自分のルーツを探す旅。『美麗島まで』与那原恵
石垣島には、娘が小さい頃2年連続で出かけました。夫が自転車レースにはまっていた頃のことです。私は人生最悪に体調が悪かった時期なので、最初は夫に連れられて仕方なく……でしたが、石垣島はとても楽しいところだったので、2回目は楽しめました。
この本は、著者の与那原さんがお祖父さんやお母さんのルーツをたどって、石垣島や沖縄本島、それに台湾を旅したルポルタージュです。美麗島とは台湾のこと。与那原さんのお祖父さんは石垣島出身。戦前、家族の反対を押し切って東京に出て、医者を目指し、その後台湾へ渡って開業医として成功。でも、敗戦を迎えてしまいます。
与那原さんのお母さんは那覇に生まれ。その後、台湾の台北に移住し、やがて東京に移って家庭を持ちました。裕福な名家に育った女性が、敗戦後の波乱の中で人生に立ち向かう姿は、戦争に翻弄されつつも雄々しく生きる人々がいたことを教えてくれます。
淡々とした筆致の中に、歴史の残酷さが見え隠れします。沖縄の人にとっての石垣島や台湾と沖縄と日本の関係。与那国島の密貿易やアイデンティティの問題……などなど。複雑に揺れ動きます。でも、深刻な話ばかりではなく、随所におもしろい歴史トリビアもあって、読ませます。
例えば、美麗島(フォルモサ)という台湾の美称は、ポルトガル人が「なんて美しい島だ!」と呼んだからと聞いたことがあります。でも、大航海時代のポルトガル人たちは、あちこちで美しい島をみつけては、「イラ、フォルモサ!」とやっていたとか。なので、南アフリカやアジアにフォルモサの言葉の由来を持つ島が10もあるそうです。
森鴎外は、軍医として台湾に渡った経歴を持つ人です。一般的には小説家として、『舞姫』(と実際のドイツ留学での恋愛騒ぎ)での女性の扱いとか、もしくは日露戦争で玄米が脚気に効果あることを認めずに、被害者を多数出したこととか、ちょっといいイメージがない人に思っていました。
でも、森鴎外は女性はともかく、貧しい医者志望の学生が訪ねてくるとやさしく依頼に応えたし、それができないときには洋食をおごってくれたとか。与那原さんのお祖父さんもアポ無しで鴎外を訪ねていったけれど、ちゃんと面会して話を聞いてもらえたし、ご馳走にもなったそうです。
それから、きつねうどんは大阪で生まれたという説があるそうで、でもお揚げは最初、今みたいに甘くなかったとか。それが甘くなったのは、日本が日清戦争に勝って、台湾を領有して砂糖が潤沢に入手できるようになった以降ことだそうです。
台湾を植民地にして、日本人が砂糖の栽培を展開すると、多くの台湾人は日本人の農園で働くしかなくなりました。これを嫌った台湾人たちの中で、石垣島に入植した人々が結構いたようです。彼らは進んだ農業技術や水牛を持ち込んだけど、逆にそれが石垣島の人たちから反発をくらい揉めたとか。私たちが石垣島観光したとき、台湾から来た水牛のモエちゃんに乗って観光しましたが、こんな背景があったとは知りませんでした。
与那原さんのお祖父さんは、その時代によって言うことを変えたそうです。戦前、台湾で病院を開業している頃は「日琉同祖」を唱えた論文を発表したし、敗戦直後の台湾では「琉球の中国帰属論」に賛同しました。そして、沖縄に帰ってからは「琉球独立論」者の一員となったようです。
このことを歴史家の高良倉吉さんに話すと、お祖父さんは時代によって主張を変えた人ではなく、沖縄のアイデンティティを常に考えていたからこそ揺れた人、与那原さんに言ったそうです。
沖縄も台湾も歴史は複雑。だからそして、お祖父さんの主張の変化は沖縄人として健全。複雑な歴史の中に置かれた沖縄人が、一貫したアイデンティティを持てるほうが不思議だし、そもそも無理。彼も苦悩した沖縄人のひとりだった。
心に刻みたい言葉です。
