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「孤独・孤立」という

社会的生物とホモ・サピエンス自身が定義する

ホモ・サピエンスによる外因との関係性による客観的事実。

それを個人に当てはめて

他人や自己を

「孤独」「孤立」と定義して、共有認識として、人々は人々に語る。

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「属性」

「国籍」・「民族」・「帰属組織」・「宗教」・「出身」・「職業」・「肩書き」

人は人を「属性」に当て嵌めようとする。

「疾患」・「障害」「資産」・「年収」・「勲章」・「資格」

最近なら「個人情報」なのだろうか。

無駄に大脳が肥大、盲信し生物として狂ったホモ・サピエンスは、

「定義」という「思考停止」の「安定」「確証」を得ようとする。

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何故か「離婚」は全ての社会に存在しているのに

「離・家族」

的な概念を、人と共有する事が、私の人生道には実在して来なかった。

「孤独」「孤立」は「リゾク」

「離族」
「理族」
「李属」

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「リゾク」の韻には多くの意味を含む波長が伝導している。

己の行動選択として「リゾク」を実行する。

それは言い換えるとすればヴァカヴァット・ギーターにおける「放擲」だろう。

そもそも、母親の産道を経て、出産された時点で、

私たちは物理的に物体としては、「孤立」しているとも言えるし、

地球の重力下環境で、また遺伝子によって縛られているという意味では

「不自由」「拘束」されている。

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私に限らず、

人が行き着く先は、

天国でも地獄でも無いだろう。

多元宇宙のどこかであり、それは今と同じ目に見えない時空。

ずっとこの多元宇宙だ。

「有て在る」

そこにホモ・サピエンス、地球上の真核生物としての死生がある。

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天上天下唯我独尊。

世界はただ、それぞれ、己の中にしか存在しない。

世界を映し出しているのは己、己からしか全てを感じることはない。

即ち、他人や外界、社会が

どの「属性」が他の世界の都合で、どう裁こうとも

己の直感をのみを生きることが己の与えられた遺伝子の、

たった一つの生命を生き抜く本質。

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「死と生」は等価値。

数式の如く、多元宇宙の梵我一如の幾何学的時空の現象。

私たちは限りなく無から生まれ、そしてまた無へと還帰る。

草木も、鳥たちも、魚たち、ウィルスやバクテリアも

生命は皆、同じように。

私たちホモ・サピエンスも最後は、

「属性」から解放される死がやって来る。

己が、ホモ・サピエンスで在ることに気づき、

ホモ・サピエンスである己を放擲した意識から多元宇宙につながる時、

或いは「思考」という「脳」が作り出す「虚構」を捉え捕まえるとき。

或いは、生命と物質の間にある感覚が己を流れる時。

時は空、時空は己の人生を

「イマ」という「異間」の「扉」を潜る。

「ミズ」は「自ら」を流れ、

肉体の中にある何かを「リゾク」していく。

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生きることの最終到達地「リゾク」する事。

それは「悟り(エンライトメント)」とも呼ぶ。

「解脱」とも呼ぶのかもしれない。

人はいつも二元性や固定概念による安心や安定を得たがる。

本当はそれが執着・固執によって

破滅的災いの、思考行動への因果である事を理解せずに思考によって心と関学が麻痺して盲目になり、習慣化された日々の強迫観念的、反芻行動から脱却不能となる。

私は未来へと今日を重ね明日を迎える。そしてその先にいつも「死」という「ホモ・サピエンス」としての「己」からの「リゾク」を嬉しく待つ。

嫁入りする女の喜びが如く、

オスとして両親の受精卵から誕生した私は、その「死」を日々楽しみに意識して、極限まで放擲「リゾク」が己の存在日々に実存した今日を生きる。

ホモ・サピエンスにおける真の自由と、喜びは

「死後」にある世界だろう。

量子力学はやがて、ゴータマシッタールタの悟り、

それを実証する。

ゴータマとシンギュラリティが一体化する多元宇宙の渦に、

私たちの中を流れる量子の風は、波長は吹かれているから。

あらゆる「リゾク」を私は今、この瞬間も重ね続けていく。



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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。