なぜ金融機関が「幸せ」を測るのか。組織改革から生まれた商工中金の挑戦
健康診断のように、働く人の幸福度を“見える化”し、組織づくりに活かすサービスがあります。中小企業専門の金融機関「商工中金グループ」が開発した「幸せデザインサーベイ」です。
その誕生の背景には、過去の不正事案を契機とした商工中金の大規模な組織風土改革がありました。
組織のあり方をどのように見直してきたのか。そして、その経験がなぜ、中小企業の幸せな働き方を支える新たなサービスへと結実したのか。その軌跡をたどります。
「不正の真因は、組織風土にあった」
原点は、2016年に明らかになった不適切な融資に関する事案でした。本来は対象外の企業を危機対応融資の対象とするため、顧客資料の改変が「全国的かつ組織的」に行われていたのです。
「幸せデザインサーベイ」を手がける商工中金ヒューマンデザインの松下泰之社長は当時、省庁対応や国会対応、取締役会の運営などを担う商工中金本部の総務部に在籍していました。事案対応の最前線に立った松下さんは、この出来事を「組織が沈没するかもしれないと思うほどの危機であり、組織にとっての大きな転機だった」と振り返ります。

松下泰之さん
2007年、商工中金に入庫。財務省への出向や審査部、総務部などを経て、2024年11月、人財サービス子会社「商工中金ヒューマンデザイン」の設立と同時に代表取締役社長に就任
商工中金を所管する経済産業省や財務省など4省庁は、二度にわたり業務改善命令を発出しました。求められたのは再発防止にとどまりません。責任の明確化やコンプライアンス体制の見直し、危機対応融資に依存しないビジネスモデルの構築――。つまり、組織全体の見直しが求められたのです。
「原因を問い直すなかで行き着いたのは、『組織風土こそが真因である』ということでした」。そう明言する松下さんは、当時の商工中金の風土を「上意下達」「ノルマ主義」「コミュニケーション不足」「従来主義」「同質性の高さ」といった言葉で表現します。
「上の指示が重視される」「報告しても十分に活かされない」。そうした空気があり、違和感を抱いても声を上げにくい面があったといいます。
上意下達からの脱却へ、ビジコンを開催
組織風土改革に取り組み始めた商工中金。ノルマ主義の廃止やリーダーシップ診断、コンプライアンス検討会の設置など、制度や仕組みの見直しを進めるとともに、社員の声を集める「目安箱」の設置や働き方改革にも取り組みました。
その一環として2018年に開催されたのが、ビジネスコンテスト(ビジコン)です。テーマは「10年後の商工中金を考えよう」。上意下達の風土をどうしても変えたい。そのために、社員が自ら手を挙げて参加する形を重視したそうです。
全国から参加した約60人が10チームに分かれ、新規事業のアイデアを考えました。参加者の一人が、当時入社3年目で神戸支店に勤務していた中村昌平さん。現在は商工中金ヒューマンデザインのメンバーです。
「一生懸命仕事をしていたつもりでした。でも一連の報道が続く中で、世間の見方も厳しくなり、自分たちの意識も下を向きがちだったと思います」
そうした中で参加したビジコンは、中村さんにとって大きな転機となりました。「ビジコンを通じて『自分が本当にやりたかったことって何だろう』と考えられることが、個人的にはすごくフィットしたというか。日々の業務から少し離れ、より広い視点で考えてみたい。そんな気持ちで参加しました」

「幸せ」というキーワードが見つかった!
中村さんのチームが当初検討したのは、まったく別の業務だったそうです。しかし、議論を重ねるうちに「従来の銀行業務の延長線上に過ぎないのではないか」という声が上がります。そこで一度白紙に戻し、「商工中金だからこそできること」を考え直すことにしました。
そんな中で、中村さんはドイツのGLS銀行の存在を知ります。社会課題の解決に力を注ぐ同行の取り組みを知り、「商工中金も、もっとインパクトのある取り組みができるのではないか」と考えるようになりました。
もともと人の心理に関心があった中村さんは「幸せと銀行を結びつけられないか」と思いを巡らせます。すると、チーム内でも「幸せに働きたい」「幸せな社会を実現するための認証制度をつくりたい」といった声が自然と上がったそうです。
「そこで、私たちは『幸せ』が共通のキーワードだと気づいたんです。さらに調べると、幸福度が生産性や創造性に良い影響を与えることもわかり、『幸せ』に関わるサービスは取引先のためになるという確信を持ちました」
中村さんたちが最終発表で提案したのは、「幸せ」を軸に企業を支えること。まずは働く人の幸福度を測り、データを蓄積する。その結果をもとに施策を提案し、最終的にはそれぞれの企業に合った組織づくりを支援する――。そんな三段階の構想です。
目指したのは、幸せを測ることではなく、幸せな組織づくりを支援することでした。このアイデアは、ビジコンで高い評価を得ます。

アイデアを形に「幸せデザインサーベイ」誕生
ここでありがちなのは、「面白いアイデアだったね」で終わること。しかし、ビジコンから2年後の2020年8月、中村さんたちのアイデアをもとにした「幸せデザインサーベイ」が誕生しました。
以来、約1300社の中小企業、延べ13万人がサーベイを受けました。全97問のアンケートを匿名で実施し、チームパフォーマンスやコミュニケーション、仕事へのやりがいなどを分析。結果は「幸せ指数」やチャートとして可視化され、組織の状態を客観的に把握できます。
例えば、ある酒造会社ではサーベイを通じて「経営陣の思いが社員に十分伝わっていない」という課題が明らかに。1on1や面談の機会を増やした結果、相談しやすさや信頼感が高まり、組織の雰囲気も改善したといいます。
結果を見て終わりではなく、対話し、改善し、もう一度測る。そのサイクルを回していくことこそが、「幸せデザインサーベイ」の価値なのです。


中小企業の幸せが、日本を元気にする
商工中金ヒューマンデザインは、サーベイを通じて何を実現しようとしているのでしょうか。松下さんは、次のように話します。「日本の会社の99%を占める中小企業が元気になれば、日本も元気になる。それが理想形です」
中小企業は人材や資本の面で大企業よりも厳しい環境に置かれています。産業構造の変化や地政学リスク、人手不足など、経営を取り巻く環境も大きく変化し、一人の離職が事業に大きな影響を及ぼすことも少なくありません。
「経営基盤としては必ずしも強固ではないものの、社員同士の絆があったり、独自の技術や価値を持っていたりする会社がたくさんある。だからこそ、そこで働く人たちが自分の会社に誇りを持ち、幸せに働けることが大切なんです」

「幸せデザインサーベイ」は、その状態を可視化するためのツールです。自社の現状を見つめ直し、働く人たちをより大切にする。その積み重ねが、中小企業をより良くし、日本も元気になる――。松下さんたちは、そんな循環を思い描いています。
これは、中小企業を支援するという商工中金の使命とも重なります。
「これまでは、融資や預金といった金融サービスなどを中心に支援すればよかった。しかし今はそれだけでは十分ではありません。『融資したら終わり』ではなく、中小企業とともに考え、ともに創り、ともに変わり続ける金融機関でありたい。そのために私たちは、ヒト・モノ・カネの『ヒト』にこだわりたいと思っています」
「何を話しても大丈夫」と思える組織へ
組織が変わるために必要なことは何か。改革の過程を見つめてきた松下さんに聞いてみました。
「ありきたりな言葉で言えば、心理的安全性なのかもしれません。この人には何を話しても大丈夫だと思えること、そして『そのような考え方もあるんだね』と受け止めてもらえることが大切。言われたことを全部実行できるとは限らないけれど、耳を傾けてもらえるだけで、人は声を上げられるようになるし、組織も変わり始めるのだと思います」
松下さん自身も、組織改革の途上にあった2018年、社内講演会で経営陣に率直な意見を述べた経験があります。
「正直、まずいことを言ってしまったかなと思いました。でも、当時就任したばかりの関根(正裕)社長に『これでいいんだ』と直接言ってもらえた。その出来事は今でも忘れられません」
そんな松下さんが大切にしているのは、できる限り笑顔で、自然体でいることです。「言葉で『何を話してもいいですよ』と伝えても、表情や声のトーン、態度がそれと矛盾していたら話せませんよね。それに、できる限り自然体でいれば、ハラスメントや不正は本来起きるはずがないと思っていて。逆に言えば、人が不自然な行動を取るのは、不自然なことをしなければならない環境に置かれているからだと、僕は思っています」

インタビューにも、まさに自然体で応じてくれました
おわりに
不正事案という大きな危機を経験した商工中金。その過程で向き合ったのは、制度や仕組みにとどまらず、「人と組織のあり方」でした。
どうすれば声を上げやすくなるのか。どうすれば一人ひとりが誇りを持って働けるのか。そうした問いと向き合う中から生まれたのが、「幸せデザインサーベイ」です。
働く人の声に耳を傾け、対話をし、より良い組織をつくる。その積み重ねが、中小企業を、そして日本を元気にしていく。「幸せ」を起点とした松下さんたちの挑戦は、これからも続きます。
