【Cultureとは、人々の「今日」なのだと思った】
あの日僕が見た文化は、目には見えなかったけれど、確かにそこにあった。
【文化】
この言葉を聞いた時、
何を思い浮かべるだろうか。
人、
社会、
歴史、
言語、
芸術、
音楽、
食、
宗教、
政、
衣服、
建築、
あげればキリがないほどに、
文化というものから連想できるものは多い。
その国で、その地域で、その土地で、
長い年月をかけて形作られてきたもの。
ひとくくりに文化といっても、様々な形がある。
実際に目に見える文字通り“形”として
残ってきた文化もある。
一方で、
目には見えない“形”のないものだけれども、
人々の心の中で大切に紡がれてきた文化もある。
日本には日本の文化がある。
イギリスにはイギリスの文化がある。
その他の国や地域ごとにも、
それぞれそ固有の文化がある。
それは疑いようのない事実である。
では、私が見た文化は一体なんだったのか。
“現代”フットボールの歴史が動き出した地、
イングランド。
気になって、サッカーの起源について
調べてみて面白いことがわかった。
世界で1番古くサッカーが行われたのは、
実はヨーロッパではなかった。
古くは、紀元前3世紀ごろの中国に遡る。
軍事訓練の一環として革製のボールを
足で蹴る蹴鞠というものが行われた。
これが起源とされているらしい。
時をどこに置くかで変わってくるが、
依然として現代に受け継がれる
本格的なフットボールの起源は、
イングランドである。
私は、その地へと足を踏み入れた。
現代フットボール発祥の地として、
それが文化として深く人々の中に根付き
積み上げられていることを、
まざまざと実感させられた。
現代サッカーにおいて、
世界最高峰のリーグ、と称される
イングランドプレミアリーグ。
その名の通り、
プレーひとつひとつの強度や速さ、
戦場と化したフィールドで繰り広げられる
数々の激しいバトル。
派手には見えないけれども、
全てのプレーに考え抜かれた思考と
その思考が凝縮された動きが詰まっている。
本当に紙一重の中で行われる高度な知略戦もまた、最高峰と呼ばれる所以だ。
そんな最高峰と呼ばれるリーグが
母国にあることに、
大きな誇りを持つ人々がいる。
フィールドで鎬を削る選手自身か?
選手を勝利に導くためにタクトを振るう監督、コーチングスタッフか?
チームを持つオーナーか?
どれも違う。
では、いったい誰が、その誇りを持つのか?
答えは、
「イングランドに住む全てのサポーター」
だった。
どういうことだ、
と思った人も少なくないかもしれない。
けれど、ここに、
私が見た文化の正体が確かにある。
率直に言って、
海外では日本以上に
その土地に住む人たちの
チームへの想いは強くて、熱い。
文字通り、熱狂しているのだ。
よく冗談で、
「イギリス人と話す時は、口にするクラブチームの名前に気をつけろ」
なんて言われる。
これは冗談半分もあるが、
その土地にいる人々が
自分が住む地域のチームを
本気で応援していることの裏返しでもある。
決して、大事な試合があるから応援するのではない。
決して、強いから応援するのではない。
決して、勝ち続けているから応援するのではない。
決して、負けてる時に見放すのではない。
いつ、いかなる状況であっても、
心の底からクラブの勝利を信じて
スタジアムに足を運び、
声を張り上げてクラブを後押しする。
そこには、狂気的なまでの
クラブへの愛情やリスペクト、
計り知れないほどの
人々の強い想いが詰まっている。
自分も言えた立場ではないが、
その熱量、本気度、盛り上がりというのは、
正直日本とは比にならない。
もちろん日本にも熱狂的なサポーターはいる。
彼らの熱量も本気で人生を賭けている
と言えるかもしれない。
しかし私が感じた熱量は、
比べることもおこがましい
と思えてしまうほどに、
凄まじいものだった。
週末の試合、ひとたびクラブが負ければ人々は怒りや悲しみを全面に出して叫ぶ。
ひどく落ち込み元気が出なくなることもある。
週末の試合、ひとたびクラブが勝てば人々は夜通し酒を酌み交わし、喜びに浸る。
何が起きてもいいと言わんばかりに、
盛り上がる。
これはもはや、単なるスポーツ観戦ではない。
ここには、確かに、
そこに住む人々の生活があった。
試合結果で喜怒哀楽の感情が
爆発してしまうほどに、
人々はフットボールを
人生の一部として生きている。
自分の応援するクラブが試合に負けて涙を流し、時に大きな怒りを表現すること。
自分の応援するクラブが試合に勝って歓喜に湧き、笑顔になること。
これを人々の生活と呼ばずに、
なんと呼べばいいのだろうか。
ー優勝パレード
そこには、確かに、
人々の生活に根付いた
フットボールという名の文化があった。
地下鉄のドアが開いた瞬間、聞こえてきたのは人々の歌声だった。
地上へ出ると、街は一面クラブカラーに染まっていた。
父親に肩車をされた子ども。
白髪のお年寄り。
ベビーカーを押す夫婦。
世代も立場も関係なく、誰もが同じユニフォームを身にまとい、同じ歌を口ずさんでいた。
見知らぬ人同士が抱き合い、肩を組み、笑い合っていた。
パブからは歓声があふれ、街全体がひとつの生き物のように鼓動していた。
そんな熱狂の中心に、私はいたのだ。
熱い
凄まじい
盛り上がっている
そんな言葉をつかってしまったら、
あの瞬間がとても安くなってしまう。
言葉で表現することはとても難しい。
けれども、私の心は震えた。
こんな体験をしたのは初めてだ。
フットボールは、人々を魅了し、
心を動かすスポーツだ。
そんなことは
とうの昔から誰もが知っていることだ。
ただ、それでも私が見た
フットボールの生み出した熱狂というのは、
想像を遥かに超えたものだった。
あなたはフットボールが好きですか。
あの日、私が見たのは
単なる優勝パレードではなかった。
人々の歓声だった。
笑顔だった。
誇りだった。
世代を超えて受け継がれてきた、生き方そのものだった。
あの日僕が見た文化は、目には見えなかったけれど、確かにそこにあった。
