グローバルな時代の翻訳の一つのカタチ。『翻訳者の全技術』山形浩生
翻訳や通訳をしている方のお仕事本は、とてもおもしろいです。言葉や文章に向き合うときの独特の姿勢があるし、作家さんのこぼれ話や外国の想像もできない文化なんかも読めるので。
山形さんは、とても有名な翻訳者さん。本業が別にあるので、翻訳は副業。なのに、100冊以上の英語の本を翻訳されてきたのだとか。一般的な「翻訳家」イメージとは随分とかけ離れています。
ご本人いわく、出版社から頼まれて翻訳したのは全体の3分の2くらいで、最初の頃はもっと少なく、自分がおもしろいから翻訳をした結果が現在の状況なのだとか。ものすごく英語ができて、時間と心に余裕がある人にしかできない経験です。
私が大昔に読んだ、明治から大正、昭和にかけての活躍された翻訳家さんたちは、家柄だったり学閥の関係とか、文学者が翻訳をやっているパターンとか、限られた条件の中で外国語を翻訳することを仕事にできる人たちでした。時代も古いので、ちょっと息苦しい世界。
でも、山形さんはオープンソース的。子供の頃にアメリカで生活した経験があって、東大に入学してアメリカ留学して修士をおさめて、開発援助コンサルタントの副業として、いろんな本を翻訳する。実力がある人だけが持てる自由。自分には絶対にできないことを疑似体験できる、読書ってステキです。
しかも、「誰も翻訳していないから」とか、「すでにある翻訳のこの部分がおかしいから」という理由で、山形さんはインターネット上でご自身の翻訳を公開して、もし出版社が手を上げたらそれが出版されるし、誰も声をかけないならそれっきり。2000年代の、インターネット黎明期を思い出させられます。
多言語の文章を、文化の違う別の言語話者が受け取りやすい言葉にするのは本当に大変。自分が読むだけならともかく、ある外国語の専門的な文章にふさわしい日本語の訳語を選んで、苦労しつつも他の人の理解を助けようなんて、ボランティアにもほどがあります。
大昔、全編皮肉でまとめた外国の小説を、背景を知らなかった日本の翻訳者が「まじめな文章」だと勘違いして、全編シリアスに訳してしまったなんて有名(?)な逸話もありました。山形さんいわく、現代でも似たような誤解がある模様。外国語に対する日本人の偏見もあったり。そのあたり、ぜひ本文を読んでご確認ください。
山形さんが心がけていることに、「海外から伝えられる事実や言葉が腑に落ちなかったら、現地へ実際に行ってみる」というのがあります。言葉は万能ではないので、現地にいったり、書いた人本人に会わないと、その言葉が使われた状況を肌で理解できないことって本当にありますが、これが結構難しい。
村上春樹も、小説を翻訳しているときにわからない部分があって、作者に連絡して聞いてみたら、「現地に来て一緒に走ったら教えるよ」と言われて実際に海外の著者に会いに行って走ったとか。さすがですが、すべての翻訳者ができることでもないのが辛い。
山形さんが、ミステリー小説の結末を確認してから読みはじめるというのは驚きましたが、だからこそ百冊以上の本を翻訳してこれたんだなあと、なんとなく腑に落ちました。英語力以前に、私みたいにミステリー作者の手のひらで転がされたい読者は、山形さんのような読み方、理解の仕方は絶対にできません。
山形さんは、ずっと異文化衝突の最前線でお仕事をされていて、ニンゲンの言葉とか文章に対する理解の限界を実感していて、だからこそ積読にも手厳しいのかなあと。万人にあてはまる読書感でないのが、おもしろいですね。
語学ができる方で、翻訳を仕事にしているわけでもないけれど、ふと思い出したのが高野秀行さん。かなり対照的な、語学のできるニンゲン像。比較してみると楽しそうです。とがった人の話は、世界観を広げる意味でも、自分にはできないことを疑似体験して気分がよくなる意味でもおすすめです。
中国語の翻訳者ですが、天野さんは必要があってもなくても、小説に出てくる建物は必ず見取り図を書いたとか。こだわりも、人それぞれ。
