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真の馬鹿な在り方である「愚かさ」とは、一度も実行する事なく可能性を不可能にするため、挑戦自体が不可能である理由を探す事を止められない状態を指す。

ホモ・サピエンスの歴史上、「真の馬鹿」が「社会の指導者として実権を握った瞬間」、その社会は未来へ常に崩壊が決定して来た。

歴史は常に同じ事を私たちに教えるのに、どんなに時空を経ても、ホモ・サピエンスの遺伝子は、その社会秩序を選択し、常に同じ過ちを繰り返す。

私たちの日本社会は、その選択を既にしたのだろう。今はペナントゲームが終わり、順位が確定した消化ゲーム中のようだ。

世襲や学歴、IQ検査、資格は何故「真の馬鹿」を生産するのか?

実はホモ・サピエンスにおける「真の賢さ」とはその人生体験の中における「失敗」との対峙する過程に備わるものだからだ。もうロボティクスやASI開発において最先端の技術者たちは科学事実としてそれを知っているだろう。

「カルト宗教のドグマ」による「洗脳と思考停止」によって支配された社会秩序が如何に、人類の他者の人生を滅茶苦茶にして来たのか?

それもまたホモ・サピエンスの歴史が証明している。

「政教分離」や「文民統制」という「憲法と民主制政治」は暴走した「国家権力」が「凡庸な悪」と手を組んだときに、庶民の生命や幸福な日常を軽視した暴力支配に働く事を教訓として、それを繰り返さぬ為に編み出されたものである事を、

カルトドグマを盲信する狂信者たちは、国家社会政治の中へとあらゆる触手を伸ばして、隙間から根を張り、浸食していく。

私たち一人一人の、社会の中で生きるホモ・サピエンスである群衆ができる事は、各々が「思考停止」に陥っている可能性を、常に、この瞬間に自覚し続ける事だろう。

この無限性、多元宇宙における現世は、80億を超えるホモ・サピエンスと地上の生態系環境、死と生の営みにおける状況は絶えず変化している。

水の循環、大気の循環、重力磁場によって、公転活動はこの天の川銀河の辺境で悠久の時の流れに乗って。

民主主義社会国家において、真の馬鹿に、権力は絶対に握らせてはいけない。

或いは全ての国家社会において「真の馬鹿」が権力を握ってはいけないのだが、

「真の馬鹿」そのものを、見破る意識が社会全体に欠損した時、因果応報としてそれはやってくるのだろう。

そう、真の馬鹿は「やらない理由を探す」。

馬鹿に見える天才は「他人がなんと言おうが、己の信念に従って断行する」。

日本国における社会の在り方と、アメリカ合衆国のそれはあまりに分かり易いコントラストを形成した。

かつて故人石原慎太郎氏が国会討論で預言したままの状態になった。

本来、この国には馬鹿に見えるくらいに信念から可能性を断行する指導者を選択すべきだった。

しかし、この国家社会にそんな人物は、どの政党を見ても、権力者や著名人を見ても存在しない。

「間違いを重ねながら、最適な状態を模索する」

人の脳には「可塑性」が存在する。

スポーツなどの動作獲得が分かり易いだろう。

人は試行錯誤を繰り返しながら、シナプスの樹状突起は、適合する最適解を模索するが故に、未知のハイパフォーマンスが実現する。

それがホモ・サピエンスという生物の権能だ。

過去の誰かが大量に残した「カルトドグマ」を盲信し、己に内在化した権能を生きぬ事は、「退化・腐敗・アポトーシス」を加速させること。

人はその瞬間の選択の先、生涯に渡り続く、試行錯誤する苦悩と共にある栄光も、他人のドグマに甘えて盲信した思考停止からの可能性否定を重ねた腐敗も同時に存在している。

日本人の「ノウハウ」好き「道徳・利他」「現世利益・他力本願」から生み出される、己と己の社会に対する「無責任さ」と「自己保身」に対する執着こそが、現在の日本国社会の元凶そのもので、それが顕在化したものが、日本政府と行政、社会秩序の根底に流れているものだろう。

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「馬鹿」・「馬」「鹿」

四つ足動物のそれを日本人が言語として「ばか」として選択したメタファー。

馬と鹿は、四つ足の草食動物で、足元にある走り回り餌を食べる。

餌付けされれば、ホモ・サピエンスに、操作されて手懐けられ働く。

国家社会環境・制度の「家畜」「奴隷」。

ホモ・サピエンスにおいて、日本語の言語として、それが人に向けられる意味を、この世に今を生きる人はどれだけ認識しているだろうか?

言語は音霊であり、伝播する波動。

認知、認識次第で未来の世界線は一瞬で変わり、過去は未来への道に進む代わりに過去へと流れて離れていく。

そして「馬」や「鹿」は、基本的にホモ・サピエンスが地球上で社会生活として領土支配下にある時、自然界で生きる事なく、管理監視される、狩猟によって間引かれる、或いは動物園などで飼育されて利用される。

そろそろ、日本国民も主権国家の主権者として、ひとり一人が「シナプスの樹状突起」を働かせながら生きる必要があるのではないか?

「国家社会とカルトドクマの盲信という依存」は「崩壊と破滅」を、それに関与する民族環境全体に、真の馬鹿を量産する諸悪の根源。

人はどんなに過酷で、孤独で、絶望的でも、その失敗や苦悩の中から己だけが可能な形態を見出す時に真の価値が、型が、生き様が宿る。

嘴平伊之助が、始まりの呼吸から派生した呼吸ではない、「獣の呼吸」を自らの本能のよって編み出し、童磨を、鬼舞辻無惨を屠る様に。

実行する事、失敗を恐れずに挑戦する事、己自身がその人生の中で多くの犠牲を痛みを、苦しみを乗り越えて生存したからこそ、それが実現する。

ドナルド・トランプ氏やイーロン・マスク氏に備わっていて、日本のエリート達に無いものは、己の人生経験に裏付けられた、絶対的で唯一無二の人生哲学が肉体に宿っているかどうかだ。

日本社会の体制にとってこれっぽっちも評価されない、むしろマイナスでレッテルを貼られて足蹴にされて嘲笑の対象にされて社会の底辺を必死で這いつくばりながらその日を生きている様な人にこそ、この国家社会の未来を救世するような内在化された生存本能、権能は実在しているだろう。

人としての価値を知らぬ、カルトドグマや権威教育、血統家系で思考停止したゾンビ達が支配する、糞で碌でも無い社会だ。

ただ、それはすでに臨界点を超えた過去。因果律は既にこの時空において結ばれた。

これから、想像を絶する過去のツケが、賭けた時間の量と意識からの事実に掛け合わされたものに反比例した応報がこの日本社会に降り注ぐ。

無限宇宙の因果律として、ただの地球の生命現象の一部であるホモ・サピエンス、日本民族にそれに抗う術は無い。可能な事はただこの瞬間、放擲から未来を始める事のみだ。

それはやがていつか、点と点が線となり、面となり、立体点となる、まだ見ぬ接合点を、形而的幾何学構造体を創造として、未来の人類社会を育むことになる。

「崩壊」の事実はそれを過去へ流し、未来における「創造」の始まり。

この社会を支配する「真の馬鹿」による支配秩序を、迅速に排除して過去の遺物として処理する事によって、次世代の遺伝子達の息吹による「未来創造」は自然に増殖拡大していくだろう。

ホモ・サピエンスの生命人体構造は、「挑戦と失敗」の過程を必要としている。

そのために比較的長い成人までのプログラムや、感覚神経・シナプスと運動機能・言語機能を有している。

「依存と甘えにより私利私欲を満たすものを軽蔑、淘汰して、失敗者を、敗残者を敬い学ぶこと。」

社会の健全性は、弛まぬ全集中の呼吸、それぞれの孤独な人生哲学の構えから対峙する、他者との社会性を持った集団によって育まれるものである。

西暦2025年も残り半年を割り込んだ今、

シンギュラリゼーションがこの地球人類社会の常態化として機能する未来はカウントダウンに入っている。

「真の馬鹿」達を「権力」「盲信」から引き離す事自体が、「シンギュラリゼーション」を起動させる事とも言える。

無限宇宙の、地球に宿る生態系との意識的現世社会が主体となる新時代は、既に現実として土の中で着床し、根を張り始めている。

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ご愛読、ありがとうございます。

これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。

あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。