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線香花火|シロクマ文芸部

砂浜で夜の潮風に吹かれていると、思い悩んでいたことが一時、遠くへ吹き飛ばされていくような気がした。ビーチには穏やかな風が吹きつづけていて、時折勢いづいた風が通り抜けていった。
舞子と直樹はドライブをしていたが、直樹が「そういえばトランクに花火がある」と唐突に言い出したので、それなら夏の思い出に海でやりたいと舞子が言ったのだった。
ビーチの駐車場はなぜか開け放たれていて、すでに10台ほど車が停まり、暗い車内には人影がちらついている。
ふたりはトランクにあった花火を持って車外に出た。駐車場の街灯は少なく、舞子は歩きながら、暗闇で響く波の音は不気味ではないだろうかと不安になったが、隣に直樹がいるなら大丈夫だと自分に言い聞かせてビーチへ向かった。
ビーチのまわりには木々が植えられていた。その木々のあいだを通って砂浜に出たふたりは息をのんだ。先程までかかっていた雲が右から左へ流れて明日か明後日には満月になりそうなぽってりと丸い月が顔を出したからだった。月が出ると夜の海の表情は一変した。紺色の海をなでるように絶えずゆっくりと白波が寄せては返し、海も空も砂浜も一枚の名画のようだった。

「この辺にしようか」
弓なりに湾曲した砂浜の真ん中あたりまで来たとき、直樹が言った。砂浜の奥からは数名の若い男女の声がしていた。暗闇の中に動く人影が微かに見えたので舞子も立ち止まると視線を落とした。花火の台紙にはスペシャル手持ち花火セットと書かれていた。
「これと、これにしようか?」
舞子はスパークル花火と線香花火の2種類を指差した。
互いに若ければすべての花火に火をつけ楽しんだかもしれなかった。しかし舞子も直樹も社会人で、しかも人目を忍んで会っている身でもあり、ごく当たり前に控えめに楽しむことを選んだ。
「全部できないのは残念だけど」
と直樹が言う。
「大丈夫。私、色付きのうるさい花火より、金色のシンプルなものが好きだから」
そう舞子が答えると、
「あ、それ分かる。打上花火の菊花火、カラフルなものより金とか銀とか白っぽいやつが風情があっていいなって俺も思う」
と早口で答えた。そう話す目元と口元には笑い皺が刻まれている。嬉しかったり気持ちが高揚すると早口になってしまうのは直樹の癖だった。

さっきコンビニで買ったばかりのライターを直樹がポケットから取り出したので、舞子はスパークラー花火をふたつ手に持ち、火をつけてくれるのを待った。最近のライターは点火スイッチが固く作られている。火を点けるのに「おかしいな」と直樹は何度も苦笑した。
ようやく火がつくと、スパークルの先から銀の針がこぼれだした。無数の星屑が暗闇に現れては消えていった。花火が爆ぜる瞬間の鈍い音がふたりの間に満ちていく。時折、互いに相手を見たが、視線は交わらなかった。
しゅっと小さな音を立てて花火が消えるともう一本、また一本と火をつけていく。手元ではじける火花を見ながら、きれいだね、とそれぞれが独り言のように口にした。あっという間にスパークルの花火はなくなり、線香花火に火をつけると、なぜかどちらも黙ってしまった。
舞子はふと、橙色の淡い光を顔に浴びた直樹を見た。一文字に結んだ唇には力がこもっていて、火玉をみつめる目には険しさが漂っているように見えた。スパークルの花火をしている時の微笑みは消えていた。
もともと今日会うという予定はなかった。夕方過ぎに舞子が会いたいと連絡をしたら直樹はすぐに予定を合わせてくれたのである。
舞子は今直樹が家族のことを考えているのではないかという気がしていた。この花火も自分とやるためにトランクに積んでいたものではなく家族と楽しむために買ったのだ。その証拠に数本の花火が台紙から剥がされていた。
舞子はそっと直樹との距離を詰め、頬にキスをした。近づいたことにも気づかなかったのか、直樹が驚いた顔でこちらを見た。
「どうしたの?」
「うーん。なんとなく」
おどけた口調で舞子が言うと、そうかと苦笑して表情を緩めた。直樹が花火に視線を戻すと同時に線香花火が落ちた。
「あ、落ちちゃった」
まだあったっけ?と聞かれ、あるよと差し出す。すべての線香花火が無くなると舞子は聞いた。
「家族のこと考えてたでしょう」
「いや、そんなこと…」
直樹は焦ったように否定した。その慌てた表情がおかしくて、
「いいのいいの」
と笑った。
使い終わった花火の軸を拾い、舞子は車のある方向へ歩きながら出来るだけいつもの声の調子で言った。
「私達、そろそろ別れようか」
舞子は自分の口からその言葉が出た瞬間、不安や喪失感が勢いよく押し寄せてくるのを感じた。それと同時に、なぜか自分の口元に微笑が浮かんでいることに驚いた。
後ろで歩を止めたのか直樹の気配を感じなくなったが、歩調を変えずに歩いていると早足で駆け寄ってくる音がした。
「どうしたの急に。俺、何か傷つけることしちゃった?」
舞子はようやく足を止めると力なく首を振った。
「今日だって、急に会いたいって言ったのに直樹は来てくれたでしょう?そんなんじゃないよ」
直樹は腑に落ちない様子で暗闇に視線を泳がせていたが、何か思い当たったように舞子を見た。
「もしかして、いい人が現れた、とか…」
それなら、と沈んだ声で直樹が言いかけた時、舞子は大きく首を振った。
そうだ、と答えたほうがお互いにとって良いと分かっていた。でも舞子はそうすることができなかった。これは舞子の子どもの頃からの癖で、小さなことなら上手に嘘がつけるのに、大きな嘘はつくことができないのだ。正直と言えば聞こえはいいが、相手のためではなく、自分自身がその嘘に耐えられないのだ。
「今も直樹のことが好き、とても。だからこんな関係をいつまでも続けるのはダメだと思うの。それに…今はあなたが一番。でも…たぶん私は、それを永遠には信じきれない」 
「それは…そうだね…」
力なくまた歩き出した舞子の目からは拭っても拭いきれない涙が頬を伝い落ちていった。
突然、舞子は後ろから抱きしめられた。
「ごめん、こんなに君は素敵なのに…どっちを選んでも傷つくような付き合いをしてしまって。僕のために別れてくれるんだろう?」
こんなに強く抱きしめられたのは初めてだった。直樹の腕にこもった力を肩に感じながら舞子は喜びよりも驚きのほうが大きかった。
舞子はしばらく黙っていたが、胸の前にある彼の手を握り、正直な気持ちを話そうと思った。
「そうかもしれない…一緒にいたら分かるの。直樹が奥さんと子どもを大切にしてるってことが」
舞子は直樹の腕をゆっくりと解き、向き直って言った。
「そんなあなただから好きになったの。それに最初に誘惑したのは私のほう。だから自業自得」
「だけど…」
ふたりは車が見える場所まで歩いてきていた。とりあえず車に乗ろうと舞子は言った。

車のエンジンをかけるとデジタル時計が23時過ぎを示していた。直樹はゆっくりと車を発進させ舞子のアパートへ走らせた。
夜に会う時には0時までに直樹が帰宅できるように別れるのが常だった。それは、残業後にファーストフード店で仕事を片付けていたということを口実にしているからだ。
アパートの前に車が停まり、フットブレーキの音がやけにぎこちなく響く。
舞子は自分の携帯を鞄から出し「直樹も出して」と言った。それから、ふたりで撮った写真やこれまでのトーク履歴を消していった。いくつかの写真は削除する手が止まってしまったが、勢いで消すしかなかった。そして、最後に互いの連絡先を消去した。
データが消えていく度、舞子の心には心細さが募っていったが不思議に気持ちは揺るがなかった。突然別れを切り出されたにも関わらず、直樹も今このタイミングを逃せば別れられないと思っているのか、舞子の言うとおりにした。

ふたりで過ごした時間を証明できる記録がないという状況に置かれた時、今彼が目の前にいるということだけが確かな繋がりだった。
この車を出れば彼と私の接点はもう存在しない…そう強く思った途端、舞子は彼の唇に自分の唇を押し付けていた。同じように直樹も彼女を求めた。涙で彼の顔は見えなかった。息が苦しくなると互いの額や頬を合わせた。それからまた感情任せに唇を重ねた。しばらくそれを繰り返していたが、どちらからともなく唇だけがゆっくりと離れていった。そして相手の頬や肩に触れていた手もぎこちなく解けるとふたりの間に距離ができた。
「私自信が持てたんだと思うの。あなたみたいな人に大切にしてもらえて。私も真っ当な幸せをつかめるかも、って」
「そんなの…当たり前じゃないか。僕のおかげなんかじゃ」
「もしいつかどこかでばったり会ったりしたら、その時はお茶してくれる?」
その問いに直樹は大きく2度頷き、もちろんと言った。
「ただの知人としてよ」
直樹は少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情になると分かったと答えた。
舞子は微笑んで彼に手を差しだした。そして握手をするように手を握り、しばらくゴツゴツとした乾いた直樹の手の甲をを親指で撫でていたがすっと手を引き、そのまま助手席のドアを開けた。
夏にしては夜風が少し冷めたかった。腫れた目に風が沁みた。
「もう誰かを泣かせるような恋は、しないでね」
「分かってる。君が最初で最後だ」

彼の車に背を向けた瞬間、身体中の水分が涙になって溢れ出すような感覚に襲われた。頬を伝った涙は夜風に冷やされてアスファルトに落ちていった。それは最後にふたりで砂浜に落とした線香花火の雫によく似ていた。

#シロクマ文芸部
#砂浜で

読んでいただきありがとうございました!
小牧幸助さん、素敵なお題をありがとうございます♩

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