文化財を守る。『紫禁城の至宝を救え』アダム・ブルックス(須川綾子訳)
著者のアダム・ブルックスは、カナダ生まれのイギリス育ち。ロンドン大学東洋アフリカ学院で中国語を学んで、長年BBCのニュースジャーナリストとして、インドネシア、中国、アメリカで特派員を勤め、30カ国以上で報道の仕事をした人。経験を活かして執筆したスパイ小説も評価が高いとか。
ただし、この本はエンタメというよりアカデミック寄り。そして、文学的。物語は、1765年1月28日の北京に住む乾隆帝の朝から始まります。
まずは銀色に染まった冬の暗がりへとさかのぼろう。寒さが厳しく、空気は身を刺すように冷たい。城内の中庭は積もってから時間が経ち、硬くなった大量の雪で覆われている。(中略)
午前四時、動きがみられる。養心殿で蝋燭の炎が揺らめく。今日、中国と呼ばれている広大な領土を支配する清朝皇帝の目覚めのときだ。
日本語版のサブタイトルは、日本人にわかりやすく「日中戦争惨禍から美術品を守った学芸員たち」になっていますが、原著のタイトルは、『Fragile CargoーChina's Wartime Race to Save Treasures of the the Forbidden City』。日本語タイトルも間違いではなくて、日中戦争時期の苦労が一番ボリュームある話なのですが、物語は清朝末期のイギリスやフランスとの戦争や略奪から始まり、辛亥革命後の軍閥による略奪、そして最後は中国国民党と共産党の内戦も含めて「China's Wartime」となっています。
故宮博物院の美術品については、中国と台湾の関係にフォーカスした野嶋剛さんの『ふたつの故宮博物院』が読みやすいです。でも、ブルックスの本はかなり骨太。近代中国史研究の成果をベースに、故宮の美術品を管理していた研究者や学芸員たちの回想録、当時の新聞記事、関係者へのインタビューなどなど、脚注もしっかりで読み応えがあります。
最初は乾隆帝の皇帝らしいエピソードで始まりますが、その後は暗転しっぱなし。例えば、アロー戦争の話。イギリスとフランスの連合軍が北京郊外の円明園を略奪して、火を放ちます。イギリスのダン大尉は、焼け跡で見つけたペキニーズの子犬の1匹をイングランドまで連れ帰り、ヴィクトリア女王に献上したら、「ルーティー(戦利品)」と名付けられてお気に入りになった話とか。ひどすぎ……
そんな清朝末期の混乱から、辛亥革命を経て、1924年(日本だと大正時代の終わり)11月。『ラストエンペラー』の映画だと、溥儀が優雅に紫禁城内でテニスしているときに馮玉祥の軍隊がやってきて、たった1時間で追い出された演出が印象的でした。でも、この本読むと11月は映画と違って寒そうだし、タイムリミットは3時間だし、溥儀はテニス中じゃなくて、りんご食べかけだったんですね。
溥儀を北京の紫禁城から追い出した中華民国政府は、宮殿内に何があるかを明らかにするため、北京大学の教授や信頼できる学生たちでチームをつくり、歴史と伝統ある宝物の管理するための活動を開始します。
ブルックスは、このチームのメンバーになった北京大学の馬衡教授と学生の荘厳、そして那志良を中心に、彼らがどんなふうに宝物を調査し、目録を作成し、学芸員として専門家になっていったのかをいきいき描いています。個人的に読んでいて一番楽しいのはこのあたりだったかも。一方で、展示の準備もままならないうちに宝物を一般市民に公開しろと無茶振りする政府、殺到する市民たちなど、学芸員たちの上司の苦労もしのばれます。
なにより大変だったのは、20世紀の中国がずっと内戦が続く状態にあったこと。首都も北京から南京に変わり、宝物の避難方法も定まらないし、なにより資金繰りが大変なのに、なにかあるとマスコミが「美術品の国外密売」疑惑で騒ぎ立てるし、政府内部でも権力闘争があって、故宮博物院のトップは翻弄されます。
この本の原題『Fragile Cargo』は、戦争中の過酷な状況の中を梱包されて、長距離移動した美術品のことだと思っていたけれど、よくよく考えると移動しなくても、中国という国の内部で軍閥が戦争を続けるし、国民党と共産党も自前の軍隊で「革命」を続ける状況は、充分「Fragile Cargo」でした。だから、中国という国自体が「危うい」という意味もあるかなと。
「満州事変」以後、日本の軍事侵攻が迫り、北京も危険な状態になります。南京に首都を置いた蒋介石の政権は、美術品や歴史的に貴重な宝物は厳重に梱包して移動させることを計画しますが、何をどこまで移動するか、なかなか決まらず馬衡を悩ませます。なんせ、壊れやすい美術品や工芸品だけでなく、やたらと重い石に刻まれた文字とかもある…
しかも、いつ日本が攻めてきてもおかしくない状況で、蒋介石はロンドンの「中国芸術国際展覧会」に厳選した宝物を出品しろといい出します。蒋介石は、中国の偉大な文化遺産が展覧会で大評判になれば、国際社会で中国(当時は中華民国)の存在感が高まり、日本の侵略に批判が高まるかもしれないと期待したらしいのです。
繊細な美術品をどうやってイギリスまで運ぶか。それだけでも頭が痛いし、マスコミは海外に美術品を持ち出せば返ってこないと騒ぎ立てる。最終的に、イギリスの軍艦に美術品を積んで、荘厳がロンドンまで美術品に同行しました。彼は美術品が絶賛されるのを見ながら、同時に自分たち中国の学芸員の知識が、ロンドンで尊重されない理不尽を体験します。
イギリス人が古代インドの美術を探求し、全力を傾けて研鑽を積んでいるのを見ているが、しかしインドは今どうなっているかといえば、依然として大英帝国の支配下にあるではないか。さらにおそらく専門の学者はその美術を鑑賞した後も感慨にふけるばかりであり、彼らが現在のインド人を親密なまなざしで見ているということは聞いたことがない。
日中戦争が始まると、幸運な美術品は中国の奥地を目指して移動を開始しますが、その旅程はとにかく壮絶の一言。そして、戦争が終わったあとの、台湾に向けた移動はそれまでとは全く違ったの意味で理不尽極まりないし、中国に残った学芸員たちのその後も辛い。でも、おもしろい。興味あるかたは、ぜひこの本を手にとって読んでみてください。
