ZONE-B SQUAD [principles]
7 principles
最初の出撃から2週間ほどは過ごしただろうか。この身体になってからというもの、体内時計はその機能を完全に停止していた。
ここで大体の時間を知るには、枇々木が活動中かどうかを確認することに尽きる。生身の人間である彼は、食事も睡眠も必要になるからだ。
コンソールに枇々木がおらず、代理のアンドロイドがいれば睡眠中か食事中ということになるから、おおよその時間はわかる。
それでも、杏は枇々木にお願いしてカレンダー機能付きの時計を仕入れてもらった。ここでの日が浅い杏は、まだ「生前」の習慣が抜け切れていない。市販のパソコンでもあれば良かったのだが、この施設の性格上、それはできないと言われた。ここで使用されている電子機器は、すべて特注品なのだ。
一応、居住区には日本の番組を見られる大型のテレビが設置されている共有スペースがあり、普段と同じようにネットサーフィンを楽しめるようにデチューンされた端末もあったが、それらを使う隊員は誰もいないらしい。
杏にしてもそれは同じで、自分の起こした事件の結果を見ることになるのが明白なので、外の世界の情報を取るのは気が進まなかった。自分の起こした事件への興味ももはやない。食事や睡眠を必要としなくなってから、不安や欲のようなものを感じることもなくなったのだ。
逆に言えば「死」への漠然とした恐怖は、年齢に関係なく静かに、だが確実に人間の精神的な部分に食い込み、蝕んでいたということがよくわかる。その不安を解消するため、人は食べ、寝て、比較し、他者より優位に立ちたいと願う生き物なのだろう。
ただ一つ、気になっているとすれば杏自身の扱われ方だ。
あのマンションの前庭で杏が見つかっていれば事件はそれで終息に向かっただろうが、実際はそうはならなかった。世間ではどのように扱われているのだろうか。
しかし、今は過去を振り返っているより、目の前の問題を片付けていく方が先決だった。実際問題、食事や睡眠が必要ないとなると時間は余るはずなのだが、トレーニングやここでの知識を付けるなどやることは山積みで、余暇らしい時間はほとんどない。しかし、基本的に「疲れる」ということがなくなった体はそれらを貪欲に吸収していった。
杏は現在、ジェイからは基本的な戦術や射撃、桐野からは刀術を学んでいる。ここでの杏の役割を果たすためには不可欠な要素だった。
戦闘部隊のリーダーを務めるジェイは、将来的に杏をソンヒィが務めている「桐野に続く二番手の突撃要員」として鍛えていた。杏の使用する短刀二刀流の戦い方は、ほぼ肉弾戦と言っても過言ではない超近接戦闘となることから、攻め込む順番はどうしても先の方が望ましい。
「存在」を倒すためには、形を成している「外殻」を突破して「核」を露出させ、それを破壊する必要がある。これが「存在」の唯一の破壊方法であり、外殻をいくら攻撃しても核を破壊しなければほぼ瞬時に回復し、元の機能を取り戻してしまうという特性を持っているのだ。
「存在」の目的は「裂け目」からこちらの世界に出現することにあるから、基本的には真っ直ぐ裂け目へと向かって来ることになる。
こちらとしては「存在」を裂け目から外に出させないことが第一目標となり「存在」の消滅は第二目標だ。それゆえに、最も攻撃力が高くて攻撃手段も多彩なアシュリーが裂け目の一番近くに陣取り、防衛線を張る。他の部隊員はアシュリーの前に展開して、できるだけ早く「存在」を葬り去ることに注力する。
その役目を最前線で負うのが桐野であり、ソンヒィや杏なのだ。
ジェイの役割はその戦闘の全体を統制しながら、突撃隊員の援護、陽動を行う。ポジション的には中間に位置取り、攻守どちらの状態をも掌握しておく必要がある。
「最終的に存在を倒し切れないと判断した場合には、裂け目を破壊することになる。」
ジェイに託されたもう一つの、そして最大最終の攻撃対象は「裂け目そのもの」だった。
裂け目自体は異相空間内からであれば物理的な攻撃が有効となる。むしろ「存在」を倒すよりも手軽に事態を収束させることができるのだが、「存在」がこちらに出現できないように、部隊も異相空間から出られないという事態に陥る。
現在、こちらから「裂け目」自体は作ることができる。転送のシステムはこの裂け目の原理を応用したものだと言う。ただし「異相空間の特定の場所に繋がるようにする」技術はない。そもそも、異相空間自体が無限に存在すると言われており、座標のような物も存在しないため「場所の特定」すらできないのが実情なのだ。
この状態を「ロスト」と言う。突入した部隊員は異相空間を永久に彷徨うことになり、事実上この世から失われてしまうからだ。
「その…実際に『ロスト』した部隊はあるんですか?」
「ここ最近は聞かないが、過去にはそれ自体が有効な解決策として用いられていたらしい。つまり『存在』を足止めしている間に裂け目自体を破壊して異相空間を強制的に閉じてしまう、ということが唯一の解決策だったと言うわけだ。この戦法は19世紀末まで当たり前に使われていて、この事実が世界中に『歩き回る死体』の伝説を残すことになったわけだな。」
ジェイは訓練で使用した銃器のクリーニングをしながら話を続けた。
「日本にある浦島太郎の伝説が、異相空間からの帰還者の稀有な例だとする説もある。竜宮城が異相空間で、乙姫が『存在』というわけだ。話が美化されてるのは、浦島太郎本人が語った悲惨な体験を覆い隠すためだそうだ。にわかには信じ難いがね。」
言われてみれば不思議な共通点はあるようにも思う。日本にも「昔話」として伝わっている伝説はたくさんあるが、桃太郎やかぐや姫、雀のお宿など、こことは違う世界に赴いたり、何かを退治する話も多い。
もしかしたらそうした寓話にこそ、真実が隠されているのかも知れない。少なくてもかなりの時間を言い伝えられている話であることは確かなのだ。
今までなら一笑に付したような話が、ここでは当たり前になっている。吸血鬼にゾンビ、呪術や霊的作用、そして異相空間や転送などと言う、映画や小説の世界がそのまま現実になっている。それどころか、今や自分もそうした類の一つなのだ。もはや笑って聞き流すことはできない。
「……太古から戦ってきた、という話ですけど…この先はどれくらい続くんでしょうね?」
「…さあ。それは誰にもわからんな。『総会』で何か有益な情報がもたらされればいいと、毎年願っているがね。いつも空振りさ。」
総会とは、世界中にあるHOCMS組織の大半が集まって開催される情報交換の場だ。
基本的には年に一度開催され、異相空間の情報共有や研究成果の報告などが行われる他、新しい武器や機械の展示即売会のようなものまであるらしい。
ZONE-B SQUADからはドクターが参加していて、そのためしばらく姿を見ていない。
「…ジェイは…この組織に入ってどれくらい経つんですか?」
「そうだな…もうそんな感覚も鈍ってしまって、正確な数字ではないかも知れんが…ざっと10年にはなるんじゃないか?イラクがクウェートに侵攻した直後に、ここで蘇ったんだが…。」
ジェイは、杏から得られる情報に期待しているというような眼差しを向けてきた。最近まで人間として生活していた杏から話を聞くことが、不安なようにも見える。
「それって…もしかして湾岸戦争のことですか?それなら私が生まれる前の話ですから…もう30年以上前の話ですけど…。」
「なに?そうか。もうそんなに時間が経っていたか!ハハ…いや、笑えないな…まさか杏が生まれる前の話だとは思わなかったよ!」
「もしかして…こういう話は、ここではタブーなのですか?」
ジェイの反応を見て、杏は自分が過ちを犯したかも知れないと思い至った。知りたいと言う気持ちがあれば、枇々木からでも話を聞くことはできたはずだったからだ。
「いや…そんなことはないがね…。ただ、みんな進んで話そうとは考えていないかも知れないな。…何と言うか…不毛な…意味の無い会話と捉えている可能性はあるかも知れない。」
「不毛…ですか…。」
「ああ。聞いたところで、できることなど何もないからね。我々が元の世界でここでの実情を訴えたところで、何の意味も為さないのと同じ事さ。」
確かにここでの出来事を語ったところで、頭のおかしい人間と判断されるのがいいところだろう。人間は自分が信じたいものしか信じない。そして信じないものは除外して迫害するのだ。
「…それでも、私たちはそうした人間たちのために活動するしかないんですよね…。」
「杏が望むのなら、魂を解放してもらうこともできるさ。ドクターが帰って来たら、その辺りの話を聞いてみるといい…。」
そう言うと、ジェイは視線を落としてクリーニング作業に戻った。杏は何かを言い掛けて、途中で止めた。ジェイの姿勢は、明らかな拒絶のそれだった。もう声を掛けてはいけない雰囲気だ。
杏は踵を返し、ジェイをそのままにして部屋を出た。
突然現れたジェイの拒絶の理由はなんだろう?答えはドクターが握っているに違いない。
ZONE-B SQUAD [principles]
了。
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