小説「杉治は及ばざる籠とし」⑮
4 禍根
時を少し遡る。
八柄宗清が因幡山城を陥して三月後、家臣への論功行賞が行われたのち、地下牢に幽閉されていた斎藤義辰、及び後藤内膳の処遇が決められた。
通常であれば磔刑になってもおかしくはない罪ではあるが、正統な後継者たる斎藤義起が起たないという現実が、議論を巻き起こしていた。
本来であればこの罪を裁けるのは義起ただ一人なのだ。だが当の本人が斎藤家の今後について何ら興味を示さず、それは下手人として捉えている義辰についても同じことで、「誅すべし」と言うわけでもなければ「兄弟として助命を請う」というわけでもない。
結果として、義辰の処遇は宗清に任されることとなったわけだが、道山に大恩ある身として、その長子の命を奪うと言うのは道理から外れているのではないか、という意見が稲原や長山から出された。
これに対し、中山や治直、旧斎藤家の家臣の多くは「断じて誅すべし」との意見を述べ、裏で糸を引いていたことが濃厚な後藤内膳についても同じように死罪を与えるべしとの姿勢を崩さず、議論百出の末、最終的には宗清自らが「罪を一等赦し、美濃国追立とする」と決定した。
この「追立」とは、俗に言う「所払い」と同じ意味で、今後再び美濃の地を踏むことを許さず、その時は警吏を持って追立てることとする、というものなのだが、騒擾内乱の罪についての罰としては破格の甘さであった。
そればかりか、宗清は追立に際してその後の暮らし向きに困らないほどの金銭を持たせると言う。
「後々、必ずや禍根を残しますぞ! 下知くだされば今すぐ地下に降り、素っ首刎ねて参ります故、何卒、御再考を!」
中山が片膝を立てて身を乗り出し、強硬に反対の姿勢を示したが、宗清の裁断が翻ることはなかった。
こうして、斎藤義辰は遠縁を頼りに三川国へと旅立った。家族や奉公人を引き連れた行列での移動は、故郷を追い立てられる者の悲壮感を感じさせず、優雅とさえ思えるほどのものだった。
後藤内膳の方は寂しいものだった。すでに妻子は後藤を見限り、生家である常陸国に帰りたい旨を申し出て、これを許されていた。後藤本人は道山の代からの奉公で斎藤家には他に身寄りもなく、兄が奉公していると言う駿河国を目指し、見送る者すらないまま、一人旅立って行った。
そして現在、その後藤内膳の姿を飛騨国の三鬼家に見出すことができる。
名を「内藤修善」と変え、丹波牢人と名乗って堂々と三鬼家に仕えていた。
役職は右筆である。この短期間に、どうして後藤改め内藤が三鬼家右筆と言う要職にまで昇り詰めることができたのか、詳しく知る者はいない。一節にはとある公卿からの紹介状を持参していたとも、宝剣を上納したとも噂されていたが真相を知る者はおらず、皆が皆、首を捻るばかりである。
いずれにしても現当主である三鬼継頼が、内藤を非常に頼みにしていることだけは間違いがない。とにかく何かあれば「内藤を呼べ」なのだ。こうして夜伽の話相手を勤めていただけの新参者は、瞬く間に出世の階段を駆け登った。
三鬼家は、室町の頃から飛騨国司の職を預かっている家柄である。
国の力こそ竹田や尾田の新興勢力には及ばないが、古くからの由緒ある家柄として一目置かれ、また三鬼家においてもそれを頼みにして国の舵取りを決めているところがあった。
朝廷との結びつきも強く、数々の建物には飛騨国から献上された良質な木材が使われていることは有名である。そのためだけの「御用林」もあり、この戦国乱世において朝廷との結びつきを大切にしようとする諸侯が、迂闊には手を出せない国の一つなのであった。
当然、三鬼家には朝廷への使者を専門とする「奏者」という役職もあったのだが、最近では内藤修繕がその役割を兼任しているところもある。朝廷に直接赴くようなことはさすがになかったが、その奏上文のうちの多くが、内藤の手によって起草されていたのである。
内藤の奏上文は朝廷での覚えが目出度い。献上品に添える書状ひとつ取ってみても、へりくだった事務的なものばかりでなく、風雅な時候の挨拶を添えたり、紙自体に梅の香を匂わせるなど、いかにも宮中の人間が喜びそうな工夫をする。
こうなってくると、内藤の栄達が面白くない人間も見方が変わってくるし、殿様の重用ぶりも納得のいくものとなってきて、いよいよ内藤の権勢は強まっていくばかりなのだった。
この内藤の栄達ぶりは、本人自身の野心の強さばかりから来ているものではなかった。加えて「八柄家憎し」の憎悪の心が原動力になっている。あの日栄華の絶頂にあった天守からの眺めが、一瞬にして地下牢の黴臭い暗さに変わってしまったのは、飼い犬も同然と考えていた八柄の若造によってもたらされたものだ。あの屈辱は、決して忘れることができない。
もっとも、あの日の出来事一つを取ってみても自身の慢心と驕りから来ているもので、本来であればああした他家の企みを見抜き、手を打つのが仕事であるはずの家老職の人間が、一連の八柄家の行動に対してなんの疑いも持たなかったことや、政情が不安定な時期にも関わらず、どこの馬の骨ともわからぬ一団を城内に招き、あまつさえその色香の虜となって国を喪うような領主としての在り方など、身を持ち崩した原因の多くは内藤とその主君にあった。
だが、この歪んだ思考を持つ佞奸にはそうした自省の心など微塵も見当たらない。ただもう「八柄家憎し」あるのみだ。
併せて、あの時斎藤義辰を篭絡し、当身を喰らわせていずこかへ逃げ去った「巫蝶」という女のことについても同じように恨んでいる。相当の金と人を使い、その素性を調べ上げていた。それこそ下賤の中の下賤とも呼べるような人間で、おそらく金ずくであの役目を引き受けたのだろうが、見つけ出して捕まえ、目の前で生皮剥いて殺さなければ飽き足らないほどに憎かった。
実は既に巫蝶を捉えるべく、山賊崩れの一団に相応の金を渡していたのだが、もう二十日も経つというのに、いつまで経っても「捕らえた」という報告がない。
「おのれ。あ奴ら、金だけ奪って逃げおったな・・・。」
これが内藤の出した結論だった。実際の「あ奴ら」は、もう十日以上も前に巫蝶のいる河原に夜討ちをかけていたのだが、悉く返り討ちに遭い、全員が河川敷に埋められていた。この急襲を受け、一団は散り散りに逃げてしまい河原には小屋の跡がいくらか残っているだけで、もはや無人となっていると言う。
「まあ、良い・・・。ほとぼりが冷めれば、いずれまた現れるであろう。それまでは生かしておいてやる・・・。こうなれば、八柄の方を先に片づけるとするか・・・。」
天神山城の奥の一室でちびりちびりと酒を舐め乍ら、内藤は薄い笑いを浮かべた後、また深い思考の世界に入っていった。八柄家を窮地に陥れるための策は、八割方練り上がっている。あとは細部を詰め、任せられる人間を選び出さなくてはならない。
『今に見ておれ・・・。必ずや、泥濘糞尿に塗れさせてやる・・・。』
酒を飲み干した盃を膳に叩きつけながら、内藤は宙の一点を見つめ、そう誓った。
5 告解
治直が因幡山城に赴いた翌日、まもなく陽も暮れかかるという時刻になって八甲館に戻って来た主人の顔に深い陰りを見出した伊佐次郎は、直感的に変事が起こったことを察した。
慌てている様子はないので、政治的あるいは軍事的な問題ではなさそうでほっとしたが、留守中の報告にもどこか心ここにあらずと言った体であるし、夜の膳部を運んだ時にもまだ腕を組んで何やら考えているようで、治直にしては珍しい、深い悩みのようだった。
翌日、いつも通りに朝の沐浴と朝餉を済ませ、執務室にて執務に当たり始める頃になっても未だに憂い顔の治直を見て、さすがの伊佐次郎もいたたまれなくなってきた。
報告や指示を出し終え、執務室に二人きりとなったところで伊佐次郎が治直の膝前に身を進めた。その様子に気が付いた治直が、筆の手を止める。
「・・・いかがなさったので? どこか身体の御具合でも・・・。」
俯いたままの治直の顔を下から覗き込むようにして伊佐次郎が尋ねる。少しの間のあとで、治直が顔を上げ、伊佐次郎と視線を合わせた。
「む・・・いや、そうではない・・・。」
「では、お城で何かございましたか? 何かお叱りを受けるようなことでも・・・?」
「いや、違うのだ。・・・実はな、嫁を取れと主命が降った。」
「な、なんだ! そんなことですかい! それなら何もそんなに暗い顔をすることはないでしょう! 殿様なら、望めばいくらでも嫁の来手はあるじゃございませんか!」
「・・・そう、単純ではないのだ。しかも日限を切られてしまってな。」
「日限・・・でございますか?」
「うむ。一か年の内に嫁を迎えねば、殿が見込んだ女子と祝言をあげねばならんのだ。」
「てっ! 一か年!? それだけあれば十分でございましょう! ご領内にも近在の国にも、殿様に見合った女子なら・・・。」
「そうではない! そうではないのだ!」
普段滅多に声を荒げることのない治直が、珍しく吐き捨てるようにしてそう言った。普通の家臣ならば狼狽するところであろうが、伊佐次郎は昨日今日の家臣ではない。逆に目を据わらせてじっくりと聞く形になり、治直に無言の圧力を掛ける素振りさえ見せた。
この圧力に抗しきれず、治直は水が戸板を流れるように、伊佐次郎に寿の存在を明かした。もちろん輩の者のことや今でも三日に一度は忍んでここに来ていることは伏せてはいたが、それでも寿のことについてかなりの部分を伊佐次郎に告白することになってしまった。
難しい顔つきをしながら黙って話を聞いていた伊佐次郎だったが、話が終わると愁眉を開いた。
「・・・つまり、その娘さんも想いは同じながら、卑賎の生まれであることを気にして嫁ぐのを遠慮している、と、こういうわけですかい?」
「む・・・。まあかいつまんで話せば、そういうことになるが・・・。」
「それなら、わけもねぇ。誰ぞの養女にしてもらってから嫁いでもらえばよろしいじゃございませんか。ま、万事この伊佐次郎にお任せ下さいまし。春日様がお戻りになって一段落したら、すぐにでも動きやすぜ。」
口調が「伊佐次」の頃に戻っている。もちろん、そこに他意がないのはお互いに承知の上だ。暇を見ては適当に遊びにも通っている伊佐次郎と違い、朴念仁だとばかり思っていた主人に、心を通わせた女性がいると聞いて伊佐次郎、いささか興奮の体なのである。
その後もなにやらもごもごとしている治直を置き、伊佐次郎は「とにかくお任せを」と言い残して執務室を後にした。
そして、その夜。
自室で寝酒を舐めていた伊佐次郎の元に宿直番の者が現れ、治直が呼んでいるとの報せを受けた。おそらくまた寝酒の相手をしろとの誘いだろうと考えた伊佐次郎は、気軽に治直の居室を訪れ、そこで驚愕のあまりに手にした大徳利を危うく落としかけた。
「こんばんは、嘉次郎さん。」
「おっ、お、お・・・。」
「『お』はいいから、まず入れ。伊佐次郎。」
襦袢姿の治直の横にいるのは、伊佐次郎が遊びに通っている河原の掛け小屋で呼び込みをしていた女だった。名前こそ知らぬが、何度も顔を合わせ、口も聞いている。それどころか、色よい返事を求めて何度か小銭を掴ませたことすらあった。遊ぶ時の伊佐次郎は嘉助の一文字を拝借して「嘉次郎」と名乗っていたが、その名を呼ばれて狼狽し、「お前」と言いたかったが結局言葉にはならない。
こうなっては致し方もない。なんでこの女が治直の居室にいるのかは不明だが、とにかくいることに間違いはない。もはや何を言っても無駄であろう。こういう時は腹を括って相手の出方を待つより他はないのだ。
観念したように座敷の端に座り込み、首を項垂れる。
「なんだ、何をそんなにしょげている? 伊佐次郎らしくないな。」
「・・・虚勢を張ったところで致し方もないでしょう。お咎めは、甘んじて受け入れます・・・。」
「咎め? 何を咎める? 遊びのことなら今に始まったことではない。諸人に迷惑を掛けたり、お務めを疎かにするのは困るが・・・。」
「え・・・? お聞きになっていないんで?」
「おう、遊びの話なら聞いたぞ。昵懇の女がいるのだとな? 浮雲と申したか?」
「はい。嘉次郎様にはうちの浮雲が御贔屓になっております。」
この一言で、顔を上げかけた伊佐次郎がまた俯いた。首まで真っ赤に染まっている。
「何もそこまで照れることもないだろう。それより、せっかくだ、その酒をもらえるかね?」
「や! これは、気が付きませんで・・・。」
恭しいほどの手付きで、伊佐次郎が酌をした。
「どれ、お前も飲め。飲んだ上で、話を聞いてもらわねばならん。お主がことより、儂の方が数倍罪深いわ。まず、落ち着いてもらわねば、な。」
「・・・?」
こうして、長い夜が始まった。
治直はこの夜、今までの出来事をつぶさに伊佐次郎に語って聞かせた。肝の据わった伊佐次郎をしてさえ、それは驚きの連続であり、怒るどころかその大胆さに呆れて物が言えなくなるほどだった。
「こ、この女が、あの籠としで、殿様の想い人で、河原の掛け小屋の女主人で・・・。あー、こんちくしょう! 頭が追い付かねぇ!」
「これ、声が大きい。このことはここにいる三人のみの秘密じゃ。御館様をはじめお城の方々も誰一人、知る者はいない。そのこと、努々忘れてくれるなよ。」
「そ、そうは言っても・・・。あんまりじゃあございませんか!」
「伊佐次郎さん、お怒りはごもっともなれど、こうするより他はなかったのです。私たちの一族は、それこそ世の中の影にて生きる存在故・・・。」
「そ、そりゃあわかりますがね、私はともかく、彦さんや嘉助どんのことを思うと・・・。」
「すまぬ。なれど、大事のさなかの小事と割り切ってもらわねばならん。このことは、きっと他言無用。よいな?」
「もちろんですとも。言ったところで、誰にも信じてはもらえないでしょうよ。で、殿様はこのお寿さんと添い遂げたいんですね?」
「・・・?」
今度は、治直が狼狽する番だった。治直はまだ寿に一昨日の城中での出来事を話していなかった。
「え・・・あ、あれ・・・違うので・・・?」
その治直の弱り切った顔と寿の不思議そうな顔を見て、伊佐次郎はしくじったことを悟った。
「い、いや。違わぬ。」
それは、消え入りそうな声だった。これがあの戦場で名の知れた猛将の口から吐き出された言葉かと思うほどに力無く、弱々しい。
今度は、伊佐次郎が治直に代わり、寿に城中での出来事を語って聞かせた。
寿の驚き様もなかなかのもので、両袂で顔を覆い、それこそ首まで真っ赤に染めてうろたえている。
「なんだなんだ、揃いも揃って赤くなったり青くなったり・・・。」
伊佐次郎が心の底から呆れたというようにそう言うと、今度はなんだか無性におかしくなってきて、その場の三人が三人とも、涙が出るほどに笑い転げた。それぞれが抱えていた秘密を白日の下に晒した安堵感が、そこに拍車を掛けているようだった。
ひとしきり笑い転げた後、伊佐次郎が台所から新しい酒と干し魚を持ってきた。ここからは、真剣に今後のことについて語り合わなくてはならない。
結局、密談は白々明けまで続き、秋が来る頃までには寿を侍女として八甲館に迎える方向で話が決まった。青山の縁戚の者として八甲館にて立ち働いてもらい、そのうちに治直と昵懇になる、という筋書きだ。伊佐次郎は密かに青山の元を訪れ、その話をつける役目を仰せつかった。もちろん寿の素性を明かすことはできないから、八千田の娘の一人、ということにする。
寿は寿で、それまでに「輩の者」での寿の役割を誰かに譲る段取りを付ける。これは巫華に戻すのが賢明だろう。その上で、八甲館の近くに新たな町を作り、そこに影働きの者たちを中心に「輩の者」を住まわせる。こうすれば、寿と影働きの者たちとの連携も取りやすく、すぐに影を動かすことが可能になるだろう。
「これは、もしやすると災い転じて何とやら、ということになるやも知れんな・・・。」
大方の筋書きができた後で、治直がそう呟いた。
「そうでなくては困りますよ。こりゃ、お家ばかりか青山様にまで迷惑を掛けかねねぇ。そうなったら、我々の首だけでは収まりませんぜ?」
「いかにも、な。それ故に、今まで以上に慎重に事を運ぶ必要がある。お前には苦労を掛けるが、ひとつ、頼むよ。」
「とんでもねぇ! 生まれついての風来坊がきっちり土地に根を生やした上に、人を使うような身分にまでなったのは全部殿様のおかげで! もう、いつ死んでも悔いはねぇ。今までもこれからも、苦労なんて思うことは、何にもありはしませんよ!」
照れ隠しのようにグイッと酒を流し込んで、伊佐次郎が見得を切った。
「まあ、あの嘉次郎さんが立派になって。そういえば、預かっていた銭をお返ししなくてはなりませんね。」
「遊びの銭なら当然の賂だ、何も返すことはないだろう。」
「いえ・・・そうではなくて・・・。」
「ちょ、ちょ、お寿さん! いやさお寿様! そ、そりゃもう言わねぇで下さいまし! 後生ですから!」
「・・・なんだ? 伊佐次郎、お主まだ何か隠し事があるのか?」
「いやいや! なんでもございません! お耳に入れるようなことは、もう何も!」
いかにも可笑しそうに笑う寿と、狼狽する伊佐次郎、そしてそれを見守る治直の面上に、朝日が差し込んだ。それはまるで、この三人の未来に光を投げかけているかのようだった。
「杉治は及ばざる籠とし」⑮
了。
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