第二の人生晴朗なれど波高し~川村記念美術館(佐倉市)PONGIへ・感謝を(ToT)/~~~
2025年1月9日
DIC株式会社による当館の運営に関する最終報告
当館の運営母体であるDIC株式会社は、今後の美術館運営の検討状況について、8月27日付で中間報告を行うとともに2024年12月までに結論付けることを発表しました。
今般、その後の検討結果を踏まえ、2024年12月26日開催の取締役会において、今後の美術館運営に係る方針を以下のとおり決定し、最終報告として発表致しましたことをお知らせいたします。
(1)美術館運営の継続を前提に、美術館の規模を縮小して東京都内に移転することを最終方針として実行する。
(2)当社単独ではなく、公益性の高い団体と連携して美術館を運営することを前提に、特定の団体の保有する施設への移転に向け交渉を進め、2025年3月末までの最終合意と正式発表を目指す。
(3)佐倉市の現美術館については2025年3月31日を最終営業日として4月1日から休館するが、休館後の地域住民による庭園や周辺施設の継続的利用等の可能性について、佐倉市と誠意をもって協議していく。
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/collection-current/
~公式WEBサイト
作品との親密な出会いのために
川村記念美術館の、建物の解説の中に上記の言葉がある。
設立者である川村勝巳(1905-1999)は、大日本インキ化学工業(DICの旧社名)創業家の2代目社長として、多忙な仕事の合間、絵と語らう時間を大切にした人だった。その喜びを人々と分かち合う為、美術館構想を抱き、1970年代に作品収集を本格化させたそうだ。
(私は時代の巡り合せに、人生の節目を振り返り、感謝を捧げる。)
そのお気持ちのお陰で、あり得ない程の「贅沢な出会い」をさせていただいた。
1990年、川村記念美術館が、ご近所の森の中(里山)、約3万坪の広大な敷地の中にオープンした。
同じ年、私は第一子を妊娠・出産した。9月末が、出産予定だった。
安産の為に歩くことを勧められた私は、夏の産前休暇中、ほぼ毎週この美術館に出かけた。贅沢極まりない「胎教」であった。
おかげで、子供は絵画と色彩が大好きになり、自治体の小さな賞を二つばかり頂き、親を喜ばせた。
クロードルノワールの肖像
妊娠中の私の楽しみは、「クロードルノアールの肖像」の前に5分は立ち、その後少し下がったソファで、お腹の子と話しながら、遠目にこの絵を観ることだった。緑色の背景に、可愛い桃色の頬の赤ちゃんは白いスモックを着て、左向きの横顔。
本物は、Webで観るよりさらに愛らしく、こんな小さな赤ちゃんがじっとモデルになるはずもないのに、抱き取りたい位にリアルで、赤ちゃん独特の甘い香りまで漂ってきそうな気がする。画家の父としての愛情の深さが、温もりとして伝わってくる。
父・ピエール=オーギュスト・ルノワールによって1902年に描かれたこの作品は、川村記念美術館の所蔵で、作品の寸法は【縦31cm、横40cm】(とのサイトが多いがどう思い出しても縦長…のはず…自分の記憶に不安の募る年頃でどうも…)。今回会えなかったので、美術館が東京に移り展示室が少し小さくなっても、会いたい❣
壁のたくさんの絵に囲まれ、(係員さんと)自分一人だけでその部屋にいた記憶があり、深く深く感謝する次第。
モネ『睡蓮』企画展
忘れがたく思い出すのは、2002年2月20日(水) - 4月14日(日)に開催された、モネ「睡蓮の世界」展である。
当時、世界最多とも言われた程の企画展で、彼が生涯に描いた250枚とも言われる『睡蓮』のうち、確か約100枚の『睡蓮』の絵を集め、第一期から第三期(モネ50歳~86歳)に至るまでの、モネの人生そのもののような絵(二度の結婚、妻子の死、白内障による失明に近い状態、手術後の大作)を、学芸員さんの《語り》で聴き、すっかり魅せられた。
圧巻であった。
ルアーブルというセーヌ川の河口の港町で育ち、「日本美術愛好者の集い」の会員であったモネは、50歳頃から自分の思う「日本風庭園」を造り、ひたすら水面に浮かぶ睡蓮をあらゆる色の光で描いた。
私を含む、多くの日本人は、水に近く育つ(山にも近いのだろうが…)。だからこそ、日本人はモネが好きなのかも知れない。モネの睡蓮池をそっくり再現した庭も高知にあるそうだ。微妙な中間色が、水面に広がるモネの『睡蓮』は、日本のあちこちの美術館に収蔵され、そこの眼玉となっている。
川村でのあの体験は、それが私の子育て時代にあったことを、モネ自身と二代目社長への尊敬と共に、非常にありがたく思っている。
橋本関雪『木蘭』
お別れに行ったつもりが会えなかった、橋本関雪画伯(1883年~1945年)描くところの『木蘭』。
あのディズニー映画のムーランの漢字表記である。
私は、この美術館で橋本関雪と言う画家を知った。
橋本画伯の描くところの、『琵琶行』と『木蘭』が、長く川村美術館にあったことも覚えているが、二作同時に見たか、入れ替えがあったのか記憶があいまい。
《2018年春、白沙村荘に100年ぶりの里帰りを果たした》と、《白沙村荘橋本関雪記念館》のWebにあるから、7年前帰郷したのだと理解したが、それまでの経緯はわからない。
橋本関雪画伯は、儒学者の家に生まれて、漢籍に材を取った絵が多い。
経済的に困窮した時期に描かれた『琵琶行』。舟で出会った妙なる琵琶を弾く芸妓。長安の若く美しかった盛りの時を語り嘆く姿に、長安から左遷された自らを重ねて、彼女の演奏に涙にくれる白居易。その白居易に思いを重ねたかも知れない橋本画伯。絵の中に貧困の陰りがないのは、白居易もまた左遷を陰とはせず、画家もまた同様であったろうと推測したい。【一条帝、彰子、紫式部が愛読した白居易先生❣】
秋の森の大木の根に座り弓矢を置いて、柔らかな表情の軍装の女性、木蓮。右隻では2頭の白馬が(泉?の)浅瀬に立ち、一方に従者らしき男性が乗っている。
絹本裏箔著色。裏に金箔を貼った絹地に描かれたもので、作画として『琵琶行』と優劣はなく、それが却って互いを引き立てる二作の屏風。豪華絢爛でありつつ楚々とした気品に満ち、屏風全体は柔らかく温もりのある光に満ちている。
凱旋。いかにも戦いを終え、間もなく父母の家に帰り、軍装を解き、苦楽を共にした従者を夫とするのではという、自己流のストーリーを組み立てて、一人静かに見ていた、記憶。原作を知らないのが幸いだった。
橋本関雪記念館のある、白沙村荘というところが、川村美術館と対極をなして凄いという事も知った。
行ってみたい気もするが、行けば《京都》という事で、凄まじいインバウンドの荒波に揉まれそうで辛い。
あちらは、銀閣寺の目の前にあり、庭は国の名勝、重要文化財の仏像も有するというから、誇り高き京都人に対極とは…。
庭とベルヴェデーレ
川村美術館の庭。美術館を出てすぐの正面は、どこかヨーロッパの貴族の別荘に迷い込んだと、錯覚のできる壮大な景観である。
大池には白鳥やカモが泳ぎ、噴水もあり、対岸に森が広がる。対岸の樹木の間から、DIC総合研究所の屋根がのぞく。池を回り込むように、遊歩道があり四季折々の花が楽しめる。その奥には、スポーツを楽しめる施設。こちらは佐倉市がなんとか運営を続けてくれるようだ。
美術館の建物に寄り添うように、建物がある。
以前は、DICのライフサイエンスの研究成果のサプリメントが販売されたりしていた。
二階に公的なランチミーティングのできそうな「展望レストラン」があり、それがイタリアンレストラン・ベルヴェデーレだ。
やはり「閉館」と決まった時には、3月末まで予約はいっぱいだった。
残念。
あれも、これも残念。
さよなら、ありがとう。
東京・六本木への美術館移転のお知らせ 2025年3月12日
当館の運営母体であるDIC株式会社は、今後の美術館運営について検討を行い、12月26日付で規模の縮小および東京都内への移転を方針として発表しておりました。この度、DIC株式会社は公益財団法人国際文化会館との協業を発表し、協業内容としてDIC川村記念美術館の国際文化会館への移転を発表いたしましたことをお知らせいたします。
■協業の内容
• DIC株式会社と国際文化会館は、アート・建築分野を起点とする協業に合意しました。
• DIC川村記念美術館は、卓越した戦後アメリカ美術を中心とする20世紀美術品を所蔵しており、そのコレクションを中核に国際文化会館に移転します。
• DIC川村記念美術館は、所蔵するマーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉7点すべてを、国際文化会館が建設する新西館へ移設します。国際文化会館は、同館に建築ユニットSANAAが設計する常設展示室「ロスコ・ルーム」を開設します。
• DICと国際文化会館は、新設する「ロスコ・ルーム」を共同運営し、アート・建築の力によって民間外交・国際文化交流を推進する公益プログラムの充実を図ります。
• 上記の公益プログラムを充実させる上で、アート・建築界を代表する有識者・アドバイザーの諮問・協力を得ます。
• DICと国際文化会館はアート・建築分野を起点に幅広い連携を追求していきます。
以上 川村記念美術館公式HP発表よりコピー
