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あいまい日曜日

 日曜日というのは、どうにも輪郭のぼやけた日だ。

 平日のような緊張もなければ、完全な休息とも言い切れない。四十代になってからは特に、ソファに沈むだけで「時間を無駄にした気がする」という微かなとげが刺さるようになり、扱いが難しい。けれどその半端さに、最近は少しだけ救われている。

 朝、鏡の中で髪が片側だけ跳ねていた。いつもなら整え直すところだが、今日は「まあいいか」と肩を落とした。その言葉を口にした瞬間、心が少し軽くなる。妥協ではなく、私を縛っていた「きちんとしなきゃ」がほどけていくような感じだ。

 台所に向かうと、昨夜割った卵の殻がゆがんだハートのように見えた。実際はただの偶然なのに、妙に胸に残る。子どもの頃、意味もなく落ちていた石に形を見つけて喜んでいた感覚がふとよみがえり、思わず小さく笑った。

 昼前、新聞をたたんだ夫が「昼どうする?」と訊いてきた。作っても、買ってきても、食べなくてもいい。無限の選択肢はときに負担で、でも今日は「なんでもいいね」と言い合える柔らかさが心地よかった。

 洗濯物を干し終えた頃、友人のチカから「少し話せる?」とメッセージが来た。ほんの数秒迷った末に、電話を取った。

 「息子に『最近疲れて見える』って言われた」と彼女は少し笑って言った。

 誰かの優しさに含まれた無自覚な鋭さに、私たちは結構簡単にぐらつく。私だって最近、夫に「眉のあたり、いい味出てきたね」と言われたばかりだ。褒められたのか老けたのか、その境目はあいまいだ。

 通話越しに聞こえる子どもの足音や食器の音が、こちらまで生活の匂いを連れてくる。家事に追われ、気を張り、疲れて、それでも一日を回しているのは私だけじゃないのだと、少し胸がほぐれた。

 午後、予報に反して空が灰色のままだった。洗濯物を取り込むべきか迷っていたら、風が「もう少し大丈夫」と囁いたような気がした。根拠のない直感に従った十分後、小雨が落ちてきた。

 それでも腹は立たなかった。日曜日が全部穏やかである必要なんてない。つまずいたり、判断を誤ったり、その程度の揺れなら受け止められる気がした。

 夕方、雨の切れ間から薄い夕光がこぼれた。強さに欠ける光だが、頼りなさの中にふと懐かしさが混じる。はっきりしない景色が、今日の気分に妙に合っていた。

 夜、家族が寝静まったあと、一人でコーヒーを淹れた。味がやけに薄く、思わず眉をひそめたが、今日の私にはそれがちょうどよかった。濃い味は、確かな気持ちを持て余してしまいそうだった。

 窓を少し開けると、ひんやりした夜気が流れ込んだ。遠くで車の音がして、どこかの家のテレビがかすかに漏れてくる。特別な音ではないのに、胸の奥に静かな層ができていく。世界は私が曖昧でいても、何事もなかったように続いていくのだと思うと、肩に入っていた力がふっと抜けた。完璧じゃなくても、一日を終えられるだけで十分なのかもしれない。

 振り返ると、今日はどの場面もはっきりしなかった。決断も、体調も、天気すらも優柔不断で、どこか落ち着かない——けれど、不思議と嫌ではない。むしろこういう揺れ幅が、自分を固くしすぎないでいてくれる。

 薄いコーヒーを飲み干すと、胸の奥にあったさざ波が、静かに小さくなっていった。
 思い返せば、こうして揺れながら進む日々こそが、静かな支えになっているのかもしれない。何も特別ではない一日が、そっと背中を押してくれる瞬間が確かにあるのだ。それだけで、少しだけ明日を迎える勇気が戻ってくる。そんなささやかな感覚を、私は案外気に入っている。

「これくらいあいまいで、ちょうどいいのよね。」

あいまいな日曜日が今、終わる。



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