明治はまだまだ江戸っぽい。『明六社 森有礼、西周、福沢諭吉らが集った知的結社』河野有理
明六社(めいろくしゃ)は、アメリカから帰国した森有礼が明治6(1873)年に創設した、日本最初期の有名な啓蒙学術団体。当時の有名な知識人が集まって、機関誌『明六雑誌』を発行したり、演説会を通じて、文明開化期の思想や社会制度について議論したとのこと。
ちょうど、明治6年くらいのことを知りたかったので手に取りましたが、最初は少し戸惑いました。理由は多分、読者がここに出てくる著名人の言説を知ってる前提で、著者が話を進めているのが原因かも。私はそのあたり、あんまり基礎知識がないので。
ただ、本書は教科書に載るほどの有名人が、各章2人づつ紹介されているので、個別の話はわかりやすいです。全体のざっくりした内容は、明治6年くらいの日本はまだまだ江戸的な社会で、人の頭の中もすぐ西洋化されたわけじゃない、ってことなんだろうなあと理解しました。
たとえば、森有礼の書いた「妻妾論」は、当時から現在まで夫婦や男女の「同権」を主張して、日本の封建的な家族制度を批判したと受け止められています。でも、著者いわく、森はそもそも「同権」という言葉を使っていない。明治も現代も、雑誌だろうがインターネットだろうが、ニンゲンの議論の噛み合わなさは同じなんだなって親近感がわきます。
森個人の生活がめちゃくちゃ西洋風だったのは確かだけれど、アメリカに行く前の彼の基礎教養は、他のメンバーと同じく儒学。そして、実はこの儒学にも落とし穴がありました。たとえば、儒学では夫婦の理想を「別有り」(『孟子』)というけど、江戸生まれの日本人は、「夫婦の別」を「不倫や姦淫ダメ」の意味だと誤解してたんです。
明治になって、始めて中国へ行った日本の外交官が、ようやく「夫婦の別」の真の意味を体得したそうです。中国でいう「夫婦の別」とは、文字通り男女の生活範囲の空間的分離。上海や北京の昼間の大通りの雑踏のすごさにもかかわらず、女性の影が全くない、家から出ない状況。
日本は中国のような纏足はないし、イスラム的なブルカやベールもなく、街路には女性があふれ、それなりにいい家柄の女性でも、お供さえ連れていれば公衆に顔をさらしながら自分の足で闊歩できる。庶民に至っては、公衆浴場での混浴の習慣もあった。ここまで文化が違えば、そりゃ、どれだけ儒学を学んでも理解できません。
それから、中村正直(敬宇)の『自助論』について。中村が訳したサミュエル・スマイルズ『Self Help』は、明治の聖書なんていわれて、福沢諭吉『学問のすすめ』と並ぶ明治初年のベストセラーだったそうです。明治特有の成功哲学や通俗道徳を説いた本とみなされがちですが(今で言うビジネス本?)、売れたのは翻訳名を『西国立志編』に変更してからだとか。
というのも、「立志」という言葉は『孟子』からある古い言葉で、朱子学の入門書『近思録』にも出るくらい、陽明学で重視される言葉。意味としては、「人間の本来性への覚醒」、いまこの瞬間における死の跳躍として迫る際のキー概念。かなりの焦燥や切迫感をあわせ持つので、単なる世俗的な立身出世思考じゃないのだとか。
明治維新は、外国に攻められるか日本が変わるかみたいな時代。「一国の強弱は一個人の志操より成り立つ」って『西国立志編』冒頭は、当時の若い女性をも奮い立たせたとか。でも、中村は自分がキリスト教を受け入れただけじゃなく、天皇が洗礼を受けるべきだなんて言ったので、政府の監視対象になったようです。振り子の振れ幅大きすぎ。
おもしろいエピソード満載の本書ですが、ラストはやはり福沢諭吉。彼は、幕末から明治6、7年くらいまで暗殺を恐れて外出しなかったそうです。というのも、幕末には幕府の仕事で翻訳をしていたから。給料は低くても、重要文書にふれる機会が多くて、洋学者もテロの対象だったみたいです。怖い…
著者によれば、福沢諭吉の『福翁自伝』は、幕末の政治との関わりとか、自分の「佐幕」的な思想なんかは、きれいに言及されていないんだそうです。自伝って、本人の言い訳とか、後の書き換えがされてるから、鵜呑みにしちゃだめだって言われるけれど、福沢諭吉もやっぱり同じなんですね。
時代が違えば、同じ日本とは思えないくらい文化も違う物語。こちらも、おすすめです。
