまでも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけ、「今ここ」の意識状態から、ありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていくことの実践をしております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの意識・存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆく。「みえざるミチのチカラ」、「明日へつながる静寂」、「安寧なる意識状態・心の棲家」として融合し合うこと。
この青い水の惑星で、真核細胞生物・哺乳類・ホモ・サピエンスとして、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出すこと。その胸の奥底に宿った意識体を、それぞれがそれぞれに違った生命現象として与えられた中を生き、育み、目に見えぬ中に吹く風や液体・水のように限りなく透明な流れる力。吾々が吾々と共に生きる先で、道に迷うときはいつでも内側から発する何かを感じ、その座標軸に置いて繋がる形而が、示すことを運んでくれる。
「今、この瞬間」。
この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあなたの中にもあることを、いつもいつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。