ちいさな手からめぐる、しあわせのかたち
しあわせって、なんだろう。
特別な日じゃなくてもいい。
ごちそうがある日じゃなくてもいい。
それは、ふとした瞬間に、静かに訪れるものかもしれない。
「ありがとう」を届けた、そのあとに
ある朝、畳んだ夫の服を、
2歳の息子がそっと書斎まで運んでくれた。
最近、「これ、お願いしてもいい?」と声をかけると、
「うん!」と嬉しそうに引き受けてくれるようになった。
お手伝いに目覚めた小さなその姿がうれしくて、つい動画を撮った。
その様子を、動画と一緒に夫にLINEで送ってみる。
すると、こんな返信が返ってきた。
「息子くんだったのか! お利口さんだなあ。有難う。」
そのメッセージを息子に伝えると、
彼はにこっと笑って、こう返してきた。
「うん!」
「ママもいるよ!」
その一言に、心がふわっとあたたかくなった。
“自分だけじゃないよ”と、
ちゃんと伝えようとするその気持ちが、
なんだかとても嬉しかった。
まだ2歳なのに、感謝の言葉の向こうにある“気持ち”を感じ取っている。
誰かが喜んでくれること、それを一緒に味わえること。
そんな優しさを、今、少しずつ育んでいるのだと思う。
抱きしめて、笑いあうあいだに
そんな息子が、最近よくしてくれることがもうひとつある。
私がちょっと横になっていると、
いつのまにか毛布を持ってきて、そっとかけてくれる。
体調が悪いときだけじゃない。なんでもない時間に、ふいに、優しく。
毛布の端をていねいに直してくれたり、背中をそっとなでてくれたり。
ときには、小さな腕でぎゅっと抱きしめてきて、
頭をなでてくれることもある。
鼻先をすりすり、ほっぺをぴったり合わせて、
「だいすきだよ〜」と伝えるように、ふふふと笑いあう。
それはもう、“言葉”ではなくて、“からだ”で交わすやさしさ。
気持ちがそのまま手になり、動きになり、ぬくもりになって届いてくる。
そのやさしさは、きっと――
私がこの子に、毎日届けてきたもの。
いつのまにか、それが彼の中で形を変え、
自分の表現になっている。
今日もまた、ちいさな手とともに
しあわせって、なんだろう。
「ありがとう」を伝えあえたとき。
誰かのやさしさに、そっと気づけたとき。
そして、「あなたも一緒だったよね」と、
気持ちを分かち合おうとするまなざしに出会えたとき。
わが家のしあわせは、言葉と行動のあいだにある。
それは、小さな手が運んでくれる服のように、
ふとした毛布のぬくもりのように、
さりげなく、でも確かに、ここにある。
今日もまた、毛布をかけてくれるその手に、
ぎゅっと胸があたたかくなる。
きっとこれが、
わたしたちにとっての「しあわせ」。
