見出し画像

ZONE-B SQUAD [because ”I…“ ]

6 because ”I…“
  杏とウィルは中央管理室のラウンジに戻って来ていた。ウィルはキャビネットからグラスを二つ取り出すと、デカンタからグラスに指一本分の琥珀色の液体を注ぎ入れた。
 「まずは、初陣から帰還したお祝いといこう。」
 グラスを合わせ、一口啜った。ほんのりベリー系の果実と塩気が感じられる。思っていた通り、味覚もかなり繊細になっていた。この身体になってから五感が研ぎ澄まされた感覚があったが、それが味覚にも及んでいることが確認できた。
 ふと視線を移すと、初めて見るスーツ姿の女性たちが三人、コンソール前の席に着いて何やら作業しているのが見えた。
 「…あの人たちは…?」
 「ん? ああ、あれは枇々木の手伝いをしているアンドロイドだよ。枇々木は普通の人間だからね。ロスタイムの影響を受けるってわけだ。その間は彼女たちが枇々木の代わりを務める。記憶の提供も含めてね。」
 「異相空間が消えても、すぐにロスタイムが明けるわけではないのね?」
 「うん。杏も見たと思うけど、異相空間自体は『存在』が消えるとすぐに消滅を開始する。僕たちは『閉じる』って表現してる。でもロスタイムは違う。時間の進みが指数関数的に速くなってくる、って言えばわかりやすいかな?通常の時間進行に戻るまで、正確に67分11秒掛かる。」
 「…さっきの…異相空間での滞在時間との時間認識のズレもその影響?」
 「いいところに気が着いたね。でも、残念ながら違う。異相空間内の時間の流れは不安定で、今のところ解は求められていない。…つまり、入るたびに変わるってことさ。ただ、異相空間での滞在時間が長ければ長いほど活動のためのエネルギーが減少していくことはわかってる。だから24時間を超えて滞在した時は、必ず僕の診察を受けてもらうことになってる。」
 「エネルギー…。」
 「まあ、なんというか霊的要素のエネルギーなんだけど…それはまた別の機会に説明するよ。…その前に、覚えておいてもらいたいことがある。」
 杏はシェールとの会話を思い出していた。シェールは戦いに身を投じて自身の「霊的階層」が下がったと話していた。ウィルの話と関連があるのだろう。
 「さっきも話した通り、ここの時間と異相空間内の時間にはかなりのズレがある。今回、杏は何分くらい異相空間に滞在した感覚がある?」
 「……5分くらい?…長くても8分くらいだと思う。」
 「よし。じゃあ8分としよう。でも、実際の滞在時間は16時間半。単純に考えれば約120倍の速さで時間が流れていた計算だ。突入時間が1秒ずれると向こうでは120秒…つまり2分が経過していることになる…。」
 「…先に突入した人は、一人でその時間を過ごさなくてはならない、ということね?」
 「そういうこと。理解が早くて助かるよ。だから突入時はなるべくひと固まりで、時間差ができるだけないようにしなくちゃならないんだ。」
 アシュリーに突き飛ばされた理由がわかった。あの瞬間、杏はたっぷり5秒は裂け目の前で固まっていた。その間に最初に突入した3人は、異相空間で10分間過ごしていたことになる。
 戦闘において、それがどんなに長い時間となるかは想像に難くない。
 「その説明をしようと思ってたんだけどね。アシュリーが話しておくって言うから任せたんだけど…。聞いてなかったってことだよね?」
 「その話は…聞かなかった気がする…。」
 なぜかはわからないが、杏はアシュリーを庇うような言い方をした。
 「そっか。いや、ゴメン。やっぱり僕からきちんと説明しておくべきだった。場合によってはチームが壊滅しかねない問題だからね。…アシュリーはスクワッドのエースでずば抜けて強いし、性格的にもいい奴なんだけど、ちょっと怠惰で気まぐれなところがあってね…これも、覚えておいて損はないと思うよ…。」
 ウィルはそう言い、笑みを浮かべながらグラスを呷った。杏も相槌の愛想笑いを浮かべてグラスを上げる。正直なところ、アシュリーよりもウィルの方が油断がならない存在だという感覚がある。
 ウィルはロスタイムの影響を受けていない。つまりは人間ではないということだが、今のところそのことについての言及はない。
 ドクターにしてもそうだが、正体がわからない対象に一定の警戒心を抱くのは「生前」からの習慣だ。
 その相手がこの集団で一定の地位にありそうな上に、こちらをどうにでもできる技術を持っているのなら、なおのことだった。
 「『いい奴』のところだけ、記憶に残しておくわね…。」
 ラウンジ内に突然アシュリーが現れた。食事から帰って来たらしいが、いつから話を聞いていたのだろう。
 「私にも一杯頂戴。」
 ふわりと椅子に座ると同時に、挑発的にのけ反って脚を組む。ほんの一瞬だけだったが、二人の間に冷ややかな空気が漂った感覚があった。
 その時、エアロックからジェイと桐野が姿を現した。すでに平服に着替えている。二人はラウンジの三人に気が付くと、こちらに向かって来た。
 「おっ、はや祝杯をあげちょりもしたか!ご相伴ご相伴!」
 固くなっていた空気が一瞬で和らいだ。桐野のこの明るさは、ここではかなり異質な物に映るが、本人はそんなことは気にもしていない。
 豪放磊落を地で行っているような人物で、好感が持てる。
 「あの…。聞いてもいいですか?」
 杏はグラスになみなみとウィスキーを注いでいる桐野の声を掛けた。
 「あれ。オイでごわすか?なんでも聞いてたもんせ。」
 「その言葉と言い、戦いぶりと言い、もしかして…私も知っている桐野利秋さんなんでしょうか?」
 その途端、桐野はグラスをテーブルに置いて真面目な顔付きになった。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思ったのも束の間、桐野は弾けるような笑顔になって胸を反らせた。
 「はっはっは!こげなおごじょにまで名が広まちょりますか!いかにも、大日本帝国陸軍、少将桐野にごわす。字面は変えちょりますが。」
 「やっぱり!でも…どうして…明治の頃からここにおられるのですか?」
 「いやいや、そうではないです。それと…こそばゆいので、今まで通りの平言葉でお願いします。」
 急な標準語がかえって違和感を生んだ。それにイントネーションがめちゃくちゃだった。杏は思わずクスリとしてしまった。ここで唯一、生前から知っている人物に出会えたことで、妙な親近感まで湧き起こった。
 「はい…でも、どうして?」
 杏は「なぜこの戦いに身を投じているのか」を聞こうとしたのだが、桐野は誤解をしたようだ。
 「いや…オイだけが、こんとおりこの世に戻ってしもて…大将ばかりか、親しくしっちょったお歴々に合わせる顔がありもさん。それゆえに、名を変え、髭も落としました。今のオイは、ただの『桐野利明』でごわす。杏さぁにも、今後はそのつもりでお願いできればと思っちょります。」
 「…そうだったんですね…。すみません…変なことを聞いてしまって。」
 桐野はグラスを口に付けながら、ヒラヒラと手を振った。気にするなということなのだろう。
 「そういえば、杏が飛び降りた理由を聞き損ねてたわね?」
 「そうだ。その話の時に警報がなったんだったな?」
 アシュリーの言葉に、ジェイも乗って来た。桐野もウィルも杏に視線を向けている。
 「あぁ…そうでしたね…たいした話じゃないですけど…聞きます?」
 グラスをグイッと呷った杏は、静かに語り始めた。

 
 杏は今年で31歳になるはずだった。マンションから飛び降りたのが誕生日の三日前だったから、奇しくも「修復」を受けて意識を完全に取り戻したのが31歳の誕生日、ということになる。
 その人生は、まさに平穏無事な道のりを歩んできたと言っていい。銀行員の父とデザイナーの母の間に一人娘として生まれ、何不自由のない子供時代を過ごした。
 進学校としても名高い女子高から日本で一番有名な女子大に通い、卒業後は総合商社で働き始めた。
 24歳の時、同級生の結婚式で映像制作会社に勤める2歳年上の中田圭介と出会い、その後恋人になった。
 それから5年、何の疑いもなく付き合ってきたが、30歳を目前にして杏にもそれなりの焦りが出てきていた。重い女と思われるのが怖くて、それまでは「結婚」の二文字を口にしないようにはしていたが、さすがにそろそろ、という思いが言葉を口にさせた。
 ベッドを共にしている時は二人の将来などについても夢を語るクセに、実際にその二文字が出ると及び腰になるか適当にはぐらかされるかのどちらかだった。
 そんなある日、事件が起きた。
 会社の受付から女性が訪ねて来ていると呼び出しを受け、心当たりのないままにロビーに降りて行くと、赤ちゃんを胸に抱いた女性にいきなり頬を打たれた。
 話を聞いてみると、圭介の妻だといい、赤ちゃんは二人の子供だと言う。
 最初は到底信じられなかった。
 そんなわけはない。
 同棲を始めようと二人でマンションを購入したばかりで、入居してからまだ二か月も経っていなかったからだ。
 杏も言い返したが、その女が取り出したスマホには、いつもの笑顔で映っている圭介の写真がいくつもあった。騒ぎに駆け付けた同僚や警備員までがその写真を見た。結婚式の動画まで流された。
 「この泥棒猫!絶対に許さないからね!」
 ドラマでしか聞いたことのないセリフを聞かされ、弁護士が作成したと思われる訴状を叩きつけられた。
 何が何だかわからないうちに、杏は「不倫女」になっていた。

 彼氏と同棲を始めたと報告までしていた上司から呼び出され、一方的に謹慎させられることになった。
 事情を説明して身の潔白を訴えてみたが、会社のロビーであれだけ騒がれては庇いようがないと一蹴された。
 そのまま帰宅すると、圭介が部屋で寛いでいる。無性に腹が立ったが、落ち着いて話を聞いてみると結婚の事実は認めたものの、杏と付き合う前には別居していて肉体的な関係はなく、子供は自分の子供であるはずがない、と言う。
 圭介は今までの写真を杏が見ていることを知らなかった。また、杏もそのことは告げていなかった。
 「そうよね、そんなわけないわよね。あの女、頭がおかしいの?」
 その一言で圭介の愁眉が開き、途端に妻の悪口を言い始めた。その中には、まことしやかな精神的な病名までが含まれていた。
 そして圭介のこの一言が、杏と圭介の、ひいてはあの女性と子供の運命までを決定づける一言となった。
 その病名は、職場での人間関係に苦しんだ末に、母が患った病と同じだった。それが本人にとっても、また周囲にとってもどれほど大変なものなのかこの男は知らないまま、頭に浮かんだそれらしい病名を口にしたに過ぎないのだろうが、杏には何より許せなかったのだ。
 杏は何食わぬ顔をしながら復讐を誓っていた。そしてその日から、そのための準備を始めた。
 まず、実家の母が服用している睡眠薬を手に入れた。さりげなく、別れの挨拶もしてきた。今は使っていない自分の部屋の机に、通帳や印鑑などを入れたケースを置いてきた。手紙の類を入れようかとも思ったが、それはやめた。
 
 次の日、圭介は仕事を終えると何事もなかったかのように杏のマンションに帰って来た。考えてみれば、圭介が支払うことになっていたマンションの頭金はまだ杏に返されていない。それどころかこの三か月、光熱費や食費も入れたことがない。たまに旅行に行った時などは圭介が支払いをすることもあったが、杏の金銭的負担に比べれば子供の小遣いのような金額だった。
 
 『要するに、私はこの男に弄ばれてるんだ。』
 
 まさか自分が騙される側になっていたとは考えもしなかった。それどころか、ロマンス詐欺やホストに貢ぐ女たちを取り上げた番組を信じられないような思いで見て、その感想を圭介に話していた。
 「こんなことで騙されるなんて、女ってバカな生き物よね。」
 圭介は、どんな思いでこの杏の感想を聞いていたのだろうか。思い出すだけで、かぁっと頭に血が上る。
 杏の用意したカレーを口にした圭介が、ドキッとすることを言った。
 「あれ…なんか今日のカレー、味違わない?」
 それはそうだろう。そのカレーにはたっぷりと睡眠薬が入っているのだ。
 「あぁ、ルー変えてみたの。口に合わない?」
 「いや、そんなことはないけど…なんか大人の味だな!」
 まだ騙している側にいると思い込んでいる圭介は、杏の幼稚な嘘に気付くこともなく、食べ終わるとすぐにソファーに横になり、大きないびきをかき始めた。

 (残酷描写のためTALES版のみの公開)

 「それからのことは、みんなも知っての通り。マンションの部屋から飛び降りたってわけ。よくある話でしょ?」
 アシュリーはいかにもつまらなそうな顔をしていたが、ジェイと桐野は杏を見る目が変わったようだった。桐野などは話の途中で何度もゴクリと唾を飲んでいた。ウィルは他の男性陣とは違った意味で興味を持ったような印象を受ける。
 「それって、すごい偶然よね?地面にぶつかった瞬間に『ロスタイム』に入ったのかしら?それとも、その前?」
 「さあ…。ただ、人が近付いて来て何かを話しているのはわかりました。何を話していたのかまでは覚えてませんけど…。」
 「確かに…偶然、で済ますには都合が良過ぎる気もするな…。」
 「その辺も私にはわかりませんけど、私の場合はそういうわけでこの組織に加わることになったと言うワケです。」
 「いやぁ…僕的には実に興味深かった。常識的な人間にもそれぞれに違うスイッチがあって、それがオンになると人間本来の残虐性、加虐性が現れるってことだよね…。うん、これは研究の余地があるなぁ…。」
 ウィルの興味を引いたのはその部分だったらしい。自分が研究の対象にされては堪らないが、うまくコントロールできるのならここでの戦いにも利用できそうな部分は確かにありそうだ。
 話を終えた杏は、グラスを空にするとウィルが勧めたお代わりを断って、着替えのために自室に戻ることにした。
 この後のここでの話には、杏がいない方が全員にとって好都合だろうと考えたからだった。
 


ZONE-B SQUAD [because ”I…“ ]
了。 

いいなと思ったら応援しよう!

八神 夜宵 記事が「いいな」と思っていただけたら「心付け」よろしくお願いします! 犬や猫などの動物保護活動に使わせていただいております! ¥300でノミダニ忌避薬が1か月分買えます!