ZONE-B SQUAD [Each Battlefield]
23 Each Battlefield
『現実世界に“ZONE-B”が侵蝕を始めた可能性が高い』
ドクターが口にした一言に、全員が驚きの声を上げた。事情を詳しく知らないチカと老人は、ロビンの発した「なんだとっ!?」という場違いな大声に驚いたようだった。
「突然現れた。場所は日本海上空、推定高度は8~15km。半径500m程の円形で発見されたが、徐々に大きくなりながら南東方向に進んでいる。既にうっすらと『向こうの景色』が実体化しつつある。…SNSは大騒ぎだ。ついさきほど、ニュース番組でも緊急でこの映像が差し込まれた。」
「時間流のズレはあるのか?」
ロビンが端末を覗き込むようにしてドクターに質問した。向こうの画面ではロビンがアップで映し出されたのだろう。ドクターが露骨な拒否反応を見せてのけ反った。
「…ある。中心部、つまり最初に現れた部分で最大3.4秒。外縁部でも0.8秒ほどの『ズレ』が検出された。…『ロスタイム』なしでだ。」
裂け目が実体化する時は、現実世界の時間が止まる。これを「ロスタイム」と呼び、このおかげでスクワッドを始めとする世界中の組織、HOCMSは人知れず活動することができていた。それは「死者の時間」であり、全ての「生命あるもの」は活動を停止する。正確には「止まったと思えるほどに時間流が極小化する」わけだが、今回はそれがないと言う。これが意味するところは大きい。
「じゃあ、もしZONE-Bがこのまま完全に実体化したら…」
「恐らく、だが、全ての生命のあるものはZONE-Bに触れた途端に魂を吸収されてしまう。つまりは、生命が失われてしまう…。」
とうとう恐れていたことが現実となった。以前からこの時のあることは予想されていた。だが、それが「今」とは。
杏は置かれている「現実」よりも、むしろ「このタイミングでそれが起きたこと」に恐怖を感じていた。こちらからZONE-Bに入ろうとしていたまさにその時、ZONE-Bがこちらに本格的な侵蝕を開始したことに。
『ZONE-Bはこちらの意図を見抜いている』
そこには「意識」のようなものがあり、こちらの様子を虎視眈々と窺っていたのかも知れない。奇襲を掛けるつもりが、逆に掛けられた結果だ。
『こちらから入られるのを拒んでいるのかも知れない』
そう捉えれば、このアラム・ムルから行きつく先がZONE-Bである可能性が高くなったとも言える。
「そちらの様子はどうなっている?アラム・ムルはZONE-Bに繋がっていそうなのか?」
ドクターが早口で捲し立てた。
「それはまだわかりません。ようやく今、鍵となるパーツの理解が始まったところです!」
即座に枇々木が答えた。「扉の開き方」はわかったが、それは文字だけでのことで、実際に試してはいない。うまく開いたとしても、その先がどうなっているかはわからない。
「では、すぐに試せ!手順は全部飛ばして構わん!もしもの場合はすぐにこちらに戻ってもらわなければならない!」
その時、画面にウィルの声が割り込んできた。
「ダメです!転送が使えません!時間流がどんどん変化してマッピングができないんです!こちらからは送れますが、戻せません!」
「な、なんだと!?」
「400kmも離れてないところで大規模な時間流の乱れが発生してるんですよ!?時空の根幹が揺らいでいるんです!この状態で転送なんかできるはずありません!」
中央管理室の混乱が画面越しに伝わってきた。だが、ドクターは一瞬考え込むような仕草を見せると、すぐに落ち着きを取り戻した。
「よし。そちらはすぐに行動を開始してくれ。上手くいきそうならこちらに指示を仰ぐ必要はない。杏、君の判断に一任する。いいな?」
「はい…」
「とにかく急いでくれ。時間流の乱れは旅客機の一般航路に発生している。もしも時間流の乱れに…ZONE-Bに接触したら…。」
「…わかりました。可及的速やかに対処します。」
「頼む。」
通信が途切れた。
「ロビン。聞いた通り、テストも偵察もなしになりそう。突入はこちらで行う。後詰を頼めるかしら?」
「こうなっては仕方もあるまい。だが…それで良いのか?どう考えてもスーサイドミッションに思えるが…。」
「おかしなことを言うのね?どのみち『生きて』はいないでしょ?」
「ははっ!確かに、そうだ!」
話はこれでおしまいだった。ロビンの部隊は残留し、万が一に備える。扉が開くということは、双方向に行き来ができる可能性もあるからだ。入ってから閉じてしまってもいいのだが、そうなると帰還に使う円盤の処置に困ることになる。
『必ず帰って来られる』とは限らないからだ。つまり、杏たちの部隊は帰りの切符を持たずに扉をくぐることになる。
「枇々木。あなたはここに残って引き続きサポートと調査を進めて。扉の様子も最初から最後まで記録しておくのよ?いいわね?」
「杏、誰に物を言ってるんだよ。任せておいてよ!」
杏はにっこり微笑んで、右手を差し出した。その手を見た瞬間、枇々木がハッとしたように緊張した面持ちになった。
「お、おいおい!なんか、イヤだな。握手なんかしたくないよ!」
「いいから!ほら!」
杏は半ば強引に枇々木の手を取り、その手を握った。
「大丈夫よ。必ず帰って来るわ。ヴァハとネヴァンも、無傷で返す。待ってる間、マリオカートの腕でも磨いてて。」
「そうだった!決着がまだだからな。必ず帰って来てよ!」
杏はウィンクでそれに答え、アシュリーと共にテントを後にした。
「ふぅ…。」
ドクターがコンソールの椅子に力なく腰を下ろす。床にこの難題の答えが書いてあるかのように俯いて、考えに耽った。
最悪の場合『自分が何とかするしかない』という事態は、気に食わない。
非常に気に食わない。
ドクターはその本性を含めて「扇動者」だ。
「先導者」ではない。
それはマリーシの役目だったが、彼女はもうここにいない。
『こんなことならもう少し残しておけば良かった』
小さく舌打ちをした。あの三者会談の後、ドクターは半ば追い出すようにしてマリーシをインドに帰してしまった。そもそも相容れぬ仲なのだから無理もない。
杏の覚醒さえ完了してしまえば、本来一秒たりとも一緒にはいたくない存在なのだ。それはマリーシにしても同じで、ドクターの態度に呆れたような表情は見せていたが、何も文句を言うことなく立ち去ったのはそのためだろう。
それが完全に裏目に出てしまった形だ。
しかしこうなった以上、躊躇している猶予はない。自ら赴いて、時間流の乱れごと空間を焼き払ってしまおうか。
ドクターはその魅力的な妄想に思わずニヤリとした。
だが、そうなれば今までの数百年間に及ぶ手間暇が無に帰してしまう。人間の言う「光の勢力」との対立も激化し、こちらも相応の代償を払わなければならなくなるだろう。それは望ましくない。
「チッ!」
ドクターは再度、今度は強めに舌打ちをした。やはり焼き払うわけにはいかない。何か他の手立てでZONE-Bを止めなくては。
だが、めんどくさい。一向に気が乗らない。
「あの…」
掛けられた声に顔を上げると、そこにシェールが立っていた。
「なんと…!またキミの勇姿が見られるとは!」
シェールは「戦いのドレス」に身を包んでいた。白を基調にしたロングドレスだが、スカートには前後左右に大きなスリットが入っていて、動きを妨げない。その隙間から、金色に輝く鎧がチラチラと見え隠れしている。
胸には同じ金色で優美な曲線を描くブレストプレートが、頭には左右に広がった大きな翼がモチーフの金の冠が燦然と輝いている。
右手にロングスピア、左手に小型のラウンドシールドを持ち、腰にはショートソード、背中には弓と矢筒。
紛う方ない「戦乙女」の姿がそこにあった。
「私も戦います。」
「しかし…。」
「…わかっています。もはや大きな働きはできません。ですが…私の全てが、戦いを求めています。どうか…」
シェールが槍と盾を合わせるようにして頭を垂れた。14世紀から人間のためにZONE-Bと戦い続け、その魂をすり減らし続けたスピリットは、全てを悟った上で覚悟の出陣を決めたのだ。
「…わかった。もはや何も言うまい。では、キミの戦場に向かうといい。場所は、ここだ。」
ドクターはスクリーンに映る時間流の乱れを指差した。
「今ここに、ZONE-Bが実体化しようとしている。それまでどれほどの時間が残されているのか分からないが、実体化が完了してこちらの世界に這い出てこようとする者がいたら容赦なく屠って欲しい。」
「承りました…。では、行って参ります!」
クルリとこちらに背を向けた瞬間、スカートがはらりと舞った。ドクターは、その姿を美しいと思った。
それはまさに「滅びゆく者の美しさ」だった。
ドクターは思わずニヤリとした。
上手い具合に事が運んだ。
ウィルはガレージに戻り、大急ぎで転送の準備を整えていた。アラム。ムルに送る予定の物資を早急に送らねばならない。こうしている間にも、向こうでは突入に向けた準備が急ピッチで続いているはずだ。何としてもその前に物資を届けなければ。
今回の転送はいわゆる「ナマモノ」の転送ではない。完全な無機物の転送なので、いつもの転送ブースではなく、転送パッドを使う。転送する物資はパッドに移動し終わり、今はロボットアームがせわしなく動いて全体のマッピングを行っている最中だ。
モニターの数字が90を指した。間もなく転送が開始できる。ウィルは衛星通信のボタンを押した。
「レイブンズルーストからレイブンベース。まもなく転送を開始する。受け入れ態勢を整えてくれ。」
「レイブンベース了解。」
聞き慣れない若い男性の声だったが、気にしている暇はない。数字が100になったとほぼ同時に、ウィルは転送開始のボタンを押した。巨大なパッドの四辺から白い靄が吹き出した。ウィルは額に上げていたゴーグルを下ろして閃光に備えた。
外の空気はまだ冷え冷えとしていたが、太陽は先ほどよりもだいぶ高くなっていた。
チカの護衛と談笑している桐野とソンヒィを呼んで、現在の状況を手短に伝えた。
「そげなこつが…こりゃ、いよいよ大詰めっちゅことですな!」
「ZONE-B…ゾンビー…キョンシー…たくさん…もうたくさん…」
二人ともそれぞれに覚悟を決めたようだった。こうした判断が即座にできるのがこのスクワッドのいいところだ。なにせ惜しむべき命はとっくに失くしている。いや、ソンヒィは違った。
「ソンヒィ。あなたはここに残ってくれる?あっちのおじさん達と一緒に万が一に備えて欲しいんだけど。」
ソンヒィが不思議そうな顔をして首を巡らせ、周囲を見回した。
「ダメ…ノー…バツ…ネガティブ…」
見回したのではなく、拒否のイヤイヤだった。あまりの遅さに見間違えてしまった。
「でも…」
「杏さぁ。差し出がましかですが、それは酷っちゅもんでしょ。」
「そう…それ…ヒドイ…杏…イジワル…」
杏は何とか説得を試みようとしたが、二人の意思は固かった。ソンヒィはともかく、桐野がこんなに食い下がって来るとは思ってもいなかった。
最終的に、いつもの布陣で突入することになった。
とは言え、肝心のアラム・ムルがその役割を果たすのかどうかはまだわからない。そうなったら、ここでのやり取りも途端に赤面ものになってしまうことだろう。実際にはそれどころではない状態に陥るだろうが。
そこに、まばゆい光とともに車両と物資を積んだコンテナが現れた。ウィルが転送してきたのだ。
「こげなもん、必要なか。」
桐野は不満そうだったが、ZONE-Bの広さがわからない以上、機動力は欠かすことのできない要素だった。
「そう言わないで。まさかZONE-Bの中を足で駆け回るつもりなの?」
杏は目にも止まらない速度で移動が可能だし、アシュリーとネヴァンは飛行することができる。移動の足枷となるのは桐野とソンヒィだ。その事実に気が付いた桐野が、照れたように頭を掻いて走行車両であるL-ATVに乗り込んだ。座席から桐野に呼ばれたソンヒィも後部座席に乗り込んだ。
「ヴァハ。運転は任せたわよ?」
枇々木のもう一体のアンドロイド、ヴァハは赤いロングヘアを持った機械操作に特化したアンドロイドだ。乗り物の操縦もお手のもので、何でも自由自在に乗りこなす。
右手から熱線を、左手には電流を流せる鞭を内蔵している。主に工作に用いられるための装備だが、戦闘に使用することも可能だ。
ヴァハは無言で運転席に乗り込むと、エンジンを始動してアラム・ムルのすぐ前まで滑らかに車両を移動させた。
「ネヴァンは上空から偵察と援護を。アシュリーは車両の左、私は右を担当するわ。」
「了解よ…。ねぇ…杏?話しておきたいことが…。」
アシュリーが珍しく深刻そうな面持ちで杏に話し掛けた。だが、同じタイミングで枇々木とチカが「黄金の太陽円盤」を持ってテントから現れた。いよいよのようだ。
「残念ね。どうやらタイムアップよ…何がか知らないけど、戻ったらゆっくりと聞くわ。」
アシュリーが引き留める間もなく、杏は枇々木とチカの方に歩いて行ってしまった。
「………。」
今さら後悔してももう遅い。アシュリーは、杏にドクターやマリーシの正体を話すべきかどうか、今の今まで迷ってしまったのだ。普段口さがないアシュリーの口数が減っていたのはこのためだった。
『運命は…やはり杏に…』
沈んだ気持ちを振り払うように、アシュリーは頭を大きく振って風に髪を遊ばせると、装甲車の左脇に立って目の前の大きな岩塊を見上げた。
それぞれの場所でそれぞれの戦いが、今、始まろうとしていた。
ZONE-B SQUAD [Each Battlefield]
了。
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