小説「杉治は及ばざる籠とし」⑪
9 托生
翌朝。
太陽も高く昇り始めた頃、寿に身じまいの時間を与える意味も込めて、治直が天幕から外に出ると、熊蔵と玄を従える形で立っている巫華の姿が目に入った。
どうやら、治直が外に出てくるのを待っていたらしい。
太陽の光の下で見ても、巫華が四十を過ぎた女にはどうしても見えない。眩しさに目を細めたのは、決して外の光の明るさによるものばかりではない。
「昨日の話だが・・・お申し出を受けようと思う・・・。寿は、儂が預かろう・・・。」
できる限り厳粛に聞こえるように言ったつもりだったが、輩(ともがら)の者たちの、しかも長の前では児戯にも等しい振舞いに見えたことだろうと気が付き、治直は照れた笑いで場を取り繕った。
「よう、ご決断下されました・・・。ありがとう存じまする・・・。寿も、あの通り、喜んでおります・・・。」
治直の方を透かすように視線を移した巫華の目線を追いつつ振り向くと、身じまいを終えて天幕の外に出てきた寿の姿が目に飛び込んで来た。
「ふぅむ・・・。」
治直が瞠目して、寿の姿を上から下まで眺めた。昨日の少年のような面影は一夜にして消え去り、かぐわしく匂い立ちそうな花のように、女振りの上がった寿が、そこにいた。
つい先ほどまで、自分がこの愛らしい生き物と褥を共にしていたという事実が、信じられない思いだった。
何がどう変わったのか、言葉で説明しようとすれば「何も変わってはいない」と言うのが実際なのだろうが、見る人が見ればその変化は一目瞭然であり、女としての自信をみなぎらせた寿の姿は、蕾が春の暖かさにパッと弾けて、可憐な花を咲かせたような美しさを見せていた。
その治直の視線に気が付いた寿が俯き、片手で髪の毛を耳に掛けながら身を捩らせて恥ずかしがる様子を見て、治直は思わずぽーっと見惚れて立ち尽くしてしまった。
「こりゃなんとも・・・我が孫娘ながら、見事な諸恋ぶりじゃ。」
玄がため息とともに、そう呟いた。若い二人の恋情を目の当たりに見た者が我が身に例えて吐くような、そんなため息だった。実際に、この日からしばらく二人の仲睦まじさに当てられた輩の人々が多くおり、興行に差し障りが出る程だったのだ。
その夜は、一族をあげての大宴会となった。
それは一種の披露宴のようなものであり、治直も着慣れぬ派手な衣装に身を包み、白無垢に近い衣装の寿とともに、高砂の席で次々と現れる輩の人々の盃を受けながら、痛飲したと言ってよかった。
その宴がまた楽しく、どこまでも賑やかで派手に行われ、治直はその光景を生涯忘れることはできないだろうと思いながら、盃を重ねていった。
そして夜更け。
宴も終わり、暖かな初夏の空気の元、河原のあちこちで勝手気ままに寝転がった輩の一族をそのままに、治直たち五名は一番大きな天幕の中で、家族だけの時間を過ごしていた。
話の中で、熊蔵も元は武士であり、巫華と結ばれるとともに名を捨てて輩の者となったという事実が語られた。一族の結びつきが強い輩の者たちは、血が濃くなり過ぎるのを避けるため、こうしてたまに「外の血」を求めるのだそうである。
熊蔵がどうして名を捨てるまでに至ったのかは語られなかったが、今の治直には熊蔵の気持ちがなんとはなしにわかる。実際に全てを捨てて、ここで寿とともに自由に暮らしていけたら、どんなにかいいだろうと思う。
しかし、その決断をするには治直は若過ぎた。
まだまだ己の槍一本で、一国一城の主となる夢も捨て切れない。実際、それが可能な時代だったのだ。
「・・・それで・・・儂は、これからどうしたらいいんだね?」
治直は結局、自身の身の振り方について、巫華や熊蔵に訊ねてみることにした。自分一人では、どうにも考えがまとまらなかった。
「杉谷様の、お心のままに。」
答えはにべもなかった。巫華は笑顔でそう言ったが、治直は一種突き放されたような感じがした。
「では、寿をここから連れ出していいのかね?」
「もちろんでございます。」
「お主たち・・・母者たちは、いずれ旅立たれるのであろう? 構わぬのか?」
巫華のことを「母者」と言い直した。形は違えど、治直は寿を嫁に迎えた心持でいるのだ。そこに不思議はないのだが、寿も巫華も、驚いたような顔をした。玄や熊蔵は、さもあろう、と言うかのように小さく頷いた。
この時代は、日本中を旅して回るなどと言うことが簡単には行かない時代である。言ってみれば、日本という狭い土地に、小さな国がひしめきあっていくつもあるような時代であり、そこに暮らしている人々が、自分から国を出て、他所の土地に勝手に住み暮らすなどということが許される時代ではなかったのだ。そうなるには、「人でなくなる」必要があった。つまりは、「無縁者」である。そして「輩の者」は「無縁者」の際たるものの一つだった。
ここで治直が寿を妻として連れ出せば、寿はその「無縁者」ではなくなる。これから先は簡単に「家族に会いに行く」というわけにもいかない、ということだ。それでなくても一族の繋がりが強い輩の者の、さらにはいずれは一団を率いる役目を負っていた「姫」を、こうも簡単に連れ出せるとは、治直も思ってはいなかった。
「大丈夫でございます。我々はこれより、杉谷様を陰からお支えするべく、動きますので・・・。」
「・・・それは・・・?」
「畏れ乍ら、杉谷様はいずれ一国一城の主となられるべきお方かと思われまする。そこに、我ら一族を住まわせる土地を設けて下さいませ。」
「・・・。」
「我らは、そこに賭けまする。これよりはそうなるように、杉谷様を陰からお支えして参りまする。故に、杉谷様はそのことのみに専念していただければ、結構でございます。」
「・・・随分と簡単に言ってくれるが・・・。」
治直は苦笑した。もちろん、自分でも最初からそのつもりではいたものだが、それはあくまで夢の一部であり、「いずれはそうありたい」自分の、はるか先の目標であったことだった。それを、このように簡単に言われては、治直としては面白くない。
「はるか先の夢ではなく、十年後・・・いえ、五年後の現実として、お考え下さい。杉谷様がそれを疑うようでは、事は為りませぬ。」
その思いを透かしたかのように、巫華が言った。なるほど、言われてみればその通りかも知れない。夢は、どこまで追っても所詮は夢である。期限を切って目指すからこそ、初めて具体的な目標と成り得る。そしてそれを本人が疑っているようでは、話は始まらないのだ。
「・・・む。」
「杉谷様には、武がありまする。またそれを正しく使う道もございます。一方、まだお若い故、富と知恵がございません。我々には多少の武はあっても、それを正しく使う道がない。富は、いくらでも必要なだけ準備致しまする。加えて鎌倉の頃よりこの地で生き抜いてきた知恵もございます。我々が共に手を携えて、武・知・富の三つが揃うことになれば、一国を掠め取ることなどさほどの難事とも思えませぬが、如何に?」
先ほどまで酔って半分眠っているかのように見えた玄が、畳みかけるように理を説いてきた。聞けば聞くほど、考えれば考えるほど、それは真に理に適ったことのように思える。
確かに治直には武があり、それを用いて国を獲る道も拓けている。八柄家の家臣として八柄家の領地を広げるだけでも、いずれは自分の城を持つことになるであろう。一方、輩の者が武を用いて国を奪えたとしても、それを良しとする領主はいまい。必ずや四面楚歌の現実を突き付けられることになる。
逆に、治直には国を維持し、栄えさせるための知恵がない。そしてそのために必要となる元銭もないのだ。これでは、国を獲ったところでどうしようもない。国を獲ってからそれらを補う人材や富を集め始めても、それらがうまく機能し、一人でに転がり始めるまでには多くの刻が必要となるだろう。
だが、それらがある程度揃った状態で国を獲ったら、どうなるか。考えるまでもなく、うまく行くはずである。
「・・・そう言われると、そのような気にもなってくるが・・・。」
「それほどのものかね?」と言い掛けて、言葉を飲み込んだ。自分にしたところで、大したことを示してはいない。多少腕に覚えはある程度の三名を追い払い、一族の姫と慕われる娘とねんごろになった田舎武士の端くれなのである。
しかし、この治直はこの一族が心を読めるということを忘れていた。その意識はたちどころに相手に知れることとなる。こればかりは、なかなかに慣れない。
つい、と玄と熊蔵が無言で席を立った。気を悪くしたのではないかと心配になった治直も立ち上がろうとして、隣の寿に上から太ももを抑えられた。
すぐに戻って来た二人は、重そうな木箱を抱えていた。それを治直の膝元に置き、蓋を開く。燦然と輝く黄金が、ぎっしりと敷き詰められていた。治直にはわからなかったが、それは八柄家の蔵を全部開け放ってもまだ足りない、小国の年間に掛かる費えを楽に支えられるだけの黄金の量だった。
「手元にある分だけで、これだけの黄金がございまする。必要とあらば、すぐにこの箱をあと五つ、ここにお持ち致しましょう。」
「それだけあれば、国の一つや二つ、楽に買えるのではないか?」
「いやいや・・・。この黄金を、誰に払えばよろしいのでございますか? 国は、殿様のものだけではございますまい?」
「む・・・。それは、確かに・・・。」
「はっはっは。まことに、婿殿はお人がよろしい。いや、悪い意味ではございませぬよ? しかし、これから先はそればかりではいけませぬなぁ。」
玄がさも愉快そうに、治直を見つめる。
そして、その夜から、玄による治直への教育が始まったのだった。それは一族の歴史に始まり、自分たちが朝鮮女真族の末裔であること、戦争によって国が滅び、この日本に命からがら逃げてきたこと、日本に来てからの苦労やその中で培われた技術や能力についての話など、これまでの三百年間を振り返る内容であった。
教えは多岐に渡り、帝王学めいたものから戦術や戦略、富を築くための方策から人の心を自在に操る方法、正息法や肉体の鍛錬の仕方、酒の飲み方から女の抱き方まで、まさに一族が連綿として築き上げてきたその全てを、治直に惜しみなく与えていった。
治直も砂が水を吸い込むが如く、それらの知識を吸収していった。拙いながらも、輩の者たちの使う朝鮮の古い言葉まで、急速に話せるようになっていた。
その二十日ほどを、教えの無い時は輩の一族と共に過ごし、求められるままに時には茶を売り、呼び込みを手伝い、夜は夜で寿を抱き、存分に飲み、食べ、治直が夢にまで見た家族との団欒のひと時を楽しんだ。
一方、八柄家には尾田家の使者に化けた一族の者が赴き、新たに起こった小競り合いに引き続き治直を借り受けるので、帰参が遅れていることを詫びる「書状」が黄金と共に届けられていた。決して少なくない金高とともに届られた書状に、稲原でさえ疑いを抱かず、八柄家では「尾田家が杉治を高く買っている」という評判で持ち切りとなっているという。
「何から何まで、行き届いたことよ。」
半ば呆れたように治直が呟くと、寿がさもうれしそうに微笑んだ。
「皆、治直様に期待しているのですよ。数百年もの間、自分たちの土地というものを持たずに来た一族に、ようやく安住の地が手に入るかも知れないのです。それに・・・。」
「?・・・それに?」
「皆、治直様のことが好きなようですよ。父も元は武士ですが、最初は受け入れられずにかなり苦労をしたと聞いています。もっとも父は、名は捨てても武士としての気概を捨て切れなかった自分がいけなかったのだ、と話しておりましたが・・・。治直様には、それがありません。皆を、同じ人として等しく扱ってくれます。今日も、呼び込みを手伝っていたでしょう?」
「うむ、吉が腹痛でな。見様見真似でやってみたが、さっぱりだった。」
「うふふ・・・。そうしたところですよ。治直様の他に、掛小屋の呼び込みなどをするお侍がいるわけがないでしょう?」
「そうか・・・な?」
「そうでございますとも。誰でも、思いつく方が呼び込みをしているところを思い浮かべてご覧なさいませ。」
確かに、稲原や長原が呼び込みを頼まれたら、いい顔はしないだろう。稲原などは、烈火の如く怒りだすかも知れない。だが、中山ならばどうだろう? あの剽軽な老人ならば、扇子を打ち振って呼び込みをしそうな気が、しないでもない。むしろ、治直などより上手かも知れない。
「ま、誰でもと言うわけにも参らぬが、それでも儂より上手が思い浮かばぬでもない、な・・・。」
「まあ・・・。」
今度は、寿が驚く番だった。
こうして結局、治直は丸々一月を輩の者として過ごした。
それは、恐ろしく充実した一月であり、これ以上ないくらいに「人」として暮らした一月だった。
その成果は目覚ましく、体内から男としての自信が満ち溢れているかのような堂々たる「男振り」となって現れ、寿の勧めで着るようになった派手やかな小袖がピタリと似合う、まさに偉丈夫となった。
八柄家に帰参すると、皆がその変貌ぶりに目を丸くし、当時、家の勢いのままに何かと派手好みで有名な尾田家の家風になぞらえられ、「杉治の尾田かぶれ」とあちこちで騒がれることになり、一緒に連れ帰ったいささか気の触れた少年についてのことなど、誰も噂にもしなかった。
「籠とし」は、こうして誕生したのである。
あれから三年、寿を始めとした輩の者たちの暗躍もあって、ようやく八柄家の領地を大きくすることを得た。
それはつまり、八柄家の栄達とともに、輩の者たちの悲願への第一歩が踏み出されたことを意味していた。
「杉治は及ばざる籠とし」⑪
了。
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