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[歴史オタクの独り言1]土方歳三=五稜郭って正しい歴史認識なの?


私が、この疑問を思ったのは、友達のある一言を聞いた時。「五稜郭、わーい土方歳三、アッツ」みたいな感じの歴オタ女子の発言。一見、正しいし、ファンの心を純粋を表したものに感じるかもしれませんが、限界オタクになると話は別物。今から少し書くことを読むと、あなたの土方歳三観が変わるかもしれませんね。たくさんの誤解が生まれそうなので、書いておきますが、必ず最後まで読んでください。途中だけ切り取らないで!!


私の疑問の真相


さ、なぜここで限界オタクたちが疑問を感じるかっていうと、そもそも五稜郭を設計したのは、ストーブの考案でお馴染みの武田斐三郎でありますし、建築したのは、江戸幕府。だから、土方なんて何ら建築時には、関係もなく、ただ江戸幕府の遺物を勝手に榎本武揚率いる蝦夷共和国の輩が用いただけなのです。だから、五稜郭=武田斐三郎というのが最も適当だと思います。まあ、そもそもを辿れば、五稜郭の設計思想の根幹である星型要塞という概念を発明したのは仏のヴォーバン。
「ヴォーバンなしに、星型要塞がなし。これ無くして、武田斐三郎による五稜郭もなし」なのです。まあこのくらいで五稜郭自体に対するチャチャ入れはやめて…他のことにもチャチャ述べていきたいと思います。
また、総大将、実質的に五稜郭にいて、国家としての役割の中心を担ったのは、榎本、よって、榎本=五稜郭=蝦夷共和国の首都と考えるのは妥当でしょう。土方も一緒にいたじゃんとおっしゃるかもしれませんが、彼は、今でいう陸軍大臣のポストに値し、政治的な権力を保持していたとも言えません。軍事面だけですし、次の章で述べますが、五稜郭では戦っていないので言い切れないと思います。

土方歳三は本当に五稜郭において、死んだのか?


正確に言いますと、五稜郭の前哨基地とも言える一本木関門で銃弾によって息を引き取ったのであります。だから、五稜郭で彼が死んだというのは、ある意味で誤りかもしれません。(まあ、前哨基地も含めて五稜郭と呼称するなら別として)せめて五稜郭に関する戦いで戦死したと認識しておくのが最善でしょう。もう一つの解釈としては、彼の戦死後、遺体は、五稜郭の中に遺体は埋葬された(戦死者の群墓)とも伝わっていますから、五稜郭の一部となったと考えるのはアリかもしれませんが、くれぐれも五稜郭で死んだとの誤解はなきように。まあ、他の場所にある土方単体の墓を、正式な墓と考える人は、この考えは使えませんけどね。また、ここからは、甲鉄船を奪うのに失敗した時点、或いは、開陽丸が沈んだ時点で、五稜郭に籠城していたらどうなっていたのかということ、つまり歴史のifを少しだけ考えてみようと思います。開陽丸を失った時点で蝦夷共和国持ち合わせているのは、五稜郭及び幕府の浪人、これだけです。圧倒的不利な状況にはありますけれども、本気で五稜郭に篭れば、新政府軍といえども、そうは簡単に落とせるわけがありません。いくらアメリカから甲鉄船を買い、その大砲が五稜郭に届くようになったとはいえ、接近戦(陸上戦)において、あの十字砲火の嵐を喰らって攻め落とせる軍などそうそういません。また、土方は、ある程度の知将でもありましたから、彼が本気で防衛したら、新政府軍はなかなか太刀打ちできなかったでしょう。新政府の中にも、榎本を生かしておいた方が今後のためになるという論調が少なからずありましたから、新政府軍は、降伏に追い込むことを目的にしており、滅ぼすことは目的にしていなかったでしょうね。まあこのシナリオ通りに行けば、土方は戦後に生き延びられたものの、後世まで名は伝わらず、悲劇のヒロインとも冒頭にお話ししたようなファンも生まれなかったでしょう。確かに、写真で顔がイケメンな池田長発、新政府軍に殆ど唯一勝った酒井玄蓄なんて顔も名前も一般人に知られていないでしょう。

土方は本当に幕府に忠実と言えるのか?


少し、本題から、話はそれます。
何を言っているんだとファンから叱られそうですが、説明していきたいと思います。幕府の存続がいつまでかというものに議論の余地はありますが、ここでは、戊辰戦争のことを考慮して、江戸城無血開城までとしたいと思います。(一般的には、大政奉還までですが。)ここからの土方の動きを追って見ると、“幕府再興を夢見る”、もしくは“幕府政治の時の利権が手放せない”連中の集まりである奥州列藩同盟に従い、転戦をしていくわけです。この時は、まだ一応、仲間と共に幕府再興に向けて戦っていますので、見逃しますが、問題視したいのは、蝦夷共和国を建てた時点ですね。(まあ後述しますが、情勢的に、奥州戦線では勝ち目がないんですよねー、彼の夢である幕府再興も果たせないし、不可能なのは、彼が一番わかっていたはず。)何が問題っかって、名目上は、幕府再興と掲げていますが、かわぐちかいじ先生の「沈黙の艦隊」でいう「ヤマト」状態になっているんですよね、つまり、本来、仕えるべき徳川家がいる、今はなき幕府ではなく、別の独立国家に仕えてしまっているということですね。また、彼が所属している(た)新撰組というものの源流を辿れば、14代将軍家茂が上洛する際に、将軍の警護を目的に創設されたもの、だから、目的が途中で変わっているということでも、一貫性がないですよね。(時流だからしょうがないと言われたらそれまでなんですけどね。)まあ、上記に記した問題よりはよっぽど軽いんですけどね。見方によっては、正当化できますもん。けれど、土方が、幕府による改革に執着して、時代の荒波に苛まれた人物であるということは確かでしょう。また、上記の記述では、江戸城無血開城をした時点で、幕府の終了と解釈しましたが、王政復古が出され、朝廷から幕府残党が朝敵だと認識された時点で、土方等は、賊なんですけどねー。(この時代に、勝てば官軍、負ければ賊軍という諺も生まれました。)もうこれを言っちゃったら、本当に元も子もないので、先ほどは控えましたが、一応記しておきたいと思います。それでも、人間という生物は、負けている方を応援したくなる生物ですので、そこには目を瞑ってあげましょう。
 【余談】幕府に本当に忠誠を尽くすってなら、堀直虎が鑑だと思うんですよね〜みなさんは、どう思います?

最後に

少し、土方のことをボロクソに書いた節はありますが、ここでしっかり言っておきたいことがあります。決して、土方を私が非難しているのではなく、誤った歴史認識について強く非難しているだけなのです。調べてない人々にも責任はありますが、問題なのは、誤情報を広めたメディア、書籍、教科書!!!私個人の見解といたしましては、彼は、剣の実力があったのでなく、新撰組屈指の知将であって、部下想いの素晴らしい人物であったと思っています。しかしながら、間違った情報、考えが広がるのは大変遺憾ですので、こういう記事を書かせてもらった次第。また、この土方=五稜郭の議論は、解釈の仕方によっては、そうとも捉えられるので、良いのですが、どんなに頑張っても間接的になってしまうので(一体論は例外)、的確とも言い切れないでしょう。これ等をわかった上でこういう発言をなさっているのであれば、なんら問題ないのですが、分かっていなく、直接的な意味として言っているならば、それは限りなく誤りに近く、武田斐三郎、榎本武揚のほうがよっぽど適切でしょう。土方をはじめとして、歴史にのめり込んできてくれるのは、私たち歴史ファンとしては大変ありがたいことですし、嬉しいことでもあります。ファンである人は、そのままファンであり続けて欲しいし、新たに歴史ファンが増えて欲しいと切に願うばかりです。皆様には、是非、自分の知っている情報が最新のものか確かめて、誤情報を広めないように努めて欲しいです、私もまだ未熟な身ではありますけれども、これからも世間に正確な情報をお届けできるように努めてまいりたいと思います。


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