ZONE-B SQUAD [feelings]
8 feelings
杏が赴こうとしていたのはウィルの部屋だった。通称「修復室」と呼ばれているその部屋は、例のガレージの2階張り出し部分にあり、部屋と呼ぶにはかなりの広さがある。
居住区へ行くエレベーターからもアクセスできたが、今いる場所からなら中央管理室を抜けてガレージから向かう方が近い。
「やあ、杏。今日もトレーニングかい?」
コンソールに足を上げながら携帯ゲームで遊んでいた枇々木が、杏に声を掛けてきた。枇々木はドクターがいないのをいいことに、コンソールに菓子類やゲーム機を持ち込んで楽しんでいた。
先日はコンソールに設置された大型のモニターを使い、みんなでマリオカートをして盛り上がった。枇々木はその時の借りを返そうと、杏に声を掛けてきたのかも知れない。
「こんにちは、枇々木。異常はない?」
「おかげさまでね。暇を持て余してるよ。杏は?」
「残念ね。ウィルに呼ばれてるの。検診ですって。暇なら赤甲羅の使い方でも練習しておいたら?」
枇々木は足を下ろして椅子に座り直すと、抗議の声を上げた。
「バカ言うなよ!そもそも基本の反応速度が違うんだ!杏が勝って当たり前なんだからな!人間代表としたら、僕はよくやってる方だよ!」
「はいはい。そうでした!じゃ、がんばって!」
杏は最近、枇々木をからかうということを覚えた。ゲームだと言うのに熱くなる性格で、すぐにムキになるのでからかい甲斐がある。今まではゲームに疎い部隊のメンバーを相手に無敵を誇っていたらしいが、一人暮らしの長かった杏は、人間だったとしても枇々木よりは腕のいいゲーマーだった。
「あっ、そうだ!頼まれてたオーディオセット、どうする?部屋に運んでおこうか?」
「あら、ありがとう!でも、いいわ。検診が終わったら運ぶから、ラウンジにでも置いておいて。」
「OK!」
杏はこだわって愛用していたオーディオセットとそっくり同じ物を枇々木にリクエストしていた。プレーヤーもアンプもスピーカーもほぼ一点物を希望していたから、揃えるのにはそれなりに骨を折ったに違いない。
ネットで探せば簡単に見つかる、という類の品物ではなかった。
基本的に外出のできない体のため、買い物のほとんどは必然的に枇々木を通して頼むことになる。女性物の下着や洋服などはアシュリーに頼むように言われていたが、7号室のクローゼットにある品々だけで軽く5年はもちそうだ。
それらの代金は杏の口座から支払われた。口座には、スクワッドで戦うことを決意した時の契約金が振り込まれていた。
契約金は純金20kg。通貨ではなく「金」で支払われている。時価にして約3億円。ほぼ生涯年収の金額だというところがおもしろい。
杏はそのうちの1kg相当を日本円に換金して口座に入金しており、残りの金はHOCMSに預けて運用してもらっていた。他のここでの収入としては、年俸があった。1年目の杏の年俸額は金1.5kg。これは部屋に置いてあり、シェールの安らぎの場となっている。
「円」には興味がなかったが、純粋な「金」には魅力を感じていた。見たり触れたりしているだけで、何かが満たされる。どうやらこれは魂が持つ本能のようなものらしい。金の他に、銀、プラチナ、ダイヤモンド、水晶などにも、似たような魂の安息効果があるらしい。
ほとんどどんな宗教でも、祭壇が煌びやかに飾られているのには明確な意味があったのだということに、死んでみて初めて気が付いた。
検診と言うからには医学的な物を想像していたが、実際に行われたのは「検査」と言える内容だった。
もっとも、聴診器を当てたり血圧を測ったりしたところで意味がないのだから、当然想定しておくべきではあったのだが。
足の指に電気抵抗を測る測定器のピンを刺された時はゾッとしたが、これからはこれが日常ということになるのだ。
「よし。異常はないみたいだね。何か気が付いたことはあるかい?」
「いえ…特には…。」
「じゃあ順調ってことだね。今日はこれでいいよ。ご苦労様。」
これでは完全に自己診断プログラムの付いた機械そのものだ。今の肉体は機械とも言えるのかも知れないが、それでもやはり何かが引っ掛かる。
「ありがとうございました。」
杏は歯科医の診察台のような椅子から立ち上がり、部屋を後にしようとした。
「ところで…杏は自分が一人じゃないと感じることはあるかい?」
「?…どういう意味ですか?」
「そうだな…例えて言えば自分の行動を誰かに見られているとか、選択をする時に別の人格が俯瞰からみているような感覚があるとか…そんなような感覚があったりすることは?」
「…いえ…ないですけど…。」
「そうか。それならいいんだ。いや、引き留めて悪かった。」
杏はウィルに軽く会釈をして修復室を後にした。
ウィルの発言が意味するところはなんだろうか。ウィルはオン状態の時に無駄話をするようなタイプではない。とすれば、今の発言にも何かしらの意味があるということになる。
多角的思考ができているかどうかの確認だろうか。それとも精神疾患の兆候を探られたのだろうか。考えにくいことだが、知らないうちに他者が関係する何かに巻き込まれた可能性はあるだろうか。
帰り道で振り返ってみたが、思い当たることは何もない。それに、あったところで杏にどうこうできる問題ではないような気がした。それなら今は様子を見るに限る。
中央管理室に戻って来ると、枇々木はすでに離席していて、彼のアンドロイドであるモリガンとヴァハがコンソールに着座していたが、もう一体のネヴァンの姿は見えなかった。
三体のアンドロイドは揃って黒のスーツを着込んでおり、モリガンはグレーのストレートロング、ヴァハは赤の外に跳ねたロング、ネヴァンは黒のショートボブの髪型で外見的な見分けを付ける。
顔にはほぼ三角形の仮面を常に被っており、まだ素顔を見たことはなかった。
杏はそちらには近付かず、オーディオを取りにラウンジに向かうと、一人でグラスを傾けているジェイと目が合った。
「ジェイ…。一人で飲んでいるなんて珍しいんじゃない?」
「ああ…。杏、その…さっきは済まなかった。少し大人げない態度を取ってしまったように思ってね…。飲みながら待っていたのさ。」
「いいの。私の方こそごめんなさい。余計なことを…。」
「いや、いいんだ…。一杯、付き合ってくれるか?」
「喜んで。」
ジェイが空のグラスにウィスキーを注ぐ。デカンタではなく、見慣れない瓶からグラスに液体が落ちていった。
手渡されたグラスを受け取り、お互いにグラスを掲げてから琥珀色の液体で口を潤した。荒々しい味だが、ほのかに甘みがある。
「バーボンだ。ずっと部屋で寝かせたままにしてたんだが、無性に飲みたくなってね。俺はケンタッキーの生まれなんだよ。」
ジェイは、それがバーボンを飲む言い訳のような言い方をした。
「行ったことはないけど、いいところなんでしょうね。」
「ああ。最高さ…。実家は牧場でね。いい馬をたくさん育ててる。今は兄二人が切り盛りしてるんだろうなぁ。一度帰りたいもんだが…。」
「………。」
「生まれついての乱暴者で、両親にも兄にも迷惑を掛けっぱなしでね。さすがにこれじゃまずいと自分でも気が付いて、18の時に陸軍に入隊したんだ。そこからは陸軍が人生の全てだった…。結婚するまでは、ね。」
「そうだったの…。」
「妻の名はティナって言うんだ。翌年には娘も生まれて、その子にはローズと名付けた。ローズが3歳の時に俺はイラクに派遣されて、偵察任務の最中に砲撃でドカン。気が付いたらイラクのHOCMS組織で蘇っていた。」
ジェイが胸のポケットから写真を取り出して杏に見せた。カウボーイハットを被った金髪の美人が、愛くるしい笑顔を浮かべる女の子を抱え上げて微笑んでいた。背景からすると、ジェイの牧場で撮影されたものらしい。
「その…メソポタミアの部隊を皮切りにロンドン、ベルリンと渡り歩いて東京に辿り着いたんだが…夢中になっているうちに30年も経っていたなんてなぁ…。娘が…ローズがもう俺の年齢に追い着いてしまったよ…。」
そう言うと、ジェイはグラスを一気に呷った。杏は静かにバーボンの瓶を取り上げ、空いたグラスに液体を満たした。
「なんと言う皮肉だろう…。妻や娘を守るために戦っていたつもりだったんだが、このままじゃ娘より長生きしちまいそうだ…。」
「ジェイ……。」
「杏から聞いた話で急に里心がついちまった。娘も大きくなっただろうし妻は老いただろう…。もしかしたら孫までいるかも…なんて考えてたら妙にこう…一人でいるのが辛く感じられてな。」
「ごめんなさい…。」
「いや、いいんだ。今はもう逆に感謝しているよ。久しぶりに人間らしい感慨ってやつを取り戻せた感じでね…。ま、これを機に、これからもたまにこうして話を聞いてくれよ。」
「私で良ければいつでも。」
「ああ、ありがとう…。引き留めてしまって悪かったな。まだ、やることがあるんだろ?」
ジェイは親指でラウンジの端に置かれた段ボールの箱を指差し、ニコッと笑った。
「大したことじゃないんだけど…音楽が恋しくなってね。枇々木に頼んで仕入れてもらったの。」
「そうか。この身体も長くなるとそうした感情も無くなってしまうようだから、大切にするといい。」
「わかった。バーボン、ご馳走様。いつものウィスキーより好みだわ。」
「そうか?良かった。他のみんなは『田舎臭い味だ』って、ひどい言い様でな!」
杏は大きな段ボールを抱えてラウンジを出た。ジェイが手伝いを申し出てくれたが、それは断った。懐かしい味わいを楽しみながら、もう少し感傷に浸ってもいいはずだ。
ジェイにはそれくらいの権利があるはずだ。
ZONE-B SQUAD [feelings]
了。
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