おもろい人間にはなれないけど
しーなさんのこの記事を読んで。
わたしもおもしろい人になりたいって、ずっとずーっと願っている。
根が真面目なんだ。くそがつくほど。くそ真面目で融通が利かないところが、結構やっかいな自分の一面だと思ってもう何十年も生きてきている。
言葉はいくらだって出力できるのに、うまいこと言えない自分がいやなんだよね。ギャグもダジャレも謎かけもできない。関西出身、おもろいこと言えへんのはつまらん人間なんよ。おもんないやつ。他人には全く思わないけど自分には思う。
でも最近おはなし書くようになって、わたしはおもしろに振ることができないんだなと悟った。コメディがほとんど書けないのだ。
わたしが得意なのは、おもしろじゃなくてエモだ。
どのくらい伝えられるかはともかく、エモ文章ならわりと出せる。ええかっこしいというか、ええこと言いの性分がそこに出る。
昔の自分の作品を読んでる話を少し前に書いたけど、もうエモでびっしょびしょなの。前提条件をくっつけるだけでエモの宝庫。エモの行列。そりゃ何千文字にもなるわって感じ。
エモ文章を並べ立てて、これでもか、って。当時読んでくださって方、どう思っていたんだろうな。二次創作だからわりと歓迎されるところではあったと思うし、たくさん褒めてもらえたけど。
だから、世の中には二種類の人間がいるのかもしれない。
おもろいとエモ。
どっちがいいとかじゃないし、おもろいにも憧れる。めちゃくちゃ憧れる。脳みそ取り替えてほしいとすら思う。
でも、わたしにそれは多分あんまり備わってない。勝ち負けじゃないけど、勝てないもん。「どっからそのワード持ってくるの」ってセンスの塊の人とか、例え話がめちゃくちゃ秀逸な人とか、韻の踏み方が抜群にうまい人とか、かなわない。
そのかわりわたしはエモを書くんだ。感情でびしょびしょになった誰かの気持ちを文字にする。自分の気持ちでそれができるならエッセイを書くんだろうし、二の足踏んじゃうときはキャラクターの気持ちとして創作をするんじゃないかな。
情報だけの記事をあまり読まないのも同じ理屈かも。そこにエモがないから。わたしの行動原理、価値観、生きる理由、みたいなものが、全部エモに集約されるのかもしれない。
くすりとできる文章もいい。でも笑えなくても、そこにエモがあれば。エモさえあれば。
わたしはそれが、読みたいし書きたいんだよなあ。
ということを、改めて気付かせてくれたしーなさんの記事でした。しーなさんの記事はわたしにとって激エモなので、いつも幸せに読ませてもらってます、ありがとう。
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