19世紀前半のわくわくする知的アドベンチャー。『バベル』R・F・クアン(古沢 嘉通訳)
舞台は、オックスフォード大学のあるイギリスと清朝で唯一貿易が認められていた広東。英語を読み書きできるように育てられた広東の一人の男の子が、母親の死をきっかけに、イギリスに連れて行かれます。名前も英語風にロビン・スウィフトと改めて。
イギリスの世間と隔絶された家で、教え込まれたのはギリシャ語とラテン語。北方中国語を忘れないような訓練も受けます。語学漬けの生活を経て、ロビンはめでたくオックスフォード大学の翻訳研究所バベルの学生になります。
1年生はたった4人。主人公のロビン。インドのカルカッタ出身のラミー。ハイチ出身のヴィクトワール。イギリス出身のレティシア。男女2人づつ、それぞれの出身地や価値観が違いながらも、オックスフォードになじむよう、試験をクリアし、奨学金を得て学生生活を継続できるよう、すさまじい努力を強いられます。
読者は、彼らの学生生活を通じて、有色人種への差別や女性差別も追体験します。公式にはすべての学生が平等のはずなのに、人目で肌の色が違うラミーと、見た目だけではすぐに有色人種とわからないロビンへの対応の違い。同じ学生なのに、図書館で本を借りるにはヴィクトワールやレティシアだけではダメで、ロビンやラミーと一緒でないと無理だとか。
大学の中なのに、ヴィクトワールとレティシアは男性のような格好をしていないといけないとか。現代人の感覚からすると、クラクラするような差別の数々。そういえば、日本でも似たような話がありました。
『バベル』は、イギリスが植民地各地から語学に堪能な学生たちを集めて、研究者として養成し、言葉を刻んだ銀の棒で産業革命を行ったり、植民地を支配したりしているという歴史ファンタジー設定。その成果は決して植民地には還元されず、海外から広く集められた優秀な学生たちも、決してイギリス人にはなれないという19世紀的な理不尽さは現実を反映しています。
そんな搾取の構造は、4人の仲間に間にも陰を落とします。彼らにはたらきかけてきたのは、バベルの先輩たちでイギリスへの敵対意識を持ったヘルメス結社。バベルから銀の棒を盗むのを、ロビンに持ちかけてきます。何が正しくて、何が間違っているのか、ロビンは悩みます。
一度はヘルメス結社に協力したものの、恵まれた学生生活のために関係を断ったロビン。直後、ロビンと同級生3人は、アヘン戦争直前の広東に海外出張させられ、現地で通訳させられます。イギリスのジャーディン・マセソン商会と提督側の利益を代弁させられるロビンは、清朝高官の林則徐と不思議な邂逅を果たします。
小さい頃に育った広東の街がアヘンに侵されているのを目の当たりにしたロビンは、後見人と対立し、帰りの船で彼を殺害してしまいます。そこからストーリーは急展開。ロビンと証拠隠滅に協力した3人は、元の学生生活に戻れなくなります。逃げ場所を求めてさまよううちに、バベルの教授がアヘンをめぐる対立を口実に、清朝の間の戦争を望んでいると知り憤ります。
4人の最後の手段は、ヘルメス結社のメンバーたちと連絡をとること。彼らは、イギリス議会に働きかけて、戦争を止めようと作戦を開始します。現実の歴史を知っている読者は、アヘン戦争が実際に行われたことを知っているので、もうこのあたりは読んでいるだけで心臓にわるかったです。
ただ、歴史ファンタジーなので、もしかしたら救いのあるエンディングになるかもしれないと思いつつ、まあ、そうはならないだろうなあと覚悟しつつ、邦訳1600枚の原稿になったらしい上下巻を一気読み。悲劇的だけれど、希望もある青春物語は、とにかく読み応えがありました。楽しかった!
作者のR・F・クアン(匡霊秀)は広東生まれで、その後、アメリカに移民した家庭で育ち、ケンブリッジやオックスフォード大学で勉強した女性。歴史好きや語学好き、イギリスの学園モノが好きな人など、幅広くおすすめできる作品です。
帝国と言語の関係でいうと、こんな映画もありましたっけ。こちらも、興味がある方はぜひ。
