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本は紙と電子書籍のどちらで読むべきか?

私は「読書」をテーマとした本をよく読みます。読書という営みを俯瞰できるからです。何故私は本を読むのか?その目的のためにどのような本を読むのか?本を読むという営為は当然楽しいのですが、自分の読書を俯瞰して、より楽しく、人生が豊かになる機構を形成することも楽しいのです。

そんな中、『百冊で耕す』という本を読みました。

この本は冒頭の文章で一気に引き込まれました。本の内容ではなく、文章に魅せられて本を手に取ったのはいつぶりでしょうか。とにかく面白い本でした。そして、この本は私の読書習慣を大きく変えたのです。

本を読む人にとって悩ましいことの一つに、「紙の本で読むか、電子書籍で読むか」というものがあります。どちらか一方で読むと決めている人は、悩んでないかもしれませんが。私の場合は紙の本も電子書籍も割合としては同じくらいの冊数を保有しています。ある程度ジャンルによって読み分けしていますが、本を購入する度に都度「この本は紙か電子書籍のどちらで読むか?」と判断しています。漫画とビジネス書は基本的に電子書籍で、他の本はKindleのセールやメルカリでの出品状況を踏まえて、判断しているような感じです。

そんな紙の本と電子書籍を両立させた読書生活を送っていた私にとって、衝撃的な一節が『百冊で耕す』に書いてありました。

本と、電子書籍とは違うモノ、異なる物体と言っているだけだ。

『百冊で耕す』CCCメディアハウス

そう、紙の本と電子書籍は別物なのです。電子書籍は本をデジタル化したものではなく、本ではないのです。

電子書籍を読んでも、書籍の内容をあまり覚えていないことが多いと感じていました。当然、本の内容を一字一句覚えようとは思っていません。本は読んだ後、頭の中に欠片が残れば十分だと思っています。電子書籍を読んだときは、その欠片すら残っていないような感覚に陥ることが多かったです。

電子書籍を読む時は細切れの時間で読むことが多いので、当初は欠片すら残らないのはそれが要因だと思っていました。実際は違ったのです。本は紙という物質で読まないといけないのです。

頭に本の欠片を残すことに大いに貢献する、紙の本が持つ特徴が二つあると考えました。

一つ目は、紙の本は物体として存在することです。紙の本を読む場合、本という物体において、ここら辺にこんな内容が書いてあった、と物体とテキストが繋がった形で記憶として定着されるような感覚があります。文章と物体のイメージと関連づけられることで、記憶に定着しているのではないでしょうか。

二つ目は、身体を使って本を読むことです。紙の本を読む場合、本を持ち、もう片方の手で本を捲ります。また、私は本に色々と書き込むタイプの人間なので、ペンを動かして傍線を引いたりメモを書いたりします。つまり、本を読む時に身体を動かしているのです。この「身体を動かす」行為が、本に書かれた内容を頭に定着させるのに一役買っているという仮説を立てます。

余談ですが、私は紙のノートに手書きでメモを取る習慣があります。あらゆるメモを一冊のノートに書きます。仕事中のメモ、読書メモ、noteのアイデア、日記、全てです。デジタルでメモを取るより、手を動かしてメモしたほうが、頭に定着するし、思考が深まる感覚があります。なので、時代遅れかもしれませんが、私は紙のノートにメモを書き続けます。

紙の本を読むほうが、本の内容が頭に残る。ならば、今後は読書において紙の本を読むことを基本にすべきだ。私の読書観が転換したのでした。まさにコペルニクス的転回。

とはいえ、電子書籍の方が望ましいジャンルもあるでしょう。私なりのルールを決めておきます。まず、漫画は電子書籍で読むこととします。これは、漫画は嵩張るからです。本当は漫画も紙で読みたいのですが、漫画はすぐに嵩張ってしまうので、泣く泣く電子書籍で読むこととします。本当に気に入った漫画だけ、紙でも手に入れよう。

他には、本を本として読まない場合。どういうことか?「情報」や「資料」として読む場合が該当します。電子書籍の利点の一つに、検索機能があります。情報や資料として扱う本は、デジタルデータとして保有した方が利便性が高いです。

昨年は狭い部屋に暮らしていたこともあり、紙の本をあまり増やさないべく、電子書籍を中心に購入していました。昨年の終わりに引っ越して、家が広くなりました。本棚に綺麗に陳列することを諦めれば、今よりも沢山の本を持つことができるでしょう。

理想の生活は作家の橋本麻里さん、山本貴光さんが暮らす家のように、本に囲まれて生活することです。一生をかけて、この家を目指そうかと思います。