【暇論壇】思い出を所有しないままに保持する作法〜南こうせつと喜多條忠の遅い身体
数え歌の構造
「赤ちょうちん」(かぐや姫、1974年)の歌詞を眼で追いながら音源を聴くと、奇妙なことに気づく。動詞の終止形がほとんど現れないのであった。語尾はことごとく過去回想か推量にひかれていて、現在を断定する動詞が出てこないのであった。記憶の語尾「ました」と推量の語尾「気がします」が、ほぼ全行を覆っている。これは作詞の喜多條忠の構造であると同時に、それを発声する南こうせつの身体がさらに強める構造でもある。「ました」が経文の繰りの位置に座っている。意味の重さに対する均衡装置として語尾の同型反復が走りつづける。「おでんを沢山買いました」「ひざをかかえて泣きました」「哀しいことだと知りました」、すべて同じ「ました」で結ばれる。日常の出来事と人生の認識が文末のレベルで等価に並ぶ。
「神田川」(かぐや姫、1973年)のサビで反復される「ただ貴方のやさしさが 怖かった」のような屹立する一行が「赤ちょうちん」にはない。屹立しないように書かれている。一点に全体を集約する詞ではなく語尾を繰り続けることで時間を保持する詞だ。
寺の身体
こうせつの発声は、フォーク第2世代のなかでも独特のほどけ方をしている。岡林信康の咆哮でも吉田拓郎の押し出すシャウトでもなく、喉を締めずに開いたまま流す発声。あのゆるさは一聴すると素人くささだが、実際にはゆるさを維持するために高度にコントロールされた技術だ。力を入れないことに力を使っている身体なのであった。
南こうせつの出自はこうだ。大分県大分市竹中の曹洞宗・勝光寺の息子であり、身体化されたハビトゥスとして読経の身体、法話の身体を生きていたのであった。こうせつの節回しとMCの巧みさは読誦と法話の語り口をフォークというフォーマットに移し替えたものとして聴ける。歌うと語るのあいだに位置する身体、どちらにも振り切らない身体である。実際こうせつは後年、書き下ろし作品「まごころに生きる」「澄みわたる空」を梅花流詠讃歌として実家に奉納している。梅花流詠讃歌は曹洞宗の御詠歌の流派であって、歌と読誦のあいだに位置する伝統そのものだ。こうせつのフォークは、フォークというフォーマットを借りて、出自の場所に戻る身体でもあったのだ。
そして曹洞宗の朝課の核には陀羅尼がある。陀羅尼はサンスクリットの音をそのまま漢字に写したものであって、訳されない。大悲心陀羅尼の「ナムカラタンノートラヤーヤー」が日々誦される。唱える者は意味を理解する必要も、意味を込める必要もない。自力の理解は放棄され、唱える者はただ音を通す媒体になる。陀羅尼を誦する身体は意味を所有しない。意味を伝達もしない。ただ繰る。
「赤ちょうちん」の貧乏の数え歌は、描写というより陀羅尼の構造をしている。狭い音域をぐるぐる回るあのメロディの循環は、わらべ歌の旋律にも似ているが陀羅尼の繰りにより近い。読経の身体は放っておくと「歌う」ことより「誦する」ことに重心が落ちる。こうせつの場合、それが身体化されたハビトゥスとして文字通りそうなのである。
「像」ではなく「目録」
「赤ちょうちん」の歌詞は記憶の歌である。にもかかわらず、絵が浮かびそうで浮かばないという奇妙な質感が残る。並ぶのは物だ。裸電球、貨物列車、おでん、キャベツ、公衆電話の箱、屋台、サンダル。普通の記憶の歌であれば、これらの物は情景を構成するために配置される。だが喜多條の書き方ではそうはならないのであった。物は情景に組み上げられず、ただ並列されている。これは「像」ではなく「目録」なのであった。
たとえば伊勢正三の「なごり雪」であれば、駅と汽車と雪を見ている姿勢が情景として設計されている。あの歌詞は静止画として時間を止める像の身体に対応する。感情を直接は言わずに情景の設計だけで別れを定着させてしまう書き手の作法であって、小津安二郎や北野武の描かないことで描くエリプシスと同じ系統にある。
だが、「赤ちょうちん」の物の並びはそれとは違う。設計されていないのだ。配置の論理が情景ではなく目録の論理で動いている。これは陀羅尼の語列に近い。物が物のまま列挙されることで「像」になることを拒んでいる。記憶の歌でありながら「像」を所有することを拒む。「読経の身体」はこの目録の構造として現れている。
「赤ちょうちん」という持続
ではここで、なぜこの歌のタイトルが「赤ちょうちん」なのかを問う必要がある。歌詞内に並列される物のひとつにすぎないはずの赤ちょうちんがなぜタイトルとして格上げされているのか。
赤ちょうちんは歌のなかに2度登場する。1連目では「赤ちょうちんに誘われて」、3連目では「赤ちょうちんも濡れている」として。裸電球、貨物列車、おでん、キャベツ、公衆電話の箱、サンダル。これらの物がすべて「あの頃」の記憶のなかに過去形で置かれているのに対し、赤ちょうちんだけが「今でも時々」の現在においてもまだそこにある。雨に濡れて、屋台の前で、夜ごとに灯っている。物の目録のなかで時間を超えて持続するのは赤ちょうちんだけなのである。しかも「あの赤ちょうちん」ではない。ただの「赤ちょうちん」である。特定の店、固有名を持った場所ではなく、固有性をあらかじめ欠落させた物としてタイトルに置かれている。これは陀羅尼の一語と同型の構造だ。誰の何のためでもなく、ただそれとして繰り返される語だ。
屋台の赤ちょうちんはもう一つ重要な性格を持っている。移動式である。毎晩出ては引かれ、出ては引かれ、雨が降れば濡れ、客が引けば消える。同じ場所、同じ時間、同じ赤い灯、しかし毎日違う夜。これは読経の繰りの構造そのものなのであった。坊主が毎朝勤行をするように、赤ちょうちんは毎晩点される。語り手も、別れた相手も、出会いも、別れも、すべて流れていったが、赤ちょうちんだけは夜ごとに同じ場所に出るという作法において、なお持続している。一点に集約する一行を拒む代わりに一つの持続する物に歌の全体を引き受けさせるという別の集約の様式である。タイトルそのものがすでに、読経の身体の構造を持っているのであった。
別れた相手を「像」にしないために
2連目の真ん中に思想がひとつだけ混じる。「生きてることはただそれだけで哀しいことだと知りました」。生活描写の中に置かれた抽象的な人生命題だ。普通の作詞家であれば、これを核として立てて屹立させる。喜多條の詞は実際そう書こうとしている節がある。だがこうせつの身体はこれを核にしない。「ました」の繰りのなかに、他の「ました」と同じ位置で置いてしまう。哀しみの認識が「おでんを沢山買いました」と同じ語尾で語られる。詞と声の双方が即時的に意味を吐き出すことを拒否している。
そして歌の終わり、3連目では別の操作が走る。「屋台にあなたがいるような気がします」「ひとりでいるような気がします」と「気がします」が反復される。確信ではない。「気がする」は判定をしないという宣言である。あなたが屋台にいる、ひとりでいる、どちらも気がするだけで語り手は断定をしないのであった。別れた相手が背中を丸めてサンダルで屋台にいる「像」が浮かぶがこれは現在の「像」ではない。語り手の想像なのであった。
語り手は別れた相手の現在を知らない。記憶の歌でありながら記憶を保有することを拒む。これが「赤ちょうちん」の遅い身体の最深部だ。
語り手は別れた相手のことを語っているのに過去を物の目録として語尾を繰り続けることでなお保持する。意味を所有することを拒みながら意味の手前で持続する。すなわちこれが「目録と気配で持ちこたえる身体」である。流速のなかで意味を即時に吐き出すことが要請される今の時代において、別れた相手すらも「像」にしないという作法、思い出を所有しないままに保持する作法はほとんど政治的な選択だと言ってもいいのであった。
