ZONE-B SQUAD [harvester]
16 harvester
杏は夢を見ていた。
漠然と、自分がZONE-Bの中にいることが理解できる。
だが、目の前の光景は今まで見たどのZONE-Bとも一致しない。というより、これは杏が人間だった頃には毎日目にしていた日常の光景だ。
雨が降っている。
杏は、どこかのショッピングウィンドウの前にある僅かな窪みに身を潜ませるようにして、頭上から降り注ぐ雨を凌いでいた。
目の前の歩道を無数の人影が横切っていく。色とりどりの傘を差して歩いている人影には、顔がなかった。
違和感はそれだけではない。それぞれ歩く速度がバラバラで、方向もまちまちだった。速足の人、ゆっくり歩む人、ほとんど線のように見える速さで移動する人もいれば、像のように固まったまま、ほとんど動かない人までいる。
それだけバラバラに動いているにも関わらず、人同士がぶつかるということがない。速く移動している人は、遅く移動している人をすり抜けるようにして通っていくのだ。
その中で、雲と雨だけが一定の速度を保ち、形を変えながら雨を降り注いでいる。
「気が付いた?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、ショッピングウィンドウに映る杏が話し掛けてきた。
すぐにそれが琳だと気が付いた杏は、微笑みを浮かべて答えた。
「みんなの動きがバラバラなこと?」
琳が首を振る。
「違うよ。速い人が遅い人を追い抜いて行く時、一瞬だけ形が重なるでしょ?」
「…そうね。確かに、そう見える。」
「その時、速い人には遅い人がどう見えてるかな?逆に、遅い人には?」
「…さぁ…どうだろう?」
琳が小首を傾げ、何かを求めるように杏を見つめている。
何かを答えてあげたかったが、答えが見つからない。
そのうち、目の前の風景がどんどん小さくなっていった。視界の外縁部から中心に向かって、光の闇が広がっていく。ショッピングウィンドウに映る琳の姿がどんどん小さく、薄れていく。
そしてとうとう、杏の視界は光の闇に飲み込まれた。
パチリと目が覚めた。
寝た時と同じように、ソファに座ったシェールの太腿に頭を乗せていた。
「かなりお疲れのようですね。」
シェールの水色の瞳が、杏を覗き込んでいる。
「夢を見たの。不思議な夢…」
夢の内容をシェールに聞かせようと頭の中を探ってみたが、どうしても思い出せない。思い出そうとすればするほど、掴みかけた欠片が次々と失われていった。
「…消えちゃった…。」
「残念。聞きそびれました。」
杏は起き上がり、ソファに座り直してもう一度「夢」を組み立ててみようと試みたが、結果は同じだった。そうなると、やたらと大切な夢だったようにも思う。
「何か、お飲みになりますか?」
「あぁ…そうね。アイスティーでも飲もうかしら。」
「はい。」
シェールが笑顔でソファを離れた。
ここ最近の杏は、確かに多忙を極めていた。
杏の劇的な変貌はドクターもウィルも、驚きを隠せなかったようだった。元から杏の潜在能力には気が付いていた二人だったが、その変化の速さと内容は、二人の予想をはるかに超えたものであったらしい。
この二人の知的好奇心を埋めるために、杏は多くの時間を割かねばならなかったのだ。
マリーシとの修行も継続された。この三人は、先を争うように杏の時間を独占しようと躍起になっていたようなフシまであった。
そして当然のように、次々と現れるZONE-Bと「存在」の対処。
杏はその度に新たな能力を開花させ、ZONE-Bや「存在」についての理解も深めていった。今では「存在」が持つ「核」がどこにあるかを瞬時に見抜くことができたし、ZONE-Bの大きさ、広さ、おおよその位置を掴むことができるようになった。
あまりに大きすぎるため、ZONE-Bの全体像を描くまでには至っていないが、ZONE-Bの構造に次元的な繋がりがあることがわかった。
ZONE-Bはそれ自体が「部屋」であり、その部屋同士は「繋がっている」のだ。つまり、遠かったり近かったりする場合はあるものの、裂け目から中にさえ入ってしまえば、全ての「部屋」に出入りすることは理論上は可能と言うことになる。
この能力の有効性に気が付いたドクターは、世界中のスクワッドと同様の機関と連携し、杏とマリーシを各地に現れたZONE-Bに派遣した。
マリーシの魂の探索能力と杏のマッピング能力があれば、前回の突入でマリーシが感知した「魂の牢獄」と呼ばれるZONE-Bの一室から魂を解放することができるかも知れない。
さらに、その過程で「存在」がどこでどのように生み出されているのかが掴めれば、例の「古代遺構」でこちらから裂け目を作り出し、攻撃をしかけることも可能になる。
こうしたわけで、杏は世界中の組織や部隊と連携し、ごく短期間のうちにZONE-Bの第一人者となった。また、まるで作物を収穫するが如く「存在」を倒してしまう様から「ハーベスター」とあだ名され、その声望は日を追うごとに高まっていったのである。
杏の魂の覚醒は、杏個人にも変化を与えていた。全ての魂を目覚めさせてからというもの、杏は「死んでいる」にも関わらず睡眠や食事といった「生前の習慣」を当たり前に行うようになってきた。肉体的にはどちらも不要なことに変わりはないのだが、まるで魂がそれを欲するかのように、それらの行為を嗜む。
食事も睡眠も多忙さの中での息抜きとして、以前よりもかなり重要な位置を占めるようになったのだ。
しかし、夢を見たのは初めてかも知れない。もしかしたら今までも見ていたのかも知れないが、「夢を見た」ことを覚えたままで目が覚めたことがなかったのだ。
『シェールの言う通り、少し疲れているのかも。』
杏は一瞬本気でそう考えた自分が可笑しくなって、苦笑いを浮かべた。生きているうちには「疲れ」など覚えたこともなかったのに、死んでからこんなことを考えるようになるとは。
「これがほんとの『死にかる』って、やかましい。」
一人でボケて、一人でツッコミを入れる。こうした感情的な発言も多くなったように思う。死んでいるはずの今の自分が、強烈に「生きている」という実感があるのだ。
「何か言いました?」
純銀のトレーに金無垢のゴブレットを乗せて運んで来たシェールが微笑みかけてきた。
「なんでもないわ。…ねぇ、また髪を洗ってくれる?」
「はい。喜んで。」
最近の杏のもう一つの楽しみがこれだった。
シェールに髪を洗ってもらうこと。
シェールの細くてしなやかな指は、髪の毛を洗いながら杏の魂の凝りを優しくほぐしてくれる。まさに、至福のひと時だった。
ZONE-B SQUAD [harvester]
了。
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