息、粋、域、意識、一式、救済、二十九歳
タイミーでアートギャラリーの監視員として働くことになったので、六本木の小さな美術展へ。
このアートギャラリーの企画は、韓国の有名な写真家と日本の有名な写真家がコラボし、「花」をテーマに各々の国の有名なモデルや俳優を被写体として撮影した写真展であるらしい。
日本と韓国のタレントがそれぞれ3人ずつ、計6枚の大きな写真がギャラリーの壁に展示されており、フロアのど真ん中には赤と白の薔薇を大量に積み重ねて作られた、バランスボールほどの大きさのリンゴを模したオブジェが設置されている。
そして、今回の俺の主な仕事は、このりんごのオブジェに何人たりとも触れさせないこと、それだけである。と思えば、こんなものは超イージーなはずであるし、たまに美術館へ遊びに行く時なんかは、そういう監視員のようなスーツの人々を目にしては、「美術品の中で突っ立ってるだけの仕事、ええなあ」と思ってたけど、実際にやってみると、つったってるだけなの、めちゃくちゃしんどい。
ずっと1人やから喋りもできへんし、常にピシッと立っておくようにとも言われているので、あんまウロウロもできへんかったから、たぶんこの度はなおさら。
それゆえに、お客様に質問などで話しかけられた方がだいぶ楽。というか、よくぞ声をかけていただきました。みたいな気分になった。
俺は今までは、美術館とかって静謐で荘厳な場所なので「これ写真撮っていいんですか?」とか「トイレどこですか?」とか、自分でちょっと調べたりちょっと歩き回ってみればわかりそうな質問をスタッフの方にお伺いするのは極力控えてきたのだけれども、実はガンガン声をかけてしまった方がお互いにとっていい可能性もあるのかも知れないなと、発見。
ちなみに、被写体となっている韓国のタレントの内訳は、どうやら、ベテランイケメン俳優が1人、現役K-POPアイドルの男性が1人、人気ガールズグループの元メンバーであるJung Chaeyeonが1人という構成になっているらしい。また、日本のタレントの内訳は、人気イケメン俳優が2人、ベテラン実力派女優が1人という構成であり、お客様の8割はシニア層の女性である。であるからして、むやみにオブジェに触れようとする人もまあいないので、もはや俺のやることはといえば、たまに来るお客様の質問に受け答えすることだけなのだ。
また、事前に社員の方からよくある質問に関する説明は受けており、トイレや物販の場所、再入場が不可であること、写真撮影が可であること、出入り口の動線などの案内は当然のように受け答えできるので、唯一の問題は想定外の質問が飛んできた時のみなのである。
まあ、それにしても、どうしても確認が必要な場合はインカムで本部にいる社員に聞けばいいだけなので、あえて、悩みどころがあるとするのならば、「これはインカムで聞くほどのことなのか、そうでもないのか」という一瞬の逡巡ぐらい。
例えば、「リンゴの薔薇は造花ですか?写真の花は本物ですか?」という質問があった。これに関しては待ってましたと即インカム。というか業務中に一回ぐらいはインカムを使っとかないと、社員の人に「さてはこいつ、めんどくさがってインカム使わへんやつか」と思われる可能性を潰せないわけなので、ほんまに感謝。そして、「写真は全て本物の花を使っていますが、オブジェはそれを再現した造花です」とそのまんま答える。
「このリンゴのオブジェはどっちが前とか後ろとかあるんですか?」という質問には、実際の答えは知らんけどなんか、ギャラリーのどこから見ても均整のとれた薔薇のリンゴゆえに、見た感じ絶対に前後とかはないし、インカムで聞くほどでもない気もしたから、「ありません」と答えた。
次から次へと人が集まっては、写真を写真に収めていく。
写真の中のかっこいい日本人たちや韓国のイケメン達が、パシャパシャと撮られるのを見るたびに、なんだかどんどん偽物みたいに見えてくる。なんというかその人達の色気が徐々に削ぎ落とされていく感覚。
その中で、Jung Chaeyeonだけが、いまだに1枚も写真を撮られていない。でも、それゆえに、真っ直ぐな瞳と威風堂々たる姿勢で立っている彼女は、凛としたままの色気を保ち続けているようにも見える。お客様のスマホの画角に映り込まないように、映り込まないようにとしていると、いつのまにか自ずと俺のポジションも彼女の隣に落ち着いている。
「人気ないね、あんた」と俺が話しかける。
「韓国での開催の時は私が1番人気よ」とJung Chaeyeon。
「何か聞きたいことはある?なんでも答えるよ」と彼女はいう。
「マジでなんでもいいんですか?」と聞くと「質問してくれたほうが嬉しいからね、その気持ちはわかるでしょ?」と彼女は答えた。
「写真でいるってどんな感じ?」
「鏡を見つめるときと似てるかな。ただボーッと自分を見ている感じ。」
「カップ焼きそばを湯ぎりしててさ、薬味のキャベツとかがちょっとだけお湯と一緒に出ちゃうの、だるくないっすか?」
「カップ焼きそばの薬味は乾麺の上にふりかけるのではなくて、まず最初に乾麺の下に潜り込ませてからお湯を入れたら全て解決するよ」
「ハンバーグをこねる時の、手のべちゃべちゃを綺麗にとる方法ってある?」
「手を石鹸で洗う前に、大さじ1/2~1ぐらいの砂糖で手をゴシゴシすると綺麗にとれるよ」
「二日酔いを早く治す方法ってなんか知ってる?」
「それはタマネギね。タマネギに含まれるケルセチン配糖体が二日酔いに効く。もちろんインスタントのオニオンスープとかでもいいけど、そもそもタマネギを切って涙を流すこと。これも結構目と脳みそがスッキリするからオススメ。涙の方の科学的根拠は正直知らんけど、まあ気分的には一石二鳥」
「田舎って漢字の読み方、だいぶ無理ない?」
「元々の語源は、田居中(たいなか)と呼ばれていたもので、その語頭の「田」が省略されて「いなか」になり、そこにそのまま「田」と「舎(いえ・やど)」の漢字が当てられたのよ。省略でいうと、ネギマと同じ感じね」
「ネギマは葱と間じゃないの?」
「ネギマは江戸時代に葱と鮪で作られていた葱鮪鍋(ねぎまなべ)が、略されてネギマになってるだけよ」
「ネギトロも?」
「いや、ネギトロは鮪の骨の周りについた身をねぎとって作るからネギトロと呼ばれているだけで葱は関係ない」
「人生って意味あるの?」
「ある。全ての人生に意味がある」
「でも生きてる意味がわかんなくなる時ない?」
「生きてる意味と人生の意味はまず別物。生まれることと死ぬこと自体に、どんな意味でも、絶対に意味は発生するから、人生には意味がある。ただし、その間を生きることこそが、問題であり困難なことなのは確かにそう。生きてる意味においては、意味を、単に意味や理由として捉えるのなら、その内容は人それぞれに見つけるものよ。ただし、意味を、価値として捉えるのなら、全ての命に、平等に生きる価値はあるので、生きてる意味はあるといえる。なぜなら、人生は夢だらけだから」
「椎名林檎?」
「椎名林檎」
「ここ5年ぐらいの話だけど、あんなに有名だったすごい人たちが死んじゃって、それでも今はすっかり忘れ去られている気がしてて。志村けんとか上島竜兵とかりゅうちぇるとか。現代の流れが速すぎるのかもしれないし、俺だって忘れてしまっている人もたくさんいるんだけど。それも含めて、たまになんだか、とっても切ない。つまり、生きてる人だけが、世の中に意味があるみたいじゃないですか?ことさら、エンターテイメントにおいては。いや別に、俺が生きたいとか死にたいとかじゃなくて、ただ、今死んでも結局、何も残せない気がする。もうすぐ30歳になる」
「年齢は何歳でも関係ないよ。2歳でも8歳でも14歳でも29歳でも、86歳でも。問題は、生きているか、生きていないか。それだけなのよ。残念ながらそういう点では、死んでしまったらもうどうすることもできないのは確かだし、死んでしまった人が自分からこちら側を認識することさえできないのかもしれないから。とにかく、生きているうちに、どれだけ生きていられるかということが大切で、私だって、現状維持で満足しているわけではないのよ。たとえ写真の状態だとしても、このままで終わる気はないわ。だから私は、生きているの」
「それでも、生きてる理由の方って、突き詰めようとすればどうしても曖昧になっちゃうか、喪失してしまう時があるんだけど、それって考えすぎたらダメ?」
「考えすぎる。という言葉は世の中には存在しない。ただ、考えまくる。という言葉はあるから、ただ、考えまくればいい」
「疲れない?」
「そもそも、理由なんて人それぞれなんでもいいんだから、考えるのだってある程度で切り上げても自分の自由なのよ。特に、理由について考えることなんて、誰かに強制されるものでも正解があるわけでもない。ただ、疲れてるんならやめればいい」
「aiko?」
「aiko」
「俺はたしかに世の中を恨んでしまう時はあるんだけど、いつだって人間は愛しているんですよ。それはほんとなんですよ。たとえば、世界で1番不幸な人は誰なんですか?」
「こんな話がある。とあるところに自分は世界で1番不幸だという男がいた。その男の元に悪魔が現れる。悪魔は一つだけなんでも願いを叶えてやるという。男は、俺のこの不幸な気分を地球の全員に喰らわせてくれという。悪魔はその願いを叶えたぞといい、姿を消した。そして、実際にその願いは確実に叶えられたのだが、世界は、何も変わらなかった」
「言いたいことはわかるけど、それなら結局、各々が自分の不幸に向き合って頑張りましょうっていう努力の推奨と自己責任論にすぎませんか?」
「いや、他人を下げて自分を保とうとすんなって言ってんの」
「いや、とはいいましたけど、常に、自分の居場所ではないところに、行くこと。手の届かないものを目指し続けること、怒りに打ち震えること。それは尊いものではないのですか?」
「そういう自分が好きならそうすればいい」
「向上心のないやつはバカなんじゃないの?」
「夏目漱石?」
「夏目漱石」
「いや、こんなものは小学生の頃からシンプルな話で、人のことをバカっていうやつがバカなだけで、そういう想像力のなさが問題なのであって、しかも、漱石のその言葉は他人に使うものじゃない」
「結局、足りてないのは単純に努力と能力で、自分は人より性格が悪くていちいちいろんなことにイライラしてるだけの人。そういう偽物。そんなやつのまま、終わらんように、したいんだけど。ならいっそ教えてくれませんか?この仕組みの深さを破壊する方法を」
「閃光のハサウェイ?」
「閃光のハサウェイ」
「ただ、世界の役に立ちたい、それはほんとなんですよ」
「それが理由になれば、こんなに嬉しいことはない。帰れる場所があるんだと思えると思えると思うから」
「だから、そのためにもとにかく誰かに聞いて欲しいから」
「一応、だからこうして、あなたは喋り出したんだけど」
「取るに足らないアイデアだよな」
「こういう保険をかけるのも申し訳ないが」
「ともかく、だからいつも悪いのは、脳みその機能じゃなくて、俺か、俺の、世界に対する態度なのだ」
「つまりは、嵐になりたい。きっと本当は嵐になりたかっただけなんだよ、俺は」
「嵐?」
「嵐」
「You are my SOUL! SOUL!の?」
「You are my SOUL! SOUL!の!」
ここで、社員から「時間が来たので上がってください」とインカムで連絡が来る。
家に帰る途中で、Jung Chaeyeonさんを調べて、YouTubeでJung Chaeyeonさんのインタビューを聞いてみる。
思ってた声と、全然違った。
