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「遊郭」は、どんな間取りだったのか。24万回見られた橋本遊郭建築の図面

ある日、建築の専門誌媒体『建築知識』の公式SNSに、一枚の間取り図が投稿されました。

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』著・高殿円、イラスト・コジマユイ 橋本遊郭跡編より

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』著/高殿円 イラスト/コジマユイ 出版/エクスナレッジ


京都・橋本に残る、かつての遊郭建築。
人気作家・高殿円さんの著書『大正昭和レトロ建築旧夢譚』に収録した、書き下ろしの図面です。

投稿は、24万回以上表示されました。

「こんな間取りになっていたのか」
「建物の中を実際に歩いてみたくなる」
「資料としてすごい」

さまざまな反応をいただき、担当編集としてはうれしいと同時に、少し不思議でもありました。

なぜ、一枚の間取り図が、これほど多くの人を惹きつけたのでしょうか。

建物の写真だけでは、見えてこないもの

古い建物の記録と聞いて、まず思い浮かぶのは写真かもしれません。

外観、窓、欄間、タイルや階段、照明。
写真は、建物の細部や、その場に差し込む光まで残してくれます。

けれど、写真だけでは、なかなか見えてこないものがあります。

玄関を入ったあと、どこへ続いていたのか?
部屋と部屋は、どのようにつながっていたのか?
そこで働く人、暮らす人、訪れる人は、どんなふうに建物のなかを行き来していたのか。

建物は、一枚の美しい正面写真だけでできているわけではありません。

扉を開け、廊下を曲がり、階段を上り、部屋から部屋へ移動する。
人がそのなかを歩いて、はじめて、「建物」と呼べるのではないでしょうか。

間取り図を見ると、その動きが突然、想像できるようになります。

写真の中では別々に見えていた部屋がつながり、建物全体の奥行きが立ち上がってくる。
平面だった記録のなかに、人の気配が戻ってくるのです。

「レトロでかわいい」だけでは終わらない

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』は、人気作家・高殿円さんが関西圏にある、知る人ぞ知るレトロな建物を訪ね、その来歴や、実際に足を運んだからこそ見えてきたものを綴ったエッセイと記録集です。

作家の高殿さんだからこそ描ける、古い建物に残る人々の往来の気配や、建物が辿ってきた、思いがけない数奇な物語。そして、現地の人々への取材を通してうかがった生の声が、じつに活き活きと記されています。

建物の細部を描くのは、イラストレーターのコジマユイさん。
コジマさんのイラストには、建物をひと目見ただけでは気づかないような情報が、驚くほど細かく描き込まれています。

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』大阪農林会館編より

華やかな装飾だけではありません。

古びた扉の形や、窓に嵌められたステンドガラスの違い、壁や床に残る時間の痕跡。
改修された部分と、昔の姿をとどめている部分。

レトロ建築は、ともすると「かわいい」「懐かしい」という言葉だけで語られがちです。

もちろん、それも大きな魅力です。
古いタイルや凝った意匠を見つければ、胸が躍ります。

けれど、その建物がなぜそこに建てられ、どんな時代を通り抜け、誰に使われてきたのかを知ると、見え方は少し変わります。

橋本の遊郭建築も、そのひとつです。

「遊郭」という言葉の珍しさや妖しさだけを切り取れば、建物の一面しか見えません。

そこには、華やかな意匠がある一方で、その場所に結びついた仕事と暮らしがあり、社会の制度があり、そこで生きた人たちの歴史があります。

美しい建物として眺めるだけでもなく、重い歴史として遠ざけるだけでもない。
高殿さんは、そんな複雑な現代に残る遊郭建築に息づく物語を、じつに見事に描き出してくださいました。

では、本全体として、ほかに何ができるのか?
まず、そこにどんな空間があったのかを、できる限り具体的に見てみる。

そのために、間取り図がひとつの役割を果たしました。

もう入れない場所を、本の中で歩く

古い建物は、ずっと同じ姿で残り続けるわけではありません。

老朽化や災害、所有者の事情、町の再開発。
さまざまな理由で取り壊され、ある日突然、見られなくなることがあります。

建物自体は残っていても、安全面などから内部が公開されなくなることもあります。

「いつか見に行こう」と思っているうちに、もう入れなくなってしまう。

建築を扱う本をつくっていると、そのことをたびたび思い知らされます。

だからこそ、本書では、建物をただ整った記録として紹介するだけではなく、その場所をできるだけ、立体的に体験できるように残したいと考えました。

高殿さんの文章を読む。
コジマさんのイラストで細部を見る。
そして間取り図を開き、建物全体の構造を確かめる。

「ここから入って、この場所へ進んでいくのか」
「この部屋の向こう側には、こんな空間があったのか」

紙面を行き来するうちに、読者が本の中で建物を歩ける。

それが、この本で目指したことのひとつです。

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』大阪農林会館編より

建物の記録は、少し間に合わないくらいがちょうどいい

古い建物を本に残そうとするとき、いつも「もっと早ければ」と思います。

もっと早く訪ねていれば、違う部屋も見られたかもしれない。
改修前の姿を知る人に話を聞けたかもしれない。
なくなってしまった建物を、直接取材できたかもしれない。

けれど、完全な記録を残せる機会を待っていたら、建物のほうが先になくなってしまいます。

わからないことがあっても、欠けている部分があっても、いま見られるものを見て、いま聞けることを聞き、残せる形で残しておく。

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』は、建物を網羅的に解説した建築事典ではありません。

高殿円さんが建物を訪ね、驚き、調べ、ときに建物をめぐる人々や歴史の物語に思いを馳せる。そこにコジマユイさんの緻密な絵が加わり、文章だけでも、写真だけでも残せない風景を、一冊のなかに綴じ込めています。

建物を保存することはできなくても、記録することはできる。

そして、記録された建物は、本を開くたび、何度でも訪ねることができます。

橋本遊郭建築の間取り図に反応が集まったことで、「もう見られないかもしれない場所を、もっとよく見たい」と感じている人が、こんなにもたくさんいることを知りました。

この本が、いま残っている建物を訪ねるきっかけに。

そして、すでに失われた建物に、もう一度会いに行くための入口になればうれしく思います。


【書誌情報】

『大正昭和レトロ建築旧夢譚』

著:高殿円 イラスト:コジマユイ コーディネート協力:前畑洋平
ISBN: 9784767835204 判型:四六判 定価:2200円

作家・高殿円さんが各地のレトロ建築を訪ね、その歴史と、建物にまつわる物語を綴ったエッセイと記録。コジマユイさんの緻密なイラストとともに、大正・昭和の建物の細部をたどります。コーディネート協力は、産業遺産コーディネーターの前畑洋平さん。関西、そしてすべての建物を愛する人へ、贈り物のような1冊です。