土づくりから学んだのは、挑戦を後押しする力の大切さ
我が家にはそれなりに大きな庭があります。「庭」というと、植物や野菜が植えられ、レイアウトが整っている様子を想像するかもしれませんが、現実的には「購入した土地の総面積から家の敷地面積を差し引いた場所」です。つまり、何もしなけりゃただの荒れ地でして。放置するとあっという間に雑草が生い茂り、自然の力に圧倒されるほかなくなります。
私はこの「庭」を手に入れて3年目の今年、ようやく草花や野菜を育てることを楽しめています。一昨年は家の中を整理することで精いっぱいで、明けた昨年はひたすら雑草を刈り、土を耕すだけで冬が訪れました。
私が想像していた庭づくりは、ふかふかでまっさらな土があるところからスタートするもので、苗を植えたらすくすく育って1年でいい感じになる……という安易なものでした。記事や動画を調べると、美しく整えられた庭の事例がたくさん出てくるので、「自分もそういう庭がつくりたい」とわくわくしていたのです。でも、実際の庭づくりは、それ以前の「土づくり」というヘビータスクから始まります。
土を耕すためには、ある程度雑草が少ない状態にしなければなりませんが、あっという間に育つ雑草との戦いは、終わることがありません。特に夏になると、雑草の成長スピードは加速します。厳しい日差しの中で作業できる時間が限られますから、早朝・夕方でなんとか一掃したいのですが、なんせ土地が広いゆえに対応しきれない。完全なマンパワー不足です。
なんとか耕せる状態になっても、今度は扱い慣れない鍬をふるうことに四苦八苦。ふだんデスクワークをしている私の腕は、ほんのすこしのエリアを耕しただけで動かすのがつらいほどの筋肉痛に襲われます。土は固いし、たくさんの小石が混ざっているので、一振りごとに予想以上のエネルギーを消費しました。
そんなこんなで心が折れそうになっていた私を支えてくれたのは、知人の紹介で巡り合ったOさんという方です。Oさんは草刈りを手伝ってくれたり、耕運機を借りてきて広範囲を耕してくれたりと、あきらめかけていた私の背中を押してくれました。
単純に作業を手伝ってくれたことはもちろんですが、「来年は〇〇を植えようね」「ここに〇〇をつくろうよ」など、わくわくする想像をさせてくれたことが、何よりも私の心に響きました。正直、土づくりをしている間は「そもそも私はなんのためにこんな大変なことを……」と思ってしまい、自分がつくりたい庭のイメージなんて、できなくなっていたのです。
Oさんは耕しきれていない状態の庭に色々と種や苗を持ってきて、そこかしこに植えてくれました。「中途半端な状態で植えてもいいのかなぁ」と内心思っていましたが、案外彼らは元気に育ち、昨年も少しばかりの収穫や鑑賞を楽しめました。
そして今年の春、雪解けと共に土が少しずつ出てきたとき、そこには昨年Oさんが植えてくれたイチゴやパセリが再び緑を見せ始めていて、こぼれ種で新しく芽吹いた植物もいくつか確認できました。何より、庭全体を見渡したとき、雑草がそれほど生えてこない。昨年やったことが今年につながっている。春のスタートラインが変わっている。それを目にして初めて、庭づくりに対する前向きな気持ちが心のなかで芽吹いたのです。
それからは、大きくなりすぎないうちに雑草を刈ったり、苗や種が安く手に入る店を探したりと、積極的に動いています。「これは来年への橋渡しだ」と思うと、たいへんな作業も楽しめるようになってきました。Oさんは今年も手伝いに来てくれていますが、今年はOさんよりも前のめりに準備を進められている実感と手応えがあります。そんな私を見て、Oさんは「去年よりやってるねぇ、えらいえらい」と笑ってくれました。
土づくりを通じて得られた自分自身の感情の変化を振り返ってみると、ほかのことでも同じような経験があるかもしれない、と気付きます。
なにかゼロから新しいものを生み出すときや学びを得るときは、じつに多くの時間を割きますし、内容によっては困難やストレスもついてきます。今まで経験したことがないゆえに、どれだけ大変か見込みを立てることも難しく、「いつまでこんな大変な想いをしなければならないんだ」と、嫌気がさしてくるのです。
そういう気持ちとひとりきりで戦うのは、簡単なことではありません。だからこそ、土づくりで私を救ってくれたOさんのような存在は、きっとどんな挑戦にも必要なんだと私は思います。その分野で挑戦した経験があって、「これを乗り越えたら楽しいことが待っているよ」と実体験から言えるひと。未来のほうへ視線を向けさせてくれるひと。これからじぶんが挑戦するときは、そういう誰かの手を積極的に借りていこうと心に決めました。
私はずっと「自分のことは自分でやらなきゃ」「挑戦したいと思ったことはやりきらなきゃ」と思いながら生きてきて、できないと「責任感がない」と自分を責めてきたのですが、ちょっとそれは違ったな、と今は思います。
「やりたい」という気持ちと、そのために必要な圧倒的な準備期間に対する「やりたくない」という気持ち。どちらも自分自身から生まれた自然な気持ちで、矛盾はしていません。ほんとうにあきらめたくないことならば、誰かの力を借りて「やりたくない」気持ちを乗り越えられるまで、盛大に甘えればいい。それで自分の「やりたい」を実現できるのであれば、ひとりで抱え込んであきらめてしまうよりずっといいのかな、と。
今年はいろんな種類の夏野菜を植えて、それらが元気にすくすく育ち、食べきれないほど実る日もあります。種から育てた花がひらいたときは嬉しくて何枚も写真を撮ったし、朝起きてすぐ水やりに外に出るのが日課になりました。この楽しさを味わうところまで私をつないでくれたOさんに感謝しながら、「来年は何を植えよう」と想像しつつ、草刈りをする日々です。
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