【短文レビュー/邦画新作】『未来』・・・湊かなえと瀬々敬久という真逆の存在を混ぜ合わせた結果はいかに
トップ画像:(C)2026 映画「未来」製作委員会 (C)湊かなえ/双葉社
監督:瀬々敬久/脚本:加藤良太/原作:湊かなえ
配給:東京テアトル/上映時間:130分/公開:2026年5月8日
出演:黒島結菜、山﨑七海、坂東龍汰、細田佳央太、近藤華、玉置玲央、野澤しおり、吹越満、松坂桃李、北川景子
湊かなえは常に、陰惨な物語をシステマティックに整理して、出来事も登場人物も無味無臭の記号的な羅列に変換している。顔写真と矢印だけで表された相関図を見せて、これは小説なんだと言い張っているようなものだ。湊かなえにとっては、たとえば「夜な夜なナイフで娘の背中に傷をつける父親」も、その狂気は「狂気」という記号であり、人間関係の構築のために用意された設定でしかない。
そのため湊かなえ作品の映像化は、記号のような出来事や矢印のような人間関係を、抽象的なイメージ映像を付加して表現しようとする。生きている人間を出した時点で湊かなえ作品ではなくなるので、原作へのリスペクトとしては正しい。そういう意味で、中島哲也監督との相性は抜群であった。
しかし本作『未来』の監督は瀬々敬久である。人間のリアルな生々しさを映像で見せることに特化したこの監督と、湊かなえ作品とは、あまりに対称的だ。言い換えれば、湊かなえ作品に足りないものだけで瀬々作品は出来上がっている、ということでもある。もちろん本作でも、瀬々監督は人間の醜い生々しさを見せつけることに終始しており、暴力シーンも性愛シーンも容赦ないし、血のついた生理用品も吐瀉物もきちんとカメラに写す。
こうして出来上がった本作によって、湊かなえ作品の空虚さが浮き彫りになる。なまじ映像が生々しいせいで、ストーリーに中身がないのが完全にバレているのだ。本来は重要であろう「夢の国」も「未来からの手紙」も、単なる記号的な小道具だからか瀬々監督の興味を惹くことはなく、扱いはメチャクチャ軽い。無駄に時制が行ったり来たりするのも、ただ観客を混乱させて何かをごまかしているようだ。いくら記号的に狂ったキャラクターを並べて、突飛な矢印であちこち繋げようが、それは物語などではないと、結果的に本作は看過しているのである。(了)

