大人の「友達がいない」を問題解決する
「大人になると友達を作るのは難しい」。かなり頻繁に囁かれる言説だ。私の周囲にも一定年齢以上になって友達の少なさに悩む人は少なくない。遊びに誘える相手が思いつかない。困ったときに頼れる相手がいない。気軽に連絡を送っても許される関係性が欲しい。
では、これを問題としてみよう。そして問題解決を図ってみよう。
なぜ友達がいないのか。どうすれば友達が出来るのか。
本記事は私達が曖昧に理解している友人関係の構築を分解することで、段階的に取り組むことができるように構造化したものである。
1.友達と自己のフラストレーション
友人関係の構築に悩みを抱える多くの人がこう言う。「ありのままを受け入れられたい」と。早速鋭利に切り込みを入れていくのだが、仮にあなたがありのままで今いるとして、その状態で友人関係の構築に悩みを抱えているのなら、その二つは一度に両立させるものが難しいものなのではないだろうか?いわば二兎を追っている状態である。
二兎を追うことは出来ないが、二兎を捕まえることは出来る。一兎ずつ追えば良いのだ。
ここで「ありのままでいる」と「友達を作りたい」を一度天秤にかける必要がある。そして「ありのままでいる」の方に天秤が傾くのであれば、本記事をこれ以上読む必要はない。なぜならそれがあなたのありのままだからだ。私はそれを受け入れよう。
それでもあなたがもし苦しさを抱えるのであれば、「どうしてありのままを受け入れられたいと思ってしまうのか」という部分を掘る必要があり、それは有り体に言うと養育環境と愛着形成の問題を追及すことになる(と思う)のだが、それは本記事の趣旨からはズレるので省略する。
そして老婆心ながら一言付け加えると、友達にありのままを受け入れて欲しいと思うのは、友達に求めるものとして少々重すぎると思う。友達はあなたの親ではない。あなたのありのままを受け入れるのは、友達以前にあなた自身の仕事である。
では天秤が「友達を作りたい」に傾いた場合の話をしよう。
友人関係に限らず、人間関係には大きく分けて2つの工程がある。それは関係の形成と維持だ。あなたに友達がいない(少ない)場合、このどちらか、あるいは両方で問題が発生しているとみて間違いない。
そして、友人関係ではなくこれをビジネスの問題だと置き換えると、必要なことはおのずと見えてくる。関係の形成に必要なのは『営業』と『商品』、維持に必要なのは『信頼関係の構築』と『実績』だ。
2.自分自身という商品
友人関係においてあなたが差し出せる商品や価値は、ほかならぬあなた自身である。あなたという存在に始まり、あなたが紡ぎ出す言葉やリアクション、あるいはあなたという聞き手、あなたと一緒に体験するなにかしら、またはあなたがいることできっかけをもたらされるような何か、それらを相称して「あなた自身」と呼ぶ。
友人関係を形成するために営業をかける場合、必要なのは商品のセールスポイントだ。あなたという商品を買うに値するものだと思わせる何かが必要だ。
ここで「友人関係はそんな損得勘定で動くものじゃない!」と言いたくなる人もいるだろう。気持ちはわかる。しかし損得勘定ではない友人関係は、ある程度関係が安定期に入ってからの事となる。信頼関係が十分に構築できていない関係形成時点では損得勘定ベースで考えた方が良い。
なぜなら友人関係を持つには莫大なコストが掛かるからだ。これは金銭的コストに限った話ではない。心理的コスト、コミュニケーションコストの部分が限りなく大きい。身も蓋もない事を言うと、他人と付き合っていくのは原則として「めんどくさい」作業なのだ。友人関係を構築し維持するということはそのめんどくささを超えなければならないということになる。めんどくさいことをやって手に入れたものがショボかった場合、人間は多かれ少なかれがっかりするし、ショボいかもしれない物を買おうという人は決して多くない。それを避ける必要がある。
話を戻そう。要は自分自身のセールスポイントを見つけ、それをプレゼンすることで相手に「あなたと友達になりたい」と思ってもらわなければならない。「あなたと友達になりたい」というのは、要素を分解すると「あなたに対して一定以上のコスト=めんどくささを支払ってもいい」と思ってもらうことである。
「自分にはそんな商品価値がないから友達を作るのは無理だ」と思うならここでやめても良い。それも天秤にかける必要がある。「自分に商品価値を見出す・あるいは付加することへのコスト」か「友達が欲しいと思う気持ち」か。
自分に価値を見出すことには正直極端な向き不向きがある。本屋に行って自己肯定みたいなタイトルの本を一冊手に取って読んでみたらいい。それでどうにかなったら向いてるし、「んなこと言われても」と思ったら多分あんまり向いてない。
しかし商品価値を付加することはさして難しくない。友達になりたいと思われそうな人を演出すれば良いというだけの話だ。もちろんこの時点であなたはありのままの姿から少し離れてしまうことにはなるし、無理をし続けると破綻する。ここで必要になるのは「自己を拡張する」という概念だ。
あなたが持っている特性のいくつかをピックアップする。その中で1つの要素を取り出して無理のない範囲でアレンジする。アレンジし始めは違和感があるかもしれないけれど、何度か繰り返すうちに慣れてくる。そうして慣れてきたらそのアレンジした部分をもう一度自分自身として再定義・吸収すれば良い。内面化するとも言う。
例えばあなたが「自分から話題を提供するのが苦手」という性質を持っているとしよう。どんな話題なら相手が楽しんでくれるのか、それにどうリアクションが来るのか、相手が内心どう思うのかが分からないから話題を切り出すのが怖い、そんな場合の話だ。そんなあなたは上手い聞き役になれば良い。最初は相手の話に対して「興味ないな」と思うかもしれない。でも興味があるフリをしてみる。相手が「この人は自分の話に興味を持ってくれているな」と思うためにはどんなパフォーマンスをしたらいいか考え、実行する。何度か試行すると「あなたはいつも話をよく聞いてくれる」と言われるようになるはずだ。そうなれば聞き上手な自分を再定義できる。
平たく言うと「変わる」ということだ。友達を作るために自分が変わること。これができるなら友達作りが一歩大きく躍進することになる。
3.きっかけと言い訳
商品が準備できたら次は営業をかけに行く必要がある。自分自身を売り込み、気に入ってもらえるように話をするというターンだ。
これが難しい人は「出会いがない」とよく言う。しかし、こう言う人で本当に出会いがないケースというのは非常に稀である。
出会いというのは元来人と人とが会うことを指す。山奥で1人で自給自足の生活をしているならまだしも、この現代社会で誰とも接さずに生活するというのは難しい。では出会いがないというのが一体何を指すかというと、「コミュニケーションのきっかけを掴み損ねている」というものだと考える。
前項でも述べたが、基本的に交友関係を作るのはめんどくさい。本当に、非常にめんどくさい。ではめんどくさい事をするためには何が必要かというと、『めんどくさいことをしなければならない状況』だ。これが仕事の場合、多くこの役割は締切というものが持ってくれる。あるいは金銭的な影響を加味した時に追い込まれることはあるだろう。しかし、友達は極論いなくてもいい。友達がいなくても死なない。それでも友達をやろうという気持ちにさせるには、関わりを持つにあたっての言い訳が必要になる。
出会い頭にたまたま意気投合する以外の交友関係には、必ず何かしらのきっかけがある。それは同じ時に同じ場所にいたとか、共通の知人がいるとか、共通の趣味があるとかだ。そしてその場を一旦滞りなく進めるために、私達は基本的には一度「穏便に過ごすためのコミュニケーションを取る」というモチベーションが生まれる。自分がわざわざ出向いたり首を突っ込んだりした環境では、基本的にはストレスが少なくなるように過ごしたいと考える傾向がある。そして波風が立つというのはストレスの温床であるから、波風が立たないように当たり障りのないコミュニケーションを取ろうという気持ちが発生していることが多い。
これが言い訳だ。要は「とりあえず仲良くしとくか」というやつだ。まずはここに立ち会う必要がある。相手がよっぽど人嫌いであるか、あるいは喧嘩愛好家であるかでも無い限り、順当にいけば達成できる条件だろう。
ここで会話が成立した場合、友達とは言わずとも知り合いぐらいにはなれる。そして知り合いは友達の前身である以上、ここを避けずにちゃんと通ることが友達づくりの基礎であると言えるだろう。
4.関係性の発展
では、知り合いを友達にするにはどうするかという話がある。知り合いだらけで友達がいないというケースを考えよう。
このケースには大きくわけて2つのパターンがある。1つは友達の定義が厳しすぎる場合。そしてもう1つは回数が不足しているパターンだ。
前者から簡単に解説しよう。友達の定義が厳しすぎる場合。これは「どのぐらい仲良くなったら友達と呼んでいいんだろう」という思考を深め過ぎた結果、あらゆる友達を知り合いと呼んでしまうようなケースの事を指す。つまり、あなたには既に友達がいるというケースだ。気付いていないだけで。あるいは、あなたが認めていないだけで。
友達とは別に毎日連絡を取り合ったり、毎月のように飲み会をしたり、崖から落ちそうなところに手を差し伸べたりするような関係性だけを指すものではない。最後のは少年漫画の読みすぎか、あるいは小中学生の頃から友達の価値観がアップデートされていない人だといえる。社会の言う友達はもっと軽い。ある程度社会に出た大人なら、1年に1回も会えれば十分友達だ。
逆を考える。自分が友達だと思っている相手に「あの人は……まあ、知り合いかな」と言われるときのことを想像してみて欲しい。多少傷つくだろう。であれば友達のレンジは少し広めにとっておいた方が得だ。基本的には「あなたの事を友達と思っている」と言われて嬉しい人の方が多い。もしそれで嫌がられたら、急に距離を詰めすぎたことを反省してそっと離れればいい。それだけのことだ。
傷つくことを極端に恐れてはいけない。「極端に」というのがミソで、全く恐れるなというわけではない。恐怖に雁字搦めにされて身動きが取れなくなっていないかを時々確かめると良い。現代社会は失敗に不寛容な社会になってしまっているが、全く失敗しない人間など一人もいないのだから適当にやればいい。その分相手の失敗も受け入れる必要がある。
話が逸れた。後者のケースを話そう。
回数が不足しているパターンというのは、簡単に言うと「会ったきり」になっているケースだ。それでは知り合いどまりになってしまうのも致し方ない。
このような人に不足しているのは「次の約束を取り付ける」というアクションだ。人間関係は基本的に会った回数の蓄積と、話した時間の蓄積で深まっていく。1回会って5時間話すのでも、10回会って1分ずつ話すのでも上手くいかない。それぞれを丁度よく積み重ねる必要がある。そしてその丁度良さはその人その人に依存する。
ここで注意する必要があるのは、『2人きり』というシチュエーションだ。仮にあなたにそのつもりが無かったとしても、現代社会では2人きりになるという事に特別な意味を感じる人は少なくない。仮に同性であっても、2人きりでどこかに行くというのはある程度仲良くなった時に初めて成立するという価値観の人もいるということだ。もしかしたら相手が最初から2人きりでも大丈夫な人かもしれない。でもそうじゃなかった時のダメージが大きい。だから二度目の約束は基本的に3人以上であることが望ましい。
「でも自分は2人きりの方が話しやすい」と思う人がいるかもしれない。それはあくまであなたの価値観であり、相手にそれを強制することは望ましくない。何度でも言うが、友達を作ることと天秤にかけたときにどちらの方を重要視するかで考えて欲しい。もしあなたが2人きりの方が話しやすくて、今までその方法で失敗して、それでもなお友達がほしいと考えるのなら、一旦譲歩すべきなのはあなたの方だろう。そのぶんコストをあなたが支払うことになっても、初期投資だと考えるべきだ。
もう一点気を付けなければならないのが『誘われ待ち』という状態だ。
あなたが友達が欲しいと考えるなら、誘われ待ちは最も避けるべき行為の一つであると言っていい。誘われ待ちをして誘われる環境にあるならあなたには既に友達がいるし、そうでないなら譲歩すべきはあなたの方だからだ。
人を誘うのはめんどくさい。誘い先を考えるのも、誘う相手を考えるのも、誘うための文章を考えるのもめんどくさいし、その上で誘いを断られる可能性もある。これは人を誘う上で当たり前のことだ。『誘い待ち』というのは、このめんどくささ=コストを「あなたが支払ってくれますよね?」と両手を前に差し出して待っている状態のことを指している。要は奢られ待ちの状態である。
その状態を続けて友達ができていないのだとしたら、少なくとも財布を出す姿勢ぐらいは見せた方が良い。あなたが全額払う必要はなくても、半額払った方が良い。そして一番簡単な支払い方法が「あなたの方から声をかける」というアクションだ。少なくともこの行為はあなたが発端となって動きが起こるというメリットと、少なくともあなたが相手のことを嫌ってはいないのだろうという安心感をもたらすメリットがある。
ここで相手に断られたら粘るべきではない。相手の方があなたに対してコストを支払うつもりがないなら、その相手と友人関係を築くのは多分今後も難しい。潔く諦めるべきだろう。逆にあなたが声をかけられ、相手の事は嫌いではないが何らか別の事情などで誘いを断らなければならない時は、それが伝わるコミュニケーションを取るべきだとも言える。「誘ってくれてありがとう!その日は予定があって難しいんだけどすごく行きたかった!もし似たイベントがあったらこっちから誘っていい?」というように。
そうしてお互いに少しずつコストを出し合って初めて信頼関係の構築が始まる。そして定期的・定量的にコストを支払い続けることが実績に繋がるのである。もちろん、そのコストが受け取ってもらえて初めて成立するものではあるが。
「そこまでしないと友達が作れないなら自分には友達はいらないや」と思うなら別にそれでいい。私はあなたのその意思を尊重するし、あなたもまた友達を作る選択をした人を尊重してくれたら良いと思う。私が言いたいのは、それもまたあなたの選択であり、あなたにはその選択をした責任が発生するという、それだけだ。
5.維持コスト
人間関係には維持コストが掛かる。そしてそれが蔑ろにされていることは少なくない。
「以前の友達と久しぶりに会って昔のように話すことができる」というのは基本的には生存バイアスでしかなく、多くの場合幻想だ。環境が変わり、趣味嗜好が変わり、性格が変わると会話を成立させるのは私達が思うより難しい。しかも互いに『過去の相手像』を見ているとしたら尚更だ。そうして一度会って「相手は変わってしまったんだな」と思えばその関係はそれまでになってしまう。
それを避けるために私達がしなければならないのが、関係性を維持すること、ひいては「互いの相手像をアップデートし続けること」である。
人が他者と関わる時、多くの場合自分の中に「自分が思う相手」という像を形作ることになる。その解像度が上がれば上がるほど相手を理解したと言えるし、解像度が高い像があれば相手がどのような反応を返してくるかという予測の精度が上がることに繋がり、必然的にコミュニケーション上のストレスが少なくなる。気心知れた状態というのがまさにこれだ。
コミュニケーション上のストレスが少なくなると、コミュニケーションを起こす心理的コストが下がり、楽な関係が築ける。そして楽な関係は維持しやすい(決して無料で維持できることはないが)。私達が友人関係で最終的に目指す到達ラインはここである。これの極致が『親友』という状態であるとも言える。
この像を上手く作るためのコツが、回数会うことと、定期的に会うことである。
私達は空白を予測で埋める生き物だ。点と点の間になんとなく線を引く習性がある。そしてその線は多くの場合「自分から見て一番気持ちいい線」だ。点を打つ個数が少ないと線の占める割合が多くなり、自分にとって都合のいい他者を自分の中に形成することになる。だから私達はまず一旦点をなるべく多く打たなければならない。
しかし私達には残念ながら会話の流れというものがある。基本的に一連のコミュニケーションはなんらかの文脈的繋がりをもって交わされる。だから一連の会話で打てる点は結構似たり寄ったりな部分に偏ってしまうことが多いのだ。だから会う回数を重ねる必要がある。
そして、私達が描いているのは「相手像」であって、それが完全に相手ではないことに注意しなければならない。なぜなら相手という人間は絶えず変わりゆくものだからだ。あなたが今現在変わろうとしているように。つまり、あなたが1カ月前に打った点は、今日の相手からは大きく外れてしまっている可能性があるという事に配慮する必要がある。
だから定期的に会話をして相手像をアップデートしていかなければならない。とはいえ頻度が高ければ高いほど良いというものでもない。あなたという存在が相手の生活を支配してはならないし、あなたもまた相手の解析に生活を支配されるべきではない。それは健全な友人関係とは言えない。何より、そういった依存的な関係は現代社会では敬遠されていることが多い。私達大人には友人関係と同等かそれ以上に大切なものが基本的には幾らかある。もちろん、相手にも。
ここが最も難しい点なのだが、私達は友人関係を構築する上で、友人の事なんて何にも気にしていないような顔をしながら、それでいて相手の理解につとめ、互いに愛を交わさないといけないのである。自立した人間には一定のドライさが必要だ。しかし友達というのは多少ウェットな関係性でもある。それらを両立することが大人の友達のたしなみである。だから大人になると友達を作るのは難しい。
さりとて、方法はあるはずだ。あなたがもし友人関係の構築に困難を覚えているのだとしたら、その困難がどこに由来するのか構造的に分解することができるはずだ。本記事のように。その過程で友達を作るのを諦めてもいいし、諦めずに挑戦してもいい。繰り返すようだが、友達はなくても死なない。
しかし、友達というのはいわば鏡である。あなたは友達が心の中に形成する「あなた像」を見ることになるし、それにより初めて客観性というものが成立する。あなたがあなたを客観的に把握したいのであれば、友達はいるに越したことがない。そうでなければ主観的満足という泥沼に足を取られることにはなるだろう。
