松下・川地・森本・石田(編)『ライティング教育の可能性』
松下 佳代・川地 亜弥子・森本 和寿・石田 智敬(編)(2025).『ライティング教育の可能性: アカデミックとパーソナルを架橋する』勁草書房.
前提知識なしにすらすら読めるかと言われればそうではない専門書だが、母語の教育であれ外国語の教育であれ、ライティング、すなわち書くことの教育に関心を持ったなら、手に取るべき一冊。学部の専門段階から大学院にかけて、ひとりで読んでいても消化不良という感じであれば、複数人で読書会をしてもいいだろう。パフォーマンス課題の評価やルーブリックについて日々思い悩む先生には石田さんや松下さんの章が示唆に富むだろう。
源流までたどってライティングとはそもそもなんぞやを整理する森本さんの担当章がすこぶるインフォーマティブで、なるほど森本さんと愉快な先輩・後輩の本かと思って読み進めると、谷さんや川地さんの章、そして川地さん・谷さん・松下さんの座談会が面白く、タイトルと副題の通りのことを試みた、thought-provokingな一冊だ。森本さんの言葉を借りれば、
アカデミック・ライティングとパーソナル・ライティングは、性質的に異なる者として、緊張関係が保たれてきた。(中略)アカデミック・ライティングは、文字文化の知的基盤づくりを目指し、学校教育を通して文章術を継承・再生産し、あるいは逆に、継承・再生産過程で文章術を体系化・定式化しながら形成されてきた。それゆえに、アカデミック・ライティングは学校教育という文脈と密接不可分な者である。これに対して、パーソナル・ライティングは、自己への誠実さに基づく率直で生き生きとした表現をよしとするため、それは体系化や定式化という伝統的な学校的価値の網目をかいくぐる傾向にあった。
しかし、一方で、両者の境界は一般的に考えられているほど厳密に線引きされてきたわけではない。(中略)ライティングは教育と不可分な者であるが、ライティング「教育」という文脈においてこそ、アカデミックなものとパーソナルなものは、ストラテジックに交流が図られてきたのである。そこには「混ぜるな危険」とみなされる両者を、しかし教育的文脈においてどのように均衡させるのかという課題が横たわっている(p. 30)。
という第1章の全体の俯瞰を踏まえて、アカデミック・ライティングの側から考察した4章、そしてパーソナル・ライティングの側から考察した4章、教師教育におけるライティングを論じた2章、そこに5つのコラムと2つの座談会が挟まれた構成となっている。
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