月に捧げるノクターン
子どもの頃、月が怖かった。
夜道を歩いていると、どこまでも追いかけてくる。
振り返っても、曲がり角を抜けても、まだそこにいる。
大人になれば、それが錯覚だとわかる。
月は遠すぎるから少しくらい移動しても位置が変わって見えないだけだ。
理屈は理解した。
それでも満月の夜には、世界が少しだけ別物になる。
古代の人々が月に神を見た理由も、なんとなくわかる気がする。
太陽は明快だ。昼と夜を分け、生命を育てる。
だが月は違う。
満ちて、欠ける。
現れて、消える。
昨日まで丸かったものが、数日後には鋭く削れている。
まるで「世界は本当は安定していない」と、空から教えているみたいだ。
そして月には、妙に「出来すぎている」部分がある。
もっとも有名なのが、太陽との大きさの話だろう。
太陽は月の約400倍の直径を持っている。
地球からの距離も、ほぼ400倍。
だから空の中では、両者はほとんど同じ大きさに見える。
その結果として、皆既日食が起きる。
私は初めてこの話を知ったとき、少しぞっとした。
宇宙は途方もなく広い。
恒星も惑星も無数にある。
その中で、地球と月と太陽だけがこんな「完璧な一致」を見せる。
もちろん科学的には偶然だ。
数字の一致に意味を見出すのは、人間の癖にすぎない。
たぶん本当にそうなのだろう。
けれど都市伝説は、この「たぶん」の隙間を好む。
もし月が自然物ではなく、何者かによって配置されたものだとしたら?
もし地球文明を安定させるための「調整装置」だとしたら?
そう考え始めると、急に月が無機質な岩石には見えなくなる。
実際、月は不思議なくらい都合がいい。
地球の自転軸を安定させ、潮の満ち引きを生み、生命進化に影響した可能性がある。
月がなければ、地球の気候はもっと激しく揺れ、人類は誕生できなかったかもしれないとも言われている。
つまり極端に言えば、「月があるから、人間はここにいる」ということになる。
それは少し奇妙だ。
人類の存在条件として、月はあまりにも重要すぎる。
まるで最初から「人類が生まれる前提」で置かれていたみたいに。
もちろん、こういう考え方は危うい。
世界に意味を求めすぎれば、簡単に陰謀論へ滑っていく。
だが月に関してだけは、その誘惑が妙に強い。
たとえば、「月は後からやって来た」という説がある。
古代神話の中には、「月のない時代」を示唆するような記述がある、と都市伝説では語られる。本当にそういう意味なのかは怪しい。翻訳や解釈の誇張も多いだろう。
それでも、「かつて空に月がなかった」というイメージには奇妙な魅力がある。
真っ暗な夜。
潮の動きも弱く、季節も不安定で、暴風の吹き荒れる地球。
そこへ、ある日突然、巨大な月が現れる。
神話なら、その瞬間はきっと「荒ぶる神々の時代の終わり」だったのだと思う。
現代の都市伝説は、そこへさらに機械的な想像力を持ち込む。
月は人工天体。
内部は空洞。
巨大宇宙船。
監視装置。
アポロ計画の頃から、そうした噂は何度も繰り返されてきた。
私はそれを信じているわけではない。
けれど、アポロの映像を見るたびに少し不安になる気持ちはある。
灰色の地平線。
音のない空間。
空に浮かぶ青い地球。
あの風景には、どこか
「人類は本来ここへ来るべきではなかった」
「触れるべきではなかった」
という感覚がある。
月は、近すぎるのだ。
宇宙規模で見れば、異様なくらい近い。
だから人間は、手が届きそうだと思ってしまう。
けれど実際には、そこは完全な沈黙の世界で、生命も空気もない。
ただ巨大な岩が、何十億年も地球を見続けている。
その事実だけで、もう十分に不気味だと思う。
人は「説明できないもの」が怖いという。
だが本当に怖いのは「説明はできるのに、それでも不気味なもの」なのだ。
月はまさにそういう存在なのかもしれない。
科学は月を理解している。
軌道も、成分も、形成過程も説明できる。
それでも満月の夜、人は少しだけ正気を失う。
海が揺れる。
眠れなくなる。
理由もなく昔の記憶を思い出す。
そして気が付く。
人類は太古からずっと、月を見上げながら物語を作ってきたのだ
と。
神話も。
宗教も。
都市伝説も。
そして「狂気」も……。
私は想う。
たぶん月そのものよりも、人間の想像力のほうが、ずっと底知れない恐怖を抱えているものなのだと。
今夜も月を見上げながら、私は物語を紡ぐ。
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