ZONE-B SQUAD [Guide of Souls]
12 Guide of Souls
マリーシとの「修行」が始まった。
場所は「観察室」。
杏が「死に永らえて」二番目に目覚めた場所だ。最初に目覚めたのはウィルの研究室だったが、またすぐに眠らされた。
室内にただ一か所の分厚い鋼鉄の扉が重々しい音を立てて閉まると、油圧で芯棒が可動し、壁側の穴に埋め込まれた。
この扉は、中央の開口部に横向きに付いた芯棒をはじめ、外周にぐるりと芯棒が生えてくる仕組になっており、これで観察室はドーム状の巨大な檻と化したことになる。
室内からは机や椅子などが取り払われており、小型の丸い座布団のような物が二つ置いてあるだけで、調度の類は何もなくなっていた。
「今までに瞑想の経験は?」
杏は首を振ってそれに答えた。マリーシは深く頷きながら優雅な動きで座布団の一つに腰を下ろし、結跏趺坐を組む。
「さあ、あなたも腰を下ろして。まずは足の組み方を教えます。」
杏が言われた通りに腰を下ろす。右足を左の太ももに乗せ、その上から左足を回して右太ももの上に乗せる。マリーシとは足の組み方が左右逆になった。
「それが降魔坐という趺坐になります。この修業の期間はその座り方で通して下さい。修行を終えれば私と同じ吉祥座を組むようになります。」
言われた通りに足を組む。座布団が小振りな理由がよくわかった。体全体が前傾するようになっているらしい。
「瞑想とは、呼吸です。ですが、杏は呼吸の必要がない…。ですので…こうします。」
マリーシが膝の上に置いたままで手の向きを変え、左手をパチンと鳴らした。
最初は何でもなかったが、すぐに懐かしい感覚が蘇った。呼吸を止めている時の、あの肺がヒリつくような感覚だ。杏は慌てて息を吸い込んだ。ヒリつきが途端に治まった。
「修行の間、呼吸の必要な体になりました。意識をして呼吸を行ってください…」
マリーシから姿勢、呼吸、観察の法などを教わる。どんな感情が湧き起こって来ても、それを追い掛けてはいけない。第三者のつもりで感情を観察することが告げられた。
呼吸、姿勢、心の動き、どんなに誤魔化そうとしてもマリーシの目は誤魔化せない。開けているのか閉じているのかわからない程に細められているのだが、油断をするとすぐに指摘が飛んでくる。
「頭頂部で天井を支えるつもりで…そう。自然と顎が引かれるでしょ?」
「呼吸は体の中心で行って下さい…。」
「意識を追い掛けないで。観察が難しいならまずは無視することから始めましょう…。」
ほとんどがこの繰り返しだった。
どれだけの時間が経ったのだろう。
気が付くと、杏は宇宙の中心にいた。
そこがどうして中心と思うのかもわからなかったが、なぜだかここが中心だと理解していた。
どこか遠いところから、マリーシの声が聞こえてきた。
『お帰りなさい…ここは、あなたの魂の海。…さあ、あなたの魂を探してみて下さい…』
杏はゆっくりと、視線を動かした。どうやら大丈夫のようなので、今度は首も巡らせてみた。次に、身体ごと回転してみる。
遥か視線の先に、太陽のように赤く燃える星が小さく見えた。そこに何かを感じた杏は『向かってみよう』と考えた。
次の瞬間、杏は燃え盛る大きな星の前にいた。あんなに小さく見えていた星まで、一瞬で辿り着いたのだ。最初は少し驚いたが、そのさざ波は広がる前に消えてしまう程に微かなものだった。
その星の中心に、黒いシミが浮かび上がった。シミは大きくなっていき、やがて人の姿を形づくった。
『あれは、何?』
誰に聞こうとしたわけでもないが、なんとなく思っていた通り、どこからも答えは返って来ない。
その人影が、徐々に杏に近付いてくる。瞳が金色に輝いている以外、全身が黒一色で、まさに「影」と呼ぶにふさわしい容姿だった。
『ようやく見つけてくれたのね…。私にふさわしい名前を頂戴?』
影が話した。といっても、口の動きなどは一切見えない。そもそも口がどこにあるかもわからない。その声は、直接頭の中に届いていた。どこか懐かしく感じる聞き覚えのある声だった。
「あなたは…カリン…。そう、『火輪』よ!」
杏はなんのためらいもなく、影が望むことを行った。その瞬間、影の後ろで燃え盛っていた星が凝縮し、細い火の流れとなって影の頭部に降り注いでいった。
降り注いだ火の流れが、影の髪の毛になってゆく。
やがて星の全てが流れ込むと、真っ赤に燃え盛る長い髪の毛がたなびく、女性のようなシルエットが浮かび上がる。
『私はカリン。あなたとともに行きましょう。』
カリンが右手を差し出してきた。杏も右手を伸ばし、その手を取る。体に雷が落ちたような衝撃が走り、杏は大きくのけ反った。
気が付いた時、杏はまだ観察室にいて、座布団から転げ落ちそうなくらいに体勢を崩していた。
自分に何が起きたのかわからず、マリーシに視線を向ける。
マリーシは、かたえくぼのあの魅力的な笑顔で、杏を見つめていた。
「どうやら、無事に見つけたようですね…。」
マリーシが右手を上げ、手の平を見つめる仕草をした。その目が真似をしろと訴えている。
杏も同じように自分の右手を上げ、手の平を見た。
親指の付け根の辺りに、太陽の形をした黒い小さなアザができていた。
「今回はここまでにしましょう。」
マリーシがそう宣言し、また指をパチンと鳴らした。
これ以降、杏はマリーシとの瞑想が日課になった。というより、瞑想しかしていない。より正確にいうならば「できない」のだ。
死に永らえて以降、どんなに訓練を重ねても疲れというものを感じない体になっていたが、瞑想は別だった。
呼吸によって時間の感覚が朧ろ気に感じられるのが原因なのかも知れないが、瞑想を終えるとなんとも言えない疲労感に襲われることになる。驚いたことに、眠気や食欲まで催すのだ。
肉体とは別の、精神、より具体的に言うならば「魂の疲れ」が、肉体的な餓えとなって杏を襲う。この状態を喜んでいるのはシェールだった。杏の餓えを癒すために、食事を準備し、睡眠の手伝いをし、それはもう活き活きと普段を過ごしている。
まるで新妻のように杏の帰りを待ち、甲斐甲斐しく世話をしてくれるのだ。そのために、普段はほとんど出ることのない7号室を出て、枇々木に買い物の注文をしたりもしているようだ。
7号室にはいつの間にか大型の冷蔵庫が設置され、食器の類も増えた気がする。
そうした日常を繰り返しながら、杏はマリーシの導きによって自分の残りの魂を探す旅を続けていた。日によっては見つからないことも当然あるのだが、これまでに大元の魂を除いて7つの魂を見つけ出していた。
瞑想によって訪れる場所も毎回のように違う。それは時に湖畔であり、砂漠であり、森であった。見たこともないような大都市だったこともある。
つい最近訪れた場所は、映画で見る昭和初期の四畳半の一室だった。そこで杏の魂は、一匹のサビ猫の姿をしていた。「ニケ」と名付けられた魂は、杏の左足の甲に、日本で一番有名な黒猫のマークをよりリアルにしたようなアザを残した。
「あと一つですね。」
マリーシがそう告げてから、かなりの回数の瞑想を行っていたが、最後の一つがなかなか見つからない。
訪れる場所も回数も増えてはいるが、どうしても見つけ出せないのだ。マリーシは焦るなと言うが、そう言われれば言われる程に杏の焦りは募っていく。こうしている間にもジェイの苦境は続いているはずなのだ。
早くなんとかしたいと思う気持ちが、杏の目を曇らせていた。
その日も、そうした焦燥感を抱えたまま、杏はマリーシの導きによって瞑想の世界に入って行った。
今日はバレエスタジオか何かのようだ。固い木製の床には何かをこすったような跡が無数に付いている。壁の三面は床から天井まで鏡張りで、腰の高さに手すりが付いている。残った一方は何もない暗闇が、どこまでも広がっていた。
いつもならこの辺りで聞こえてくるマリーシの声が、今日は聞こえない。代わりにどこからか聞き覚えのあるようなクラシック音楽が微かに流れている。
モーツァルトだろうか…ショパンのような気もする。確かにどこかで耳にしたことがあるように思うが、それがどこで、いつだったかは思い出せなかった。
正面の鏡に、杏の姿が映っている。
今の姿ではなかった。着ているピンクのトレーナーは小学生の低学年くらいの時に気に入っていた、かわいいマスコットが胸に付いた物だった。
ふいに、鏡の中の幼い杏が小首を傾げ、不思議そうにこちらを覗き込んで来る。
「だれ?…どうしてここにいるの?」
答えようとするのだが、言葉が口から出てこない。幼い杏はしばらくこちらを見ていたが、やがてくるりと向きを変えると、鏡の奥に走り去ってしまった。
「ここで何してるの?」
右側の鏡から声が聞こえた。振り向くと、高校の制服を着た杏がこちらを睨みつけている。服装は当時の杏の物だったが、髪型が違った。杏は前髪を作るポニーテールを好んだが、鏡の中の杏は前髪を作らず、中分けして後ろにひっつめた髪の毛を、一束に結んでいた。
こんな髪型はしたことがない。
何か言葉を口にしようとするのだが、また声が出せなかった。懸命に身振りで言葉を伝えようとするが、鏡の中の杏は怪訝そうにこちらを見つめるだけで、意図を読み取ろうとはしていない。
そのうち、誰かに呼ばれたかのように鏡の中で振り返ると、鏡の奥に向かって駆け出していってしまった。
「今頃、何をしに来たの?」
女子高生の杏を見送ると、今度は後ろから声を掛けられた。左側の鏡の中に、現在の杏が映っていた。
いや、杏ではなかった。杏に似てはいるが、髪型はショートボブで銀縁の眼鏡を掛けている。杏はロングのストレートヘアで、目は悪くない。それに、化粧の仕方が全然違うのだ。鏡の中の杏は、それだけでかなりきつい印象に見えた。
また、声が出ない。
「自分で調子が良すぎると思わない?好き勝手に生きたと思ったら、好き勝手やって死んで、今度は自分を探す?いい加減にしてよ!」
こめかみに釘を打たれたような痛みが走り、杏は両手で頭を覆った。
「今までもいなかったことにしてたんだから、放っておいて。私は、あなたじゃない。」
痛みが増す。クラクラと眩暈までする。立っていられず、思わず膝を着いた。心の中から言葉が出てこようとするのだが、それがどうしても口にできない。
「ほら!またそうやって、自分を誤魔化そうとするんでしょ!痛くなんかない!苦しくなんかないのに!」
「違う!違う違う!私は…私はっ!」
とうとう、言葉が吐き出された。胸のつかえが取れたと思った刹那、すぐにより大きな、新しいつかえが胸の奥に湧き起こる。
『私は…誰?鏡の中の、あなたは…?』
「いいのよ!いいのっ!今まで通り、あなたは私のことを忘れていればいいのよ!今になって…今になって…」
鏡の中の杏も苦しんでいる。その声がどんどんかすれ、弱々しくなっていく。
『私は…私は…』
違う。何かが違う。このままではいけない。
『あなたは…杏?じゃあ…私は…』
「りん…」
それは、かすかな声だった。その言葉を口にした時、胸のつかえが取れるとともに、全てを思い出した。
「りん…りんっ!」
杏はそう叫んで立ち上がると、鏡に向かって歩き出した。
鏡の中の女性は、本当ならば杏の妹になるはずだった双子の妹だった。
病弱だった母は多胎妊娠に耐えられる体ではなく、このままでは母子ともに生命に危険が及ぶと判断されたため、この世に生まれ出ることはなかったが、途中までは一緒に育った紛れもない「妹」だった。
「……思い…出しちゃったんだね…。」
「りん…ごめんなさい…私…。」
「いいんだよ。いいんだ…。お姉ちゃんが苦しむの、私見たくない。」
「ごめん…なさい…。私…あなたのこと…」
「大丈夫だよ!私、全然気にしてないから!」
「でも…勝手過ぎるよね?私、あなたの分まで生きなくちゃならなかったのに…。」
「………。」
「その上、今度は今になって助けろだなんて…。」
「…いいよ。」
「え…?」
「とにかく、今のお姉ちゃんには私が必要なんでしょ?」
「でも…」
「ほんとはさ、キツいこと言って二度と思い出さないようにしようと思ったんだけど…。お姉ちゃん、がんばったもんね。」
「琳」はそう言うと、右手を差し出した。
「さあ、私の手を取って。これからは、ずっと一緒だよ…。」
「り…琳っ!」
杏が左手をゆっくりと上げる。
鏡を隔てて、二人の手と手が、寸分の狂いもなく重なった。
その瞬間、杏と琳以外の全てが消え去った。猛烈な勢いで上へ上へと引っ張られていく。
二人はその力に負けないように、しっかりと抱き合った。
琳の顔がニッコリと微笑みながら、光の粒となって杏の体に取り込まれていく。杏は、自分で自分の身体を抱き締めていた。
気が付いた時、杏は観察室の天井を見上げて泣いていた。
その瞳から涙があふれ出し、杏の頬を伝い落ちる。
「琳…。」
左手に、まだ温もりが残っていた。
その温もりが消えた時、左手に8を横にした形のアザが浮かび上がった。
それは「無限」を意味するシンボルだった。
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