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「ルカによる福音書」第24章36〜49節「私たちは証人、キリストの平和の証し人」

4月26日の尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教は「ルカによる福音書」第24章36〜49節「私たちは証人、キリストの平和の証し人」。


 午前中の挨拶は「おはようございます」であるが、日本では挨拶に時間を持ち込む。しかしヘブライ語やアラム語では、朝昼晩を通して、さようならさえ兼ねる「シャローム」という挨拶がある。復活したイエスの弟子たちへの挨拶は、まさにこのシャロームであった。先週の礼拝で十字架から復活したイエスが二人の弟子と同道した箇所に触れた。そのことについて弟子たちは集まって報告・討議を重ねていた。そこにイエスは出現して、「あなたがたに平和(別訳で平安)があるように」と語りかけた。これこそシャロームである。
 弟子たちはイエスを霊(幽霊)かと畏れおののいた。幽霊には「うらめしや」という決まり文句がある。これは「恨みがある」「無念である」という意味だが、イエスならそう言ってもおかしくない。なぜなら十字架の前夜に弟子たちは逃げ去り、特にペテロは三度の尋問でイエスとの関係を否定した。しかるに裏切られたイエスは、自ら握手を弟子たちに差し伸べた。関係の回復、和解の誘いという、これこそキリストの赦しである。これは永遠の復活という、現代でも同じである。
 38〜40節では、自らを霊とみなす弟子たちに、イエスは傷跡のある手足を見せて反駁した。41〜42節では焼魚を食べて、肉体の存在を証明した。復活は現実であるということを、聖書にしてはユーモラスに表現した場面である。日本人は死を忌み嫌う。見ない、考えないようにする。だから住宅地には墓地や火葬場は作りたがらない。弟子たちは迫害を恐れていた。それに対してイエスはシャロームを告げた。これは「死は全ての終わりではない」という励ましである。

イエスと焼魚の説教題
復活したイエスが焼魚を食べた意義
復活後の食卓1️⃣
復活後の食卓2️⃣


 牧師の妻は今年に入って、ずっと入院していた。しかし2週間前に洗礼を受けて、信仰告白をして亡くなった。44〜49節には弟子たちに宣教を促す箇所で、これは他の福音書も同じである。しかしルカによる福音書だけは、弟子たちに証人であることを求めている。復活と罪の赦しの証し人であるということを、ことばだけでなく、行いにおいても求めている。私の母は、自分が小学校5年生の時に信仰を持った。子供の目からみて『母親は変わった』と思った。讃美歌のカセットテープを取っ替え引っ換えして、よく歌っていた。これも行ってでの証しである。

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