背中から撃たれる。朝ドラ「虎に翼」感想文(第25週)

うしろ‐や【後ろ矢】
敵に内通して味方の背後から矢を射かけること。また、その矢。裏切ることのたとえにも用いる。

うしろ‐だて【後ろ盾/後ろ×楯】
1 《2が原義》陰にあって力を貸し、助けること。また、その人。後ろ見。
2 背後を守る盾。後ろを防ぐもの。

小学館 デジタル大辞林

「人は間違える。だから法がある。」
明治に生まれ、東京帝大で法学を学び、戦前の昭和を法曹人として生きた桂場にとって、敗戦にあたり何が一番の間違いで、後悔だっただろう。

滝川事件、天皇機関説事件。この時代についていくつかの本を読んだけれど、この状況を受け入れざるを得ない立場に追い込まれた「責任能力のある」人間達の心情はすぐにはわからない。
壊滅的な破壊を受けた国土を前に、原因と理由をどこに求め、どんな心を抱えて生きたんだろうかと思う。

「私は、この民法が早く国民に馴染み、新しく正しいものに変わっていくことを望みます。」
星朋彦先生は自著の序文で、正しさは変わっていくといった。めんどくせえけど、正義は変わる。絶絶絶絶対聖域なんてない。君を守るのに正論はNO、あのちゃんもそういってる。だから私たちは頭使って議論を尽くし、その時代時代の正義を決めねばならない。でも、どうやって。

「国民が求めていること。その空気はお感じになっていますよね?」空気を読む。多数決で決める。それは本当に事態をあるべき方向に向けるものだろうか?

美濃部は遂に、天皇機関説そのもので責任を問われたことは一度もない。天皇機関説が誤った学説として公式に法学界で否認されたことも一度もない。美濃部は大学の教授職を辞し、貴族院議員の職も辞したが、それは誤れる学説の責任をとったのではなく、あくまでも世間を騒がせた責任をとっての事だった。
そういう事実そのものを理解している人は少なかったし、責任追及がそもそも法律的には無理なのだということを理解している人もほとんどいなかった。(略)すべてがちぐはぐのままことが進行していった。
議会でのやり取りを見ても、(略)みなありふれた決まり文句を並べ、あげくにみんなが国体明徴を叫んで終わりという空虚な芝居が繰り返し演じられた。

「天皇と東大」立花隆

昭和10年前後、法解釈に合理性ではなく道徳心が持ち込まれ、政治問題化した。国会は法について筋道や論理性を議論する場ではなく素人がそれらしき道徳を叫ぶ泥沼と化し、空転を続けた。

「干渉?そんなもんじゃない。あいつらは私利私欲に塗れたきったねえ足で踏み込んできやがったんですよ。司法の独立の意義もわからぬクソバカどもが。」
ドラマでは描かれなかった天皇機関説事件という史実について桂場がどう思ったかは、そのセリフから察するしかない。その後この国は法的な「正義」を得て、ストッパーがないまま無茶苦茶な方向に突き進んでいく。

物語の前半…戦前戦中を描く中、ラジオと新聞はかなり頻繁に出てきたけど、あれは何を暗示していたのだろう。高速で変わっていく世界、不安定な足元の中で「道徳」は単純でわかりやすい「正義」だ。刺激的なプロパガンダに「民意」は簡単に揺れてしまう。

「人は間違える。だから法がある。だから法について考える際に万全な時を選ぶ。」と言った桂場。「時期尚早だ」「今ではない」信念ではなく時局を探るワードチョイスは、時局と世論にメチャクチャぶん殴られた後悔からのようにも見える。
しかし、そもそも時局を読み、流され、世の中そういうものだと飲み込んだ結果があの顛末ではなかったか。『天皇機関説が誤った学説として公式に法学界で否認されたことも一度もない』
ー にも関わらず、法は道徳に蹂躙された。その責任が微塵もないといえるのか。

「勿論、僕1人が何かできたかなんてたかが知れてる。でもその責任が微塵もないなんて、自分は従ったまでなんて、どうしても僕は言えない。その罪を、僕は誰からも裁かれずに生きている。」
と泣いたのは、あの時代を同じ法曹人として生きてきた航一だ。だからこそ、彼からの糾弾は桂場を後ろから撃つ。
「ただ何もせず人権蹂躙から目を逸らすことの何が司法の独立ですか」


この言葉を聞いた時、私には彼をパージした水沼議員の言葉が被って聞こえた気がしたけれど桂場はどうだっただろう。「君の正義感を発揮する時は今ではない。少し先、それに見合う地位に着いた時だ。」
これ以上ない地位につきながら、信念を貫けないのだとしたら、それは何もしないことと同義ではないのか。オールを、お前のオールを時局に任せるな。

「そんなところにのうのうと座って社会に対して高みの見物を決め込む、己を自己批判しろ」若く鋭い声。
「周りになんと言われようと、法の描く理想のために虎視眈々と突き進むしかない」今より丈夫だっただろう、皿を噛み割る歯

後ろ矢。味方の背後から矢を射かけること。また、その矢。古くなったおれらは後ろから撃たれる。新しい価値観にも過去の自分にも、射たれてしまう。


「私が弱音を吐きそうになると、いつも心のヨネさんが叱咤してくださるの。」「あーいうときはね、頭の中にタッキーを思い浮かべるんだよ。頭の中のタッキーが怒ってくれると心が落ち着くんだよね。」
そこにいない人間の言葉。あの人ならそう言うだろう、という想像は、自分の弱さを自分で見つめ、軌道修正するための大事な方便だ。ついつい自分を守りたくて自分についてしまう嘘を、イマジナリーはずかずかと指摘してくる。

「お前の掲げている司法の独立ちゅうやつは、随分寂しく、お粗末だな」
多岐川が暴いたのは桂場自身の中にある不安で、彼の深層にある彼自身の言葉だっただろう。「お前、友達いないもんな!」がははと笑って舌を出すチョビ髭は、桂場が自分についた嘘をあっさり暴く。若いころから一緒に過ごし、恥ずかしいこともジタバタした時間もみんな知っている”古い友人”だけがぶっ叩ける背中がある。

「お前が可哀そうな訳でも、不幸で弱い訳でも決してない。それだけは分かってくれ」「声を受けてどうするかは私の問題よ。委縮したりせずに思っていることを言ってくれてありがとう。」ヨネが美位子にかけた言葉も、寅子が音羽さんにかけた言葉も、若いころの二人からは出なかっただろうな、って彼女たちをずっと観てきたこちらにはわかっている。助けられなかった人がいて、助けてもらった自分がいて、傷つけた人がいて、傷つけられた自分がいて、だからこそ未来に向かって出来ることがある。

「判決文は残る」と航一さんは言ったけれど、今そこにいない人々と交わした言葉と思い出は、体験は、積み重なって中年たちの血肉になり、心にルールを刻みつける。二度と来るなと拒否してみても「邪魔で面倒でも、ともに戦い続けるしかない」じゃないかと笑ってしびれる足に触ってくる、
それは大切な後輩であり、仲間。

後ろ盾。背後を守る盾。後ろを防ぐもの。陰にあって力を貸し、助けること。自分の過去は背中を撃ってくるけれど、同時に守り、どやし、そのあと撫で、最後にぐっと押しもするのだ。


過去から未来へ、まっすぐではなく旋回しながら進む物語は最終週へ。寅子にとって過去からの使者である美雪は、さて、矛だろうか盾だろうか。